聖公会とは

わたしたちは

わたしたちは

日本聖公会という教会に属しています。「聖公会」とは世界約160カ国に広がり、約7000万人の信徒を擁する世界大の、伝統的なキリスト教会です。英語ではアングリカン・チャーチ(Anglican Church)と言い、世界の聖公会全体のことをアングリカン・コミュニオン(Anglican Communion)と言います。「アングリカン」とは「英国の」という意味で、世界の聖公会の母体は、歴史的には英国国教会です。

英国へのキリスト教の伝来

英国へのキリスト教の伝来

英国、とくにイングランドにキリスト教が伝えられたのは、一つは597年、ローマ教皇ベネディクトによってオーガスティン(英語読み。)が40名の修道士と共に英国に渡り、南部のカンタベリーを伝道の根拠地としたところから始まります。

一方、その以前からイングランド、スコットランド、アイルランドにはさまざまな形でキリスト教が入ってきていました。ローマの兵士や役人、交易の商人たちによって、また大陸での迫害から逃れてきたキリスト教徒もいました。彼らのキリスト教はローマとはやや性格を異にした、ケルト的な性格を帯びていたと言われます。

異なる二つの性格を合わせもって

聖公会とはどんな教会かを考える時、二つの要素は大事です。前者のオーガスティンの一行は「ベネディクト会」という修道院の伝統に立っており、ベネディクト会とは中世ヨーロッパを築いたと言われるほどに、当時のローマ・カトリック教会の中軸をなし、法律的にも整った制度、修道生活も厳密な規律を持ち、とくに「共同体の礼拝」を大変重んじる性格を持っていました。

一方の、ケルト的なキリスト教は、やはり修道院を中心としていましたが、法律や制度というよりは火や水、大地、風、いのちといった感覚的なもの、自然との調和を大切にする傾向を持っていたのです。
例えば「ケルト・クロス」と言われるものは、十字架の背後に丸い円がついていますが、それは太陽を表すと言われています。

共同の礼拝を規則的に守ることを大切にする面と、言葉にならない自然を愛する感性や調和を重んじる面、これらが聖公会という教会の性格をよく表わしていると思います。

16世紀の宗教改革

聖公会について、もう一つの重要な歴史は、16世紀の宗教改革です。よく「聖公会は、英国王ヘンリー8世が離婚して始まった教会では?」と言われてしまいます。確かにヘンリー8世は当時のカトリックの強国スペインから嫁いできたアラゴンのキャサリンと離婚しました。(結婚の無効を宣言した、という言い方です。)しかしたんなる男女問題ではなく、当時のヨーロッパ全体を精神的に支配していたローマ・カトリック教会、ローマ教皇から、近代国家としての英国が独立、自立していこうとする大きな潮流がそこにはあったのです。それまで聖書はラテン語しか許されておらず、礼拝もラテン語で行われていました。有名な宗教改革者ルターは命がけで聖書をドイツ語に訳し、聖公会の場合も、自分の国の言葉で聖書を読み、礼拝が出来るように改革していったのです。

祈祷書を中心に

英国の教会はChurch of Englandとなり、国教会となりました。信仰や教会の制度、礼拝の伝統においてはローマ・カトリック的なものを多く引き継ぎながら、英国の自律した教会となったことから、「聖公会」(アングリカン・チャーチ)は始まっていきます。とくに国民全体が、自分たちの国の言葉で、一定の様式に統一された『祈祷書』を用いて礼拝することが重んじられ、今日に至るまで、わたしたちは祈祷書を用いて礼拝を捧げています。英国教会の最初の祈祷書(The Bookof Common Prayer)は1549年で、それ以降現在まで世界中の聖公会はかなり共通した内容の祈りの本、祈祷書によって礼拝を捧げています。時代に応じた変化や改訂もありますが、基本的な内容は変わっていません。その祈祷書には毎週日曜日の中心的な礼拝である「聖餐式」はもちろん、毎日の「朝・夕の礼拝」、そして「聖婚式」から「葬送の式」まで、さらに病気の時の祈りや折々の祈りが含まれ、いわば人生の全体にわたる古代から現代にいたる祈りがおさめられているのです。

英国教会から世界の教会アングリカン・コミュニオンへ

英国の歴史自体が大変複雑ですし、またやがて1588年、エリザベス1世女王の時代にスペインの無敵艦隊を破った英国は、「7つの海を支配する」とまで言われる大国となり、それにつれて聖公会も世界に広がっていきました。当時は植民地支配の中での教会という面があったことも否めません。しかしやがて第2次世界大戦が終わり、アジアやアフリカの各国も独立していきます。アメリカやカナダ、オーストラリア、そしてアジア、アフリカ各地の聖公会は、歴史的には英国とカンタベリーを母教会と尊敬しつつも、それに属する関係ではなく、それぞれの国の聖公会が皆、対等で独立した関係を持ち、それでいて完全に相互に認め合った「交わり(コミュニオン)」となっていきました。これが今日の聖公会アングリカン・コミュニオンの形です。