教区報

主教コラム

欅並木から 第22回「信徒の分餐奉仕」

東北教区の信徒奉事者の働きの中に「分餐奉仕協力」を加えることとなり、すでに数名の方が教会委員会、常置委員会を経て、主教の認可を得ておられます。各国の聖公会では幅広く、また日本聖公会でもすでに行われていますが、東北教区では初めての経験となります。

 

聖餐式はもちろん教会にとって最も重要な礼拝です。一方、重要視するあまり、その中で聖別される「聖体」(聖別されたパンとブドウ酒=御体と御血)に対する信仰が過剰に強調され、中世期にはやや迷信的ともなって、そのことがカトリックとプロテスタントの分裂の原因となった歴史もあります。聖職者でなければチャリス(杯)やパテン(皿)に触れることも出来ないと教えられた時代もありました。「聖体」がキリストの真の体であるということ、それはわたしたちの信仰です。しかし同時に聖書でパウロが一生懸命語っている「キリストの体」は教会のこと、わたしたちのことです。またキリストの臨在は「聖体」だけではなく「み言葉」、聖書の中にも認められるべきものです。聖書朗読が重要な理由もそこにあります。

 

「キリストの体」である教会の中で、祭司的な務めを分かち合う信徒も共に、「聖体」を分かち合う奉仕に参加すること。その意義は大きいと思います。陪餐者数が多いから、あるいは司祭がご高齢で補佐が必要だから、という現実的理由もあっていいでしょう。しかしそれだけではなく、今申し上げたことも心に留めてくださって、この奉仕がますます豊かになっていくようにと願います。さらには信徒の方が聖体を持って病床の方をお訪ねし、一緒にお祈りするようなことも出来れば。

 

東北教区の未来は、教会全体がそれぞれの賜物を生かし合いながら、豊かに奉仕職を分かち合う、そのことにかかっていると信じています。

(教区主教)

あけぼの2017年5月号