教区報

教区報「あけぼの」

「Y司祭の水出しコーヒー」2016年6月号

あやめ「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ…」(ルカ10:41)

 
私が司祭になって間もない頃の忘れられない苦い体験です。仙台勤務についたばかりの頃、Y司祭を特別な用もなく、突然訪ねました。彼は1人縁側に腰を下ろしてじっと瞬きをせずゆったりと嬉しそうに前を見つめていました。目線の先の畑には、なすび、キュウリが見事にたくさんのたわわな実をつけて、Y司祭の信仰の友のようでした。

 
しかし私が気になったのは、なすびやキュウリではなく目の前に置かれた得体の知れない不思議な物体でした。それが何であるかすぐに理解できました。初めて見る水出しコーヒーでした。司祭さん曰く、今日は誰かが訪ねて来るような予感がしてコーヒーを用意して待っていたと言われました。それは感激です。初めていただく水出しコーヒーの味を想像しておりました。

 
ところがいつまで経っても出てこないのです。寡黙な司祭さんでしたから、あまり話も弾まず、ただ黙って時々司祭さんの横顔を覗きながら庭を見ていました。司祭さんは何事も無かったかのように黙々とその場でお地蔵さんのように動かず、何時できるかもわからないコーヒーにも関心がないようにただ座っておりました。

 
聞こえるのはさらさらと頬を伝う風と、いつ果てるともなく“ぽたっ、ぽたっ”と落ちるコーヒーの水滴の音だけです。我慢の限界。しびれを切らしてこれ以上待てないと、まだ仕事がありますので次回にいただきますと、失礼を詫びながらその場を離れようとしました。

 
それまで物静かな仙人のような司祭さんの顔が一瞬ゆがんだのを見逃しませんでした。いきなりでっかい雷が落ちました。馬鹿者と一括でした。僕は君にあげる物が無い。今あげられるのは僕に残されたわずかな時間…もう次の言葉を返せませんでした。

 
今、定年を控えてその言葉が脳裏を過ぎります。それでも懲りない自分がいます。

 
世界一心が豊かなウルグアイの元大統領ホセ・ムカヒさんの言葉が今世代を超えて暗い世界に光り輝いています。ミヒャエルエンデの代表作『モモ』の時間泥棒を思い出しながら、心に残るその名言をいくつか紹介したいと思います。
・毎月人の2倍働き、ローンを払ったら年老いた自分の残った…後悔はありませんか?
・貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。
・質素に暮らすことは、物に縛られない自由な生き方を勝ち取るため…質素な生活を送ることで働かない自由な時間が確保できる。
・幸福な人生の時間は、そう長くはない。
今、当たり前の事を告げる81歳になるムカヒさんの言葉が、妙に心にズキンと響くのです。彼の人生は、若いときには人々の解放のためゲリラ組織に入るも逮捕され13年間過酷な獄中生活を送り、後に政治家として頭角を現し、多くの人々の支持を得てウルグアイの第40代の大統領となり、任期5年でその職を辞して昔も今も静かに妻と2人で変わらず農園にて生活を続けています。その辿り着いた生活スタイルは生きるために必要な最小限のもの(余計な物は欲しがらない)で、自由な時間が確保された最大限の幸福な人生を生きる哲学に支えられています。

 
想像するのです。物はいつでも買えますが、時間はいつでも買えないことが、この歳になってようやくY司祭の一喝がムカヒさんの言葉と重なり、生きている限りまだ時間はある、まだ間に合うとしぶしぶ自分に言い聞かせながら、限りある人生の時間をどう使うかまだ迷う69歳になった自分がいます。

司祭 ピリポ 越山 健蔵