主教室より

主教メッセージ

2014年 イースターメッセージ「お前が聖職になるころには」

日本聖公会 東北教区わたしの父親は、聖公会の司祭でしたが、若い頃は大分苦労もしたようです。 当時、木造・平屋の小さな病院であった聖路加国際病院の屋根の十字架に何かを感じ、東京月島の教会の門を叩いて、ミス・ヘンテという英国CMS(福音主義的な宣教団体)の宣教師のもとで、街角で太鼓をたたいての路傍説教にもつき合わされたと言っていました。 CMS系の福岡神学校に入学しますが学校が閉鎖、東京の聖公会神学院に、おそらく正規ではない形で学び、それからどういう経緯か神戸教区へ、そこでは英国SPG(カトリック的伝統の宣教団体)の主教、司祭の薫陶を受けます。その一人、ストロング神父という方を、父が七十歳を過ぎてから英国リッチフィールドに訪ね再会させたのが、わたしの唯一の親孝行であったように思っています。 その父が、わたしが後に聖職志願することとなった時に、ぼそっと言った一言が「お前が聖職になる頃には、教会は今とはまったく違った形になっているだろう」というものでした。

 

極めて伝統的な司祭像・牧会者像を生きてきて、「神父」と呼ばれていた(呼ばせていた?)人で、「ミサに生きる」という印象でしたが、同時にフランスの労働司祭の運動等にも関心を持っていたようです。伝統的なキリスト教社会の教会像が衰退した産業革命以降の社会で「歯車のようになって」労働する人々にキリストの福音を伝えるため、自らも労働者の一人となって工場に入り働く司祭の運動のことで、そのようなことへの共感もあったと思います。耳に残っている無口な父親の数少ない言葉です。

 

それから30年ほどが経ち、時々ふとこの言葉を思い出します。「教会はどう変わったのだろうか」。いやほとんど昔懐かしいままのように思えます。教会という建物があり、日曜日の午前中、それも10時半に信徒が集まり、祈祷書による礼拝が行われる・・。それらを否定するつもりはありませんが、あまり変わってもいないと思います。一方では宣教に関する考え方、信徒と聖職の役割に対する意識等、それなりに変化もしてきたでしょう。そして現実として、今まで通りには出来ないことも増えてきています。聖職者数の不足から日曜日の朝の聖餐式は出来ず、週日の夜に礼拝をしたり、信徒による「み言葉の礼拝」も増えています。それらの状況や変化をどのように考えるか?わたしは消極的な面ばかりとは思いません。

 

東日本大震災の3周年記念礼拝が英国でも捧げられ、いくつかの礼拝に参加し、教会や集まりを訪問する機会が与えられました(6月号『あけぼの』に詳細)。本当に古典芸術を守り続けるような古式豊かな礼拝から、祭服も着ず、ギターやドラムのバンドが支える礼拝まで。外見だけではなくいかにして教会が地域や人々の必要に応えていくかに対する真剣な試みや、あるいは神学教育の多様性等、いわば「本家」においても多くの試行錯誤があるようです。

 

かつて韓国の神学者が言いました。「彼らは自分で作ってきた歴史だから自分で変えることが出来る。我々は伝えられ教えられたことをただ守ろうとして、自分で考えないから変わることが出来ない」。 常に新しく生きようとすることは、「復活の信仰」に通じるものと思うのです。