教区報

教区報「あけぼの」

「自分の中の風化」2015年8月号

去る5月30、31の両日に、秋田市で「東北六魂祭」が開かれ、県内外から20数万人の方が秋田を訪れました。予想以上の人出だったようです。東北六魂祭は東日本大震災の犠牲者の鎮魂と被災地の復興を願って、震災発生の年2011年に仙台で1回目が開催されて以来、盛岡、福島、山形と回り、この度の秋田での開催で5回目を迎えました。第1回目の開催の時は仙台におりましたが、翌日の主日礼拝準備が進んでいなかったのでテレビで見ていました。第2~4回もそうでしたが、この度の秋田市開催は会場へ足を運んで見てきました。

 

大震災以来開催されている東北六魂祭。私も大震災以来続けていることが2つあります。その1つは、毎月11日午後2時46分に東北六魂祭同様、犠牲者の鎮魂と被災地復興を願って教会の鐘を1分間鳴らし、そして主教会作成の「東日本大震災のための祈り」、2014年2月以降から「東日本大震災を覚えて」の祈りをお献げしています。これには北海道在住の親友がその時間帯に共に祈ってくれていることが大きな励ましになっています。彼には大船渡で家業を継ぐ大学時代の友人がおり、その友人の方は直接的な被害はなかったものの、震災以降それまでの生活がガラッと変わり、苦しい状況の中にいるそうで、その方の復興をも願いながら付き合ってくれています。毎月11日の前日または当日に「鐘に合わせて祈るよ」とメールを送ってくれます。彼の後押しが打鐘と祈りを私に続けさせているのだと思います。

 

もう1つは、20数年続けている私的な「日誌」の当該日の日付の上に、その日が大震災から何日目であるかを記しています。震災発生から4年3カ月を迎えた去る6月11日は1,553日目に当たる日でした。時々震災発生の日に書いたことを読み返すことがあります。読み返しながら当日以降を思い出してみたりしますが、記憶があやふやなことも多々あります。書いてあることが思い出せないのです。これは風化でしょうか。

 

毎月11日に打鐘と祈りを献げている、と先ほど書きましたが、実を言うと忘れてしまったこともしばしばありました。外出していた時もありました。その日の昼頃までは覚えていても、別なことをしているうちに忘れてしまったことも少なからずありました。ド忘れなのか、それとも「風化」なのかわかりませんが、記憶がだんだん薄れてきていることは確かかもしれません。

 

あけぼの8月号1ページ写真

松丘聖ミカエル教会

そんな中で、先日あるテレビ番組を見ました。ハンセン病問題を特集していた番組で、進行役が実際に「多磨全生園」を訪ね、そこに70年暮らしている方のお話しも放送されました。全国のハンセン病元患者の皆様の願いは「自分たちの存在を知って欲しい」、ということです。この言葉を聞き、私たちの東北教区にもハンセン病で苦しんでこられた方々がいらっしゃることを「改めて」思い起こされました。ここにも私の中に風化が進行していることを認めざるを得ない事実があったことを告白致します。

 

「霊性」ということの1つの表れとして、祈りの項目(代祷項目)をどれだけ挙げられるかだ、と学んだことを思い出しています。祈りを通して霊性を深め風化を防ぎたいと思います。教区の皆様も祈りのうちに覚えてくださいますようお願い致します。

 

司祭 アントニオ 影山 博美