はじめての方へ
牧師からのメッセージ
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残ります。その中で最も大いなるものは、愛です。
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残ります。その中で最も大いなるものは、愛です。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ 13:13)
私たちは誰もが例外なく死を迎えます。
大金持ちであれ、社会的な地位を上り詰めた人であれ、世界の英雄と称えられた人であれ、古今東西、不老長寿を夢見てきた人類誰であっても、です。
にもかかわらず、どうせいつかは死ぬのだと分かっていながら、誰もが毎日を必死に生きようとしています。
怪我をしたり病気になれば、何とかして助かろうとします。災害に遭えば、当然のことながら必死になって復興しようとします。どうせ死ぬ存在なのだからそんなにがんばっても仕方がない、藻掻いてみてもくたびれ損、などとは思いません。
なぜでしょうか?科学万能の時代といわれ、最終的に自分に利益が返ってくる、何らかの見返りがある、最後には報われることには必死になれても、何の利益も返ってこない、何の見返りもない、自分の存在は無に帰してしまうのならできるだけ関わるのは止めよう、などと思いがちな今に生きる私たちであるのに生きようとするのです。
それは、私たちが意識しようがしまいが、あるいはそれが最終的には無に帰する―死を迎える―ことであろうが、「生きる」ことには死をも越える「意味」が包含されているからではないでしょうか。そして、死をも越える生きることの意味、それを私たちは「愛」と呼んでいるのだと思うのです。
たとえば目に見える所有物―家や財産―が一瞬にして無に帰してしまうような目に遭っても、共に支え合い、励まし合う存在が側にいれば、人は再び立ち上がることができます。逆に目に見える所有物に恵まれ、どんなに富んでいても、愛する者を失うことによって、たとえようのない喪失感に苛まれることがあります。この真実こそが、愛を分かち合うという生きることの本来の意味なのではないでしょうか。
私たちは今、この生きることの意味を受けとめ、精一杯毎日を過ごしているでしょうか。自分に利益をもたらしてくれるからとか、自分が心地いいからとか、楽しいからとか、そんな根拠を土台にしてしまっていないでしょうか。
生きることは愛すること…。この真実をしっかりと胸に刻む一人ひとりでありたいと思います。