聖公会とは
日本聖公会の歴史
日本聖公会の歴史
「黒船来航」のペリー提督も、初代駐日公使となり日米修好通商条約を締結したハリスも聖公会員でした。1846年に英国教会の信徒のジャン・ベッテルハイムが沖縄に伝道を試み、聖書の琉球語訳を行っています。そして1859年、チャニング・ムーア・ウイリアムスとジョン・リギンスという二人のアメリカ聖公会宣教師が上海から長崎に上陸、とくにこのウイリアムスはその後長く日本における宣教の働きを担っていくことになります。現在もよく知られる東京の立教学院(大学、小中高校)、また立教女学院などは、ウイリアムスの創設になるものです。他の教派も含めて、その時代以降、多くの宣教師が来日し、精力的に教会を設立してキリスト教を伝道し、しかしまたそれだけでなく多くの社会福祉事業、幼児教育、女子教育、高等教育の先鞭をつけていきます。東京・築地の聖路加国際病院等も聖公会の関係です。
現在の日本聖公会と東北教区
現在、日本聖公会には北海道から沖縄まで11の教区があり、教会数は約300、多くの関係学校や社会福祉施設等があります。
東北教区は青森県、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県の6県を範囲として、22教会、2伝道所(仙台)、1会衆、1礼拝堂(十和田湖畔)、そして16園の幼稚園、1園の保育園があります。
1891年(明治24年)にカナダ人宣教師と日本人の伝道師がはじめて福島で伝道を開始した時を起点として、2011年に宣教開始120年を記念しようとしています。アメリカ聖公会ルイジアナ教区からの司祭が長く奉仕し、貢献されたこともあり、ルイジアナ・西ルイジアナ教区と祈りの関係を今日も持ち、また韓国の大韓聖公会大田(テジョン)教区と交流をもって、現在も一人の司祭が東北教区(仙台)で働いています。このように海外聖公会との交流があり、また国内の他の教派、ローマ・カトリック教会やプロテスタント諸教会とも、現在では「エキュメニズム」と呼ばれる相互理解の深化や実際の協力関係が持たれています。
日本聖公会自体は2009年にチャニング・ムーア・ウイリアムス上陸・伝道開始からの150年を祝い、東京で大礼拝が行われ、カンタベリー大主教やアメリカ聖公会の総裁主教も参列されました。
さまざまに価値観も多様化した時代、また社会的、経済的にも世界的に不安定な時代にあって、教会はこの社会の多くの人々の魂の平安、本当の意味での「癒し」を求める「祈りの家」として存在し、また人間が自由と尊厳をもって、一人一人自分の生を受けとめ、また受け入れられ、尊重されていくことを求めて働き続けています。信仰を求めて求めて共に人生の旅路を歩みたいと願う方々が、教会の礼拝に参加され、洗礼を通してこの「旅の仲間」「信仰の家族」に加わっていかれることを切望し、また歓迎いたします。
「神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。
それは、み子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」
(『ヨハネによる福音書』第3章16節)