教区報

教区報「あけぼの」

あけぼの2022年5月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「あから働く、あるいは生きる」

 

 

以下は、ある単語を辞書で調べた際の説明です。ある単語とは何かおわかりでしょうか。

 

「立場上当然負わなければならない任務や義務」「自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと」「法律上の不利益または制裁を負わされること。特に違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担」。

 

そう、ある単語とは「責任」です。しかし、これでは今一つ腑に落ちないと考えるのは私だけでしょうか。そこでその理由を考えてみました。そして思い至った結論は…。

 

これらの説明はすべて「義務」という言葉の説明にも置き換えられそうだからです。しかし「責任」を「義務」とまったく同義語としてしまって果たしていいのだろうか。そう思います。なぜなら聖書に学ぶ「責任」は「義務」とは対極にある「自由」という概念から生じた言葉で、「人として支え合い活かし合いながら、共に豊かな生を生きることを求め続けるための俯瞰的な視点」をもつことだと思うからです。

 

 

ダビデ王の時代に、ダビデの息子ソロモンによって神殿建設が進められることになりました。そのためにダビデは莫大な量の金、銀、青銅、鉄、木材などを寄進し、また民にも寄進を呼びかけました。結果、おびただしい量の資材が献げられましたが、その際のダビデの言葉「取るに足りない私と、私の民が、このように自ら進んで献げたとしても、すべてはあなたからいただいたもの。私たちは御手から受け取って、差し出したにすぎません」(歴代誌上29章14)は、自らの行為を果たすべき義務としてではなく、神の恵みに対する自由意思の応答として捉えています。これこそが、「人として支え合い活かし合いながら、共に豊かな生を生きることを求め続ける俯瞰的な視点」をもった聖書の教える「責任」だと思うのです。

 

新約聖書の「タラントンのたとえ」(マタイによる福音書25:14~)では、「責任」についてのさらに明確な対比が示されています。旅に出る主人が僕たちそれぞれに5タラントン、2タラントン、1タラントン預けるこの譬え話において、自由意思の応答として自らの「責任」を考えたのは、商売をしてさらに5タラントン、2タラントンを儲けた僕たち、義務としてしか自らの「責任」を考えられなかったのは、1タラントン預かって穴の中にそれを隠した僕です。すなわち、義務としてのみ捉える「責任」は常に、「言われたからやった」「嫌々やった」「そうしなければならないからやった」などの言葉で装飾され、かつ自分の保身がその中心にあるのに対して、自由意思による応答として「責任」は、「こうしたら喜んでくれるだろうから」「こうするとみんなが便利だから、嬉しくなるだろうから」などそこに義務感はなく、他者の存在を視界に入れていなければ出てこない発想です。中心にあるのは他者の存在でありその幸せとであるとも言えるでしょうか。

 

私たちは、役割や機能や義務に偏らず、同じ星に棲む者同士、希望や夢を共有するために自分に何ができるのかを探し求め続けること、そこに招かれています。そうして働くこと、生きることこそが、キリストに倣う人間としての「責任」だと思うのですが如何でしょうか。

 

 

仙台基督教会 牧師 司祭 ヨハネ 八木 正言

 

あけぼの2022年5月号全ページはこちら

あけぼの2022年4月号

巻頭言 イースターメッセージ 「おはよう、喜びなさい」

 

 

イエス様が十字架の上で死なれてから3日目の朝、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ、ヨハナなどの女性たちが、イエス様のご遺体が葬られた墓まで出かけて行きました。彼女たちは、悲しみをはるかに越えたショックを受けていたのですが、訪れた墓でそれ以上の衝撃を受けることになったのです。

 

1つは墓の前に座っていた天使が「イエス様は墓の中におられない。復活なさったのだ。弟子たちに復活されたことを知らせなさい」という意味のことを告げたのです。そればかりか、今度はイエス様が彼女たちの行く手に現れ、「おはよう」と言われたのです。確かに早朝ですから「おはよう」かもしれませんが、この状況の中でいくらイエス様でも「おはよう」はないんじゃないかと思われませんか。

 

この「おはよう」と訳されているカイローという言葉は、「平和を祈る」という挨拶言葉で、「喜ぶ」とか「喜び祝う」とも訳せる言葉です。例えばルカ伝で、失われた1匹の羊を見つけ出した羊飼いが、村の人々に「一緒に喜んでください」と言った、あの「喜び」と同じ言葉なのです。

 

そうしますと、このイエス様の「おはよう」は単なる朝の挨拶ではなく、「喜び祝いなさい」という意味なのではないでしょうか。では彼女たちは、そして私たちは、何を喜び祝えばよいのでしょうか。

 

 

その1つは、ご復活の最初の証人として選ばれた彼女たち、意味不明な天使の言葉を弟子たちに伝えに行こうとしていた彼女たちの行く手にイエス様が立っておられて「おはよう、喜び祝いなさい」と言われたことです。つまり悲しみと混乱の内にある人々の前に、イエス様は先回りして待っていてくださったのです。

 

もう1つの喜びは、この後イエス様が彼女たちに「行って、わたしのきょうだいたちにガリラヤに行くように言いなさい」と言われたことです。イエス様が言われる「わたしのきょうだいたち」とは、「弟子たち」のことでしょう。その弟子たちとは、宣教の初めからイエス様に召し出されていたにも拘わらず、勘違いばかりでイエス様のことが分かっていなかった弟子たち。「今夜、あなたがたは私につまずく」とイエス様に言われて、ペトロをはじめ全員が声をそろえて、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と大見得を切ったあの弟子たち。イエス様が逮捕された途端、蜘蛛の子を散らすように逃げ去り「イエスなど知らない」と自己保身のためにイエス様を見捨てたあの弟子たちのことです。そのような弟子たちですら、ご復活のイエス様は、「わたしのきょうだいたち」と呼んでくださるのです。

 

 

この「おはよう、喜びなさい」というイエス様の呼びかけは、2000年前の出来事であるだけでなく、今、この時にイエス様を「主」と呼ぶ私たちに対する呼びかけでもあります。いつ、どんな時にも、ことに私たちが悲しみや混乱のうちにあるときに、イエス様は私たちに先立って待っていてくださり、「喜びなさい」と慰めの言葉をかけてくださるのです。そして、このような私たちをも受け入れて、「わたしのきょうだいたち」と呼びかけてくださるのです。

 

このイエス様が、今日よみがえられたことを、心から喜び、お祝いしたいと思います。

 

 

教区主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

あけぼの2022年4月号全ページはこちら

あけぼの2022年3月号

巻頭言 東日本大震災の日に寄せて 「来て、見なさい」ヨハネによる福音書1章46節

 

 

コロナ禍になって3年目を迎えてしまい、様々な制約がある中で残念と思うことのひとつに、被災地訪問ができなくなったということがわたしにはあります。

 

石巻市大川小学校モニュメント「Angel of Hope」

山形に勤務していた時に信徒のみなさんの賛同を得て、2013年の新地町、石巻訪問から始まり、宿泊を伴う遠出計画は成りませんでしたが、土曜日や祝日に日帰りで回れる仙台市沿岸部、名取市閖上、女川町、南三陸町などを、年に春・秋の2回を目標に訪問させていただきました。

 

ご一緒くださった信徒の方からは「ニュースで見て大変なことだと涙が流れたが、実際に来てみると、画面だけでは伝わらないものを感じることができる。ただ行くだけなんて申し訳ないことかと感じていたが、来て良かった。」と感想をいただきました。

 

また、私自身が「いっしょに歩こう!プロジェクト」や「だいじに東北」の働きにかかわらせていただいたおかげで、多少なりとも現地での案内をすることができたことも感謝でした。そんな中で明らかに地元の人間ではないと見える集団に、毎回声をかけてくださる地元の方がいたこともうれしいことでした。山形から訪問させていただいていることを告げると「ほんとによく来てくださいました。ありがとう。」と言われて恐縮してしまいました。どの方とも良い出会いで、それこそニュースでは伝えきれない体験や思いをうかがうことができて、これも現地まで足を運ばないと体験できないことでした。

 

秋田に移動となり、釜石や気仙沼は片道約3時間の行程で、行けないことはないかななどと考えていたのですが、実現できないまま2年の月日が経ってしまいました。

 

3月11日が近づき、それを覚える礼拝は、今年も残念ながら各地に分散してのものとなりましたが、秋田では警戒レベルがさらに上がるとの予想が出ており、何とか3月までには安心できるレベルになっていることを祈っています。

 

 

そんなことを思いながら、何となく聖公会手帳をぱらぱらとめくっていてあることに気が付きました。教会の手帳ですから当然のことですが、公会の祝祭日が載っており、そのほか国民の祝日、広島・長崎原爆の日、聖書日課表の次にある「日記」には、ひな祭りや友引まで書かれているのに、3月11日の欄には(春期聖職按手節)の記載があるだけです。一般のカレンダーも手元にある分については特に記載はありません。ほかにも大災害と呼ばれるものは、年を追うごとに、残念ながら増えてくることでしょう。「それを載せるのならこれも」と難しいこともあるかもしれないのですが、日本聖公会のみならず、世界の聖公会が祈りと持てる力を上げて支援した東日本大震災、その日3月11日は、「いっしょに歩く」ことの象徴として日本聖公会の手帳とカレンダーに載せて記憶しても良いのではないかなと思いました。2011年以降に生まれた子どもたちは小学校の高学年になっています。この出来事を知らない人たちが年を追うごとに増えていくのでしょう。だからこそ、これからも教会は「3月11日・東日本大震災の日」を記憶し、何が起こり、わたしたちはどう動いたのか、その経験をどのように生かしているのか、今何をすべきなのかをあかし続けていきたいものだと思います。

 

秋田聖救主教会牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福

 

あけぼの2022年3月号全ページはこちら