東日本大震災被災者支援プロジェクト

説教

東日本大震災9周年記念の祈り説教(仙台基督教会)

午後2時46分の黙想 −同じ時 想いを一つに 皆で祈りを−

 

苦しみ、悩む人々と共に歩まれるイエスよ

 

仙台基督教会 牧師 司祭 フランシス 長谷川清純

 

父と子と聖霊のみ名によって アーメン

 

毎年、私たちは周年記念を東北教区主教座聖堂でささげてまいりました。今年は様相がいつもと異なっております。昨日は政府からイベント自粛を10日間程度延長が要請されました。それでも、宮城県内では感染者がお一人という状況から、この礼拝を中止にする話題はでませんでした。という訳で私たちは集っております。

 

始めにいくつかの数字をお伝えします。(11日の河北新報朝刊より、2020年2月1日現在)

 

・死者(行方不明者)

  • 岩手 04,765人(1,112人)
  • 宮城 09,543人(1,217人)
  • 福島 01,614人(0,196人)
  • 全国 15,899人(2,529人)

 

・震災関連死

  • 岩手 0,469人(2月末)
  • 宮城 0,928人(2月末)
  • 福島 2,304人(3月5日現在)
  • 全国 3,739人(19年9月末現在) =約2万人

 

私たちの教会信徒では、磯山聖ヨハネ教会の3名の方と、信徒ではありませんが教会のすぐ下のお家で亡くなられた、ご近所仲間であった1名の方を覚えて魂の平安をお祈りしたいと存じます。

 

 

・現在人口 (2011年当時人口)

  • 岩手県 122万人 (132万人)
  • 宮城県 230万人 (235万人)
  • 福島県 184万人 (202万人)

 

・避難者数 2月10日現在 (ピーク時)

  • 県内  岩手 01,729人 (04.4万人)
  • 県内  宮城 01,365人 (12.8万人)
  • 県内  福島 10,060人 (10.1万人)
  • 県外  岩手 00,985人 (01,702人)
  • 県外  宮城 03,969人 (08,633人)
  • 県外  福島 30,914人 (62,831人) =未だ4万7千人

 

 

 

2011年3月11日から9年経ちました。被災者にとりまして、また私たちにとりましてこの9年間というものはどのようなものだったのでしょうか。3月11日を前にして最近、特にテレビ新聞で番組や記事の特集がかなり組まれました。1月11日にこの聖堂で上映した映画「福島は語る」に出てきた被災者もそうなのですが、何人かが「大震災後初めて泣いた、それまで見せてなかった涙を初めて流した」、というのには非情に胸詰まるものがありました。9年目になるまで、その方々は辛さ、切なさ、やるせなさ、悔しさ、憤り、嘆き、無念さを心の奥底深くに押し留め続けておいた訳なのです。なんと人は悲しい者なのでしょうか。涙を流せて少しだけ心の痛みが和らぐのに、とても長い歳月が必要でした。

 

あなたはどうこの9年間を生活してきたのでしょうか。双葉、大熊、富岡では5日から10日にかけて避難指示が一部解除になりました。時期的に見て、東京オリンピック、聖火リレーと合致しています。しかし、実際の所、避難者へのアンケートによれば、全体では大体6割以上は「もう戻らない」と回答しています。

 

 

私たち聖公会の支援活動は、当初の「いっしょに歩こう!プロジェクト」から「だいじに東北」「原発と放射能に関する特別問題プロジェクト」「Part Ⅱ」、そして今日の「東北教区東日本大震災被災者支援プロジェクト」や管区の「原発問題プロジェクト」へと続いています。活動の中で今まで継続している「水曜喫茶」は、原発避難者たちのために開かれているおちゃっこ会です。ここに集う人たちは10人もいませんが、とても貴重な集会となっています。たとえわずかな人数であろうと、その方々の心の拠り所、しばしの語らいの時、安らぎの一時となっています。そこに来られる原発被災者にとってそうなのですが、もっと喜ばしいのは、新地町で地震、津波、身内の死という被災された人たちご自身が、サービスする人となって、原発避難者たち(プラス地元の被災者たち)のパートナーになって、新しい間柄でお付き合いしていることです。広畑お茶会もしかりです。その関係する人たちの一人として、私たち支援者と教会婦人会員たちもいるのです。

 

被災者支援をしてきた一つの重要な収穫は、この新しい人間関係の構築と交わりの喜びにあります。9年間でその交わりにあった方の中で数人は亡くなられ、数人は転居されましたが、残された人たちの寄り合いは、待ち焦がれる日になっています。箱塚桜の名取買い物バス支援は別な形ですが、私たちが利用している人たちを見守り続けるのは、とても小さな働きですが、とても大切な働きでもあります。このような人間関係の現実が得がたく価値あるもので、私たちにとっては神様からの賜物です。

 

 

私たちは、今日イエス様の山上の説教を聞いています。「貧しくそれこそひもじくて欠乏していて、現実に打ちのめされ悲しんでいる、もうへたばってしまっている、正義はどこへいったと叫んでいる」人たちに対して、イエスはそういうあなたたちこそ「神の国を手にしているし、慰めを受けるから、神からのご褒美をいただけるから、正義はあなたのものだぞ」と語り聞かせています。ご苦労をされて何も希望がないようではあるけれど、そのような人に神様は側に付いているからな、それを信じろよ、とのお言葉を掛けてくださっておられます。そういう人々が神様にきっと報われるのです。

 

「憐れみの心、情けが深く、心優しく、神様の平安をしめし、痛めつけられている」人というのは、神様に良しとされ、祝福されるでしょう、と諭されています。私たちは、本日の特祷にあった「わたしたちがあなたの創造の美しさを回復させるために、小さい器として用いられますように」と祈ります。「そのために力と導きをお与えください」、と祈るものです。

 

「苦しみ、悩む人々と共に歩まれる」イエス様です。そのイエス様のように私たちも隣人として、友としてこの厳しい世の中を生き抜けられるため、本当にイエス様からのお力をいただきたいと願うのです。大震災も、その後にも発生している多くの自然災害、特に昨年の台風による痛手から人々を立ち上がらせてくださいますように、神様にお祈り致します。

 

主の平和

(2020年3月11日 主教座聖堂仙台基督教会にて)

司祭 フランシス 長谷川清純