教区報

主教コラム - ほそ道からの記事

ほそ道から 第11回「3.11 心に留める」

今年も3月11日が近づいてきました。あの日から満8年がたち、9年目に入ろうとしています。

 

私はあの時、この地にはいませんでしたが、名取川を遡上する津波、押し寄せる並みの前を逃げるように走る車。ヘリから撮影された映像をリアルタイムで、固唾を呑んで見ていた自分がいたこと、この地の人々はどうなるんだろうと青ざめていたことを、今でもしっかりと覚えています。

 

 

この私たちの「覚えている」という行為は、とても大切なことだと思います。新約聖書の中でもしばしば使われていますが、「思い出す」「思い起こす」「心に留める」とも訳されている言葉です。

 

ヨハネ2:22に「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」と記されています。イエス様のことは、聖書の御言葉を思い出す・覚える・心に留めることによってのみ、理解できるようになるのでしょう。学者はこのことを、「教会は歴史と伝承に結びついているゆえ、『思い出す』は基本的なことである」と言っています。理屈っぽくなってしましました。

 

 

 

今年は教区内10箇所の教会で、「東日本大震災8周年記念の祈り」が持たれます。また管区事務所にご協力をいただいて、日本聖公会のすべての教会に、この祈りの集いに参加していただきたいこと、あるいは各々の場で、「同じ時 想いを一つに 皆で祈りを」献げていただきたいと呼びかけています。

 

今年も3月11日には「同じ時 想いを一つに 皆で祈りを」を合言葉に、大震災の事実を覚え、思い起こし、今なお、体と魂に痛みを負っておられる方々に心を留めたいと思います。

 

教区主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

※お祈りの式文はこちらからダウンロードできます。

ほそ道から 第10回「名は体を表せるか!?」

 昨年11月22~23日に開催された教区会で、「日本聖公会東北教区業務組織及び業務分掌規程」が全面的に改定されました。なかなか堅苦しい議案名ですが、要は教区にある様々な委員会の働きを整理して、決議機関と執行機関の関係を明確にし、スムーズな運営ができるようにしようというねらいです。

 

 その結果として、一部の委員会や部の名称が変更されました。その中でも教区の皆さんに目に付くのは、「教務所」が「教区事務所」に変更されたことではないかと思います。名前が変わる。これは単に「教」と「務」の間に「区事」という語を挿入したに留まるわけではありません。「名は体を表す」といいますが、まさにそのとおり、とても大切なことなのだと思います。

 

 

Circumcision of Jesus by Albrecht Dürer

 1月1日は、現在の教会暦では「主イエス命名の日」と言いますが、『1549年英国聖公会第一祈祷書』以来、「受割礼日」と呼んでいました。つまりイエス様が創世記17・9以下やレビ記などの律法に従って、神による繁栄の約束のしるしである「割礼」を受けられたことを大切にしていたわけです。それに対して「命名日」と呼ぶようにしたことは、マタイ1・23にあるように「神は我々と共におられる」や、イエスのヘブライ名「ヨシュア」の意味である「神は救い」を大切にしようということだと思います。

 

 私たちが洗礼を授けられた時、戸籍上の名前の前に、「洗礼名」をいただきます。これは、新生の命をいただいて、洗礼名のような生き方をして欲しいという希望もこめられているのでしょう。

 

 

 では「教会」という名称はどうでしょうか。単に「何かを教える会」ではなく、私たちがイエス様を主と仰ぐ限り、「神は我々と共におられる」ことを互いに分かち合い、体験できる共同体でありたいと思います。

教区主教 あけぼの2019年2月号

ほそ道から 第9回「居場所としての教会」

 10月22日(月)から25日(木)までの4日間、李 贊熙司祭・赤坂有司常置委員長と共に大韓聖公会テジョン教区をお訪ねしてきました。

 

 今回の訪問の目的は、9年間にわたって宣教協働者として東北教区で働いてくださっている李贊煕司祭を快く派遣してくださったことへの御礼と、両教区の今後の交流について意見を交換することでした。

 

 

大韓聖公会大田教区主教座聖堂

大韓聖公会大田教区主教座聖堂

 両教区の今後の交流について、ユ・ナクジュン主教様は、現在は教区間の交流だけれども、将来的には教会間の交流や人的交流が望ましい、との見解を示されました。そして最初は青少年の交流とかから始めるとよいのではないかとのことでした。それについては、明確なお答えはできませんでしたが、来年度以降、東北教区としても具体的な交流を計画できればと思います。

 

 さて、このような協議のほか、ユ主教様は私たちに社会宣教の実際を見せてくださいました。「ナヌメチップの家」と呼ばれる働きですが、一つは登校拒否等になっている中高生の支援活動。もう一つは繁華街にある市の青少年センターで、高校生以上の青年男女にたまり場を提供する働きです。これらはいずれも短期または長期の宿泊も可能で、つらい思いをしている彼らが安心して居ることのできる支援をしているそうです。

 

 

 

教会というのは、ある意味で「居場所」かもしれませんね。様々な場から集められた私たちが、御言葉と聖餐に養われ、この交わりの中に居ていいんだよ、と言っていただきました。それは私たちにとって、「安心して居ることのできる居場所」です。

 

 

 この一週間、あまり他の人とお話しする機会のなかった方が、「元気だった?」と声を掛け合い、気兼ねなくおしゃべりができる場、思いを分かち合える場、そんなホッとできる場でありたいと思います。

 

教区主教 あけぼの2018年12月号

ほそ道から 第8回「教会って何?」

 9月16日(日)から17日(月)の2日間、若松諸聖徒教会を会場に宣教部主催の教区修養会が開催されました。今年の修養会のテーマは「教会って何?」という、私たちの原点を探るものでした。
 

 

 お気づきになっておられる方もおられると思いますが、今の祈祷書の「教会問答」は「教会とは何ですか」という問いから始まります。それに対して前の文語の祈祷書(1959年祈祷書)の公会問答は、「あなたの教名は何といいますか」で始まっていました。
 

 これは大きな違いです。といいますのは、『1959年祈祷書』では教会(公会)は自明のことと考えていたようで、私と神様との関係に重点を置いていました。それに対して今の祈祷書は「教会とは何か」という問に対して、「主イエス・キリストにあって神に生きるすべての人の集まりで、神の家族、キリストの体」と答えます。私と神様との関係はもちろん大切ですが、その私は、キリストを頭とする肢体であり、キリストの体である教会を構成する大切な一人なのです。つまり個としての私は教会共同体の構成メンバーでもあるのです。
 

 

 

教会って何? 「部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」

(コリントの信徒への手紙Ⅰ 12・25~27)

 

 

 修養会の詳しい報告は『あけぼの』紙上でもあると思いますが、参加者は5つのグループに分かれて、「教会とは何か?どのような場なのか?」ということについて、作業手順に従って思いや考えを分かち合いました。
 

 結論が出たわけではありませんし、今後の課題なのですが、少なくとも教会は、「互いに配慮しあい、共に苦しみ、共に喜ぶ共同体」でありたいと思います。

 

教区主教 あけぼの2018年11月号

ほそ道から 第7回「経験したことのない?」

 今年は「今まで経験したことのない〇〇」という枕詞が、大雨や台風、地震などの自然災害を形容する言葉として使われています。確かに今までは9月に入ると、「二百十日」とか「二百二十日」といって、台風の季節を迎えていました。

 

 1959年に愛知県と三重県に甚大な被害をもたらせた伊勢湾台風の時には、寝ていた部屋の蛍光灯が点滅しながら揺れて、とても怖かったことを思い出します。潮岬に上陸した時も930mbだったそうですから、その大きさは想像を絶するものでした。しかし、その3年後の1961年9月に高知県室戸岬に上陸した第2室戸台風は925mbだったそうで、昭和30年頃から40年にかけては、結構毎年のように大きな台風が上陸しています。
そうしますと、「今まで経験したことのない〇〇」という枕詞は、余り正確な表現ではないことになります。とはいえ、この表現は2012年6月に気象庁が用い出したのだそうで、「重大な災害が差し迫っている場合に一層の警戒を呼びかけるため、使用される表現」なのだそうです。

 

 

 ということは、どのような大災害であっても、私たちは忘れてしまう存在であることを前提としているのです。確かに6月に行なわれた「第1回被災地巡りツアー」で名取市閖上の日和山を訪れたとき、慰霊碑と記された石碑が横たえられていました。その一つに過去の津波のことが刻まれていたのですが、ほとんど省みられることはなかっ

被災地巡りランチツアー

震災慰霊碑「芽生の塔」

たそうです。震災慰霊碑「芽生の塔」へ移動し、祈りを捧げました。この芽生の塔の先端の高さは8.4m、押し寄せた津波の高さになっています。

 

 もちろん私たちは、経験したすべてのことを記憶に留めておけるわけではありません。忘れられるから生きていけるという側面もあるでしょう。けれども私たちの人生・信仰にとって、忘れてはならないことを、しっかり意識して生きていくことが大切なのではないでしょうか。

 

教区主教 あけぼの2018年10月号

ほそ道から 第6回「掲示板」

 7月21日(土)、宣教部主催の「高齢者福祉について学ぶ会」が主教座聖堂ビンステッド主教記念ホールで開催され、私も参加しました。この集いは、信徒の高齢化とお独り暮らしの高齢者増加の中で、高齢者の方々と教会(信徒・教役者)がどのような関係を築いていけるのか、どのようなサポートができるのかについて学ぶどいうものでした。

 

 講師に具体的なお話を聞いた後、グループごとに分かち合いの時を持ちました。その時「教会の掲示板って大切なのよね。礼拝後の案内が聞き取りにくいこともあるし」そんな声にハッとしました。

 

 確かにどこの教会に行っても、玄関ホール付近に「掲示板」があります。でも私たちは、どれくらいこの掲示板に目を向けているでしょうか。礼拝出席簿に名前を書く、週報や月報をいただく、挨拶を交わす。礼拝前(礼拝後もそうかもしれませんが)はすることが多くて、そこまで目が向いていないかもしれません。

 

 このように、教会の中であまり目立たず、ひっそりと玄関ホール付近に佇んでいるのが「掲示板」なのです。

 

 

 ところでこの「掲示板」、教会法ではなく「宗教法人法」というこの世の法律によって設置が義務付けられています。だから玄関ホールでなく教会事務所にあっても良いのです。けれども掲示板は、教会が信徒や関係者の方々に公式にお知らせする公文書を掲示する(10日間)道具なので、みんなの目に一番触れる所がいいということになります。

 

 教会の総会や教会委員選挙の公示、公告、教区から出された公示(教区会・聖職按手・人事異動など)、『教務所通信』や献金依頼のポスターなどあらゆる公のお知らせがここに掲示されます。

 

 掲示板には「十字架」のような霊的な意味はありませんが、私たちが教会生活を送る上で、大切な道具です。チラッと見てください。

教区主教

あけぼの2018年9月号

ほそ道から 第5回「痛みを共に担うには」

6月24日(日)、礼拝堂聖別一周年を迎えた磯山聖ヨハネ教会を巡回しました。加藤主教様を始め信徒の皆さんと感謝の聖餐式をお献げした後、午後は祈りの庭での短い黙想、そして祈りの庭から海に向かって車で3分の所にある、磯山展望緑地に移動しました。

 

ここには、磯山の信徒の方々をはじめとする埒浜地区有志の方々の寄付によって、歌碑が建立されていました。碑には歌人の本多俊子さんが詠まれた、次のような歌が刻まれています。

 

磯山の
  枯れ葦原乃 津波跡
     舞ひていとほし
            鎮魂の雪

 

いろいろな哀しみが漂う、声にすると涙もこぼれそうな、そんな歌でした。

 

阪神・淡路大震災から23年、東日本大震災から7年。それ以降、どれだけの自然災害が起こり、多くの人々の命が失われ、傷つかれたことでしょうか。昨年から今年だけでも、九州北部豪雨や大阪北部地震、先日の西日本豪雨など、「想定外」という言葉が色あせるほどの災害が頻発しています。わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。

 

神様にかたどって創られた人間に委ねられた任務、神様が極めて良いものとして創造された世界の管理責任(創世記第1章)を、人間が御心に適うように果たしているだろうか? それが問われているように思えてなりません。

 

神戸教区では倉敷と広島にボランティアセンターを立ち上げ、近くボランティアの募集を始めるそうです。それに参加することも私たちの任務の果たし方でしょう。参加できなくても、日々の祈りをもって支える、それも大切な働き、任務の果たし方だと思います。私たちが自分のできるやり方で、痛みを共に担うことができますように。

教区主教

あけぼの2018年8月号

ほそ道から 第4回「終わりの始まり」

5月24日(木)、長谷川司祭、竹石教務所主事、吉田憲子姉の4人で福島県白河市に向かいました。白河行きの目的は、昨年の教区会で基本財産処分が決議された、白河基督聖公会の礼拝堂聖別解除式を行うためでした。

 

教区史を紐解いてみますと、1917年にマキム主教が伝道説教のために白河に来られ、1931年に本格的な宣教活動が始まっています。そして4年後の1935年には教会として活動を始めています。また1968年には現在地に、新しい礼拝堂が奉献され、希望に満ちた歩みを始めました。しかし、残念なことに教勢は期待されたようには伸びなかったようです。白河に関わられた信徒や聖職の皆さんには申し訳ないことですが、この地における宣教活動は断念せざるを得ませんでした。

 

訪れた白河基督聖公会は、白河小峰城址を東に望む閑静な住宅地の中に、静かにたたずんでいました。聖堂周りの広い敷地には、春の草花が美しく咲き乱れています。

 

その静けさの中で、聖別から満50年を迎えたこの聖堂での、最後の聖餐式の準備をしました。そして在りし日のこの聖堂での礼拝に思いを巡らせつつ、この聖堂から御国に旅立っていかれた信仰の諸先輩方との聖徒の交わりを感じつつ、聖餐をお献げしました。陪餐後の祈りに続いて、「礼拝堂聖別解除式」を行い、感謝とともにこの聖堂・祭壇などの聖別解除を願いました。

 

礼拝堂聖別解除というのは、私自身の経験の中では、新しい礼拝堂建築のために行われたものでした。ですから完全に礼拝堂を閉じてしまうという、このたびのような経験は全く初めてでした。

 

しかしこれは終わりではなく、新たな始まりにしたいと願います。神様と隣人に仕える新たな宣教活動の礎として、この地での経験を、別の場で用いていきたいと思います。

教区主教

 

あけぼの2018年7月号

ほそ道から 第3回「祈ること、祈られること」

「イースターが早い年は、春の訪れも早い」と昔から言い伝えられているそうですが、本当に今年の桜は早く咲きはじめました。主教館の庭も、最初にふきのとうが芽を出しました。それから水仙、スズラン、梅、土筆、たんぽぽ、れんぎょう、ゆきやなぎが次々と花を咲かせ、最後に鉢植えの桜が満開になりました。

 

その桜に先立つこと1ヵ月ほど前の3月11日、私たちは東日本大震災の7回目の記念の日を迎えました。今年はこの日が主日だったこともあり、一個所に集まって記念礼拝を守ることはできませんでしたが、宣教部のご尽力もあって「同じ時 想いを一つに 皆で祈りを」をテーマに、「午後2時46分の黙想」を各地で持つことができました。

 

この祈りの時は、日本聖公会のすべての教会にも呼びかけられました。その呼びかけに多くの教会が応えてくださったように思います。私が以前に勤務した教会でも、信徒の皆さんが想いを一つにして、祈ってくださったとのお知らせをいただきました。

 

本当に感謝でした。そしてそれは、「祈りを共にできた」ことへの感謝である以上に、「祈っていただいた」ことへの感謝なのだと思います。

 

今から23年前の阪神淡路大震災の時、神戸聖ミカエル大聖堂では震災後3日目から早朝聖餐式を再開しました。その聖餐式の代祷で、他管区の働きを覚えて祈る時、同時に世界の教会が被災地・被災者のことを覚えて祈ってくださっている、そのことをリアルに感じて、ふいに涙がこぼれたことを思い出しました。

 

他者を覚えて祈ることの大切さと同時に、他者に祈っていただいている自分がいる、ということへの感謝の思いを大切にしたいと思います。祈り・祈られる関係の中で、私たちが祈りの花束を満開にできれば、どんなにすばらしいことでしょうか。

教区主教

 

あけぼの2018年6月号

ほそ道から 第2回

先月の「ほそ道から」の最後に、方向感覚がずれている自分に気づいたこと、だから「回心の半分、90度だけ自分の磁石を変えて『道に迷わない』ようにしなければなりません」と記しました。これをお読みになって「回心の半分、90度だけって、何が言いたいのだろう、意味不明!?」と思われた方がおられるかもしれませんね。

 

今年は2月14日から大斎節に入りました。大斎節は復活日に洗礼を受ける予定の人々の準備期間として始まったようです。最初は3日から一週間程度だったものが、イエス様が荒野で40日間断食し試みられた物語と結びついて、現在のような「大斎節」になったと考えられています。

 

大斎節の始まりが洗礼準備期間だったということは、私たちがこの期節を守る上で、とても大切な点でしょう。教会問答の問19は、「洗礼を受ける人に必要なことは何か」に対して、「罪を悔い改めて悪の力を退け、イエスを救い主と信じ・・・」と答えています。

 

つまり自らの「罪を悔い改める」ことが、洗礼を受けることを願う人に求められているのです。イエス様の宣教の第一声も「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした。この「回心」とか「悔い改め」と訳されている言葉には、「180度向きを変える」という意味があります。つまり今までの自己中心の、自分だけを大切にする生き方から、神様を中心にする、神様と隣人を大切にする生き方に方向転換するということです。

 

私の方向感覚のずれは90度だけ向きを変えればよいのですが、私たちが誤った道に迷いこまないためには、どうすればよいのでしょうか。それは、今の自分がどの方向を向いており、何を大切にしているのかを、自らの心に素直に聴くことから始まるのではないでしょうか。

 

教区主教

あけぼの2018年3月号

ほそ道から 第1回

今月から教区報『あけぼの』のコラムを執筆することになりました。編集担当者から「このコラムの名前はどうしますか」と言われて、「そう言えば加藤主教様の時は『台原だより』とか『欅並木から』。他教区の主教さんのコラムも、洒落た名前がついていたような・・・」。というわけで、コラムの中味とは別のことを考え始めてしまいました。

 

主教室の窓から外を眺めていますと、晩翠通が目に入ります。うん、『晩翠通から』でどうだろう。いやいや、東北教区は仙台だけじゃないし。東北から連想して、みちのく、奥の細道。しかしこれでは芭蕉の真似になってしまう。それじゃあ『ほそ道から』では?   晩翠通も昔は細横丁と呼ばれていたそうですし、こじつけみたいですが、聖書にも「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか(マタ7・14)」という御言葉がありました。

 

「道」という言葉はとても意味深い言葉のようです。最近も「相撲道」という言葉が盛んに使われていましたし、スポーツだけでなく「茶道」や「華道」のように文化的なものも、日本では「道」になってしまいます。聖書の言葉で「道」というのは、道以外に旅、途中、途上といった意味もあります。その意味では、私たちも「信仰の旅の途上」にいるのでしょう。問題はどの方向を向いて旅しているのか、ということですが。

 

仙台に住み始めて戸惑ったことが一つあります。毎日、車で通勤していますが、主要道路は碁盤目状に近いので、すぐに道を覚えられると思ったのです。ところが時々方向感覚が狂っている自分に気づきました。南に走っていると思ったら、実は西だったりして。今まで生活してきた所では、山は北、海は南でした。ところがこの地は山は西、海は東なのだと。回心の半分、90度だけ自分の磁石を変えて「に迷わない」ようにしなければなりません。

 

教区主教

 

あけぼの2018年2月号