教区報

教区報「あけぼの」

あけぼの2022年9月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「天の摂理に任せましょう」

 

 

イエス様は多くの悩みの中で12人の弟子たちを選ばれました。つまり、旧約聖書の12部族を代表していると思います。ところが12人の中にイエス様を裏切る人も選ばれたということです。どうして全能な方が弟子一人を間違って選んだのか?考えると、私たちも生きている中で「あ!あの友だちがいない方が、私たちのコミュニティはいいのに…。」と思うことがあります。

 

しかし、絶対に神様があきらめないのは、私たち自身がイエス様のようになることができるという希望です。これは、イエス様が贈り物としてくださった自由意志を通して成し遂げられるのです。したがって、イエス様は一度与えられたこの贈り物を奪われないのです。

 

この自由意志を通してイエス様を裏切ることもでき、イエス様のために命を捧げることもできるのです。完全にイエス様がくださった贈り物なので、神様はこの自由意志を侵害しません。ところが欲望は罪を生み、罪は死を生み出すように、人間は神様を裏切り、神様が贈り物として与えられた自由意志を互いに侵害します。

 

イスラエルの民が侵害しないのは土地です。神様から受けたので、売買ができないということです。

 

北イスラエルのアハブ王は宮殿の隣にあるナボトのブドウ畑を売るように言います。ナボトは「先祖から受け継いだ値をあなたに譲ることなど、主は決してお許しになりません」(王上21:3)と言います。

 

その言葉に腹を立て宮殿に戻ったアハブ王に異邦人の王妃であるイゼベルは、アハブ王の名で手紙を書いて彼の印章で封印し、その手紙をナボトが住む町の長老たちと貴族たちに送り、「神と王様を呪った」という理由でナボトを殺させました。

 

そしてアハブ王にそのブドウ畑を占拠するように言います。しかし、ブドウ畑に行ったアハブ王に、神はエリヤを送り、「その罪に災いを下し、子孫を掃き捨て、アハブに属する男は自由人であっても、イスラエルから取り除いてしまう」と言われます。アハブ王はこの言葉を聞くと、自分の服を引き裂き、裸体に粗布をかけて断食に入ります。

 

すると主は彼が生きている間はそのままにしておき、彼が死んだ後、この世代でその報いを受けるようにします。

 

同様に、私たちに与えられた自由意志は、神様が奪われなかった特権です。その自由意志を侵害した瞬間、関係性が崩れ不幸が始まるのです。人間関係の中で、私が誤った欲望に従うと、他人の自由意志を侵害するようになります。

 

ではどうやって生きるべきですか?まず、キリストのように考え、話し、行動できるよう修練しましょう。人は生まれたくて生まれたのではなく、死もまた同じように、私の体は私のものではありません。瞬間だけが私のものです。

 

私の瞬間をイエス様に奉献しましょう。それ以外のものは主の摂理に任せましょう。

 

そうしたとき、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラ5:22-23)という聖書の9つの実を結ぶことができるのです。

 

 

仙台聖フランシス教会 牧師 司祭 ドミニコ 李 贊煕

 

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