教区報

主教コラム

ほそ道から 第3回「祈ること、祈られること」

「イースターが早い年は、春の訪れも早い」と昔から言い伝えられているそうですが、本当に今年の桜は早く咲きはじめました。主教館の庭も、最初にふきのとうが芽を出しました。それから水仙、スズラン、梅、土筆、たんぽぽ、れんぎょう、ゆきやなぎが次々と花を咲かせ、最後に鉢植えの桜が満開になりました。

 

その桜に先立つこと1ヵ月ほど前の3月11日、私たちは東日本大震災の7回目の記念の日を迎えました。今年はこの日が主日だったこともあり、一個所に集まって記念礼拝を守ることはできませんでしたが、宣教部のご尽力もあって「同じ時 想いを一つに 皆で祈りを」をテーマに、「午後2時46分の黙想」を各地で持つことができました。

 

この祈りの時は、日本聖公会のすべての教会にも呼びかけられました。その呼びかけに多くの教会が応えてくださったように思います。私が以前に勤務した教会でも、信徒の皆さんが想いを一つにして、祈ってくださったとのお知らせをいただきました。

 

本当に感謝でした。そしてそれは、「祈りを共にできた」ことへの感謝である以上に、「祈っていただいた」ことへの感謝なのだと思います。

 

今から23年前の阪神淡路大震災の時、神戸聖ミカエル大聖堂では震災後3日目から早朝聖餐式を再開しました。その聖餐式の代祷で、他管区の働きを覚えて祈る時、同時に世界の教会が被災地・被災者のことを覚えて祈ってくださっている、そのことをリアルに感じて、ふいに涙がこぼれたことを思い出しました。

 

他者を覚えて祈ることの大切さと同時に、他者に祈っていただいている自分がいる、ということへの感謝の思いを大切にしたいと思います。祈り・祈られる関係の中で、私たちが祈りの花束を満開にできれば、どんなにすばらしいことでしょうか。

教区主教

 

あけぼの2018年6月号