東北教区東日本大震災支援室「だいじに・東北」
メッセージ
「あの日 “3月11日” から」-教会と地域のためにー
主教 ヨハネ 加藤 博道
3月11日のあの日から、あっという間に時間が経ってきました。本当に悲しいことに、それまでの普通の生活や夢や希望を一瞬で押し流されて生命を失った余りに多くの人々、家族をはじめ家や車、仕事、大切な多くのものを失った人々、言葉を超えた状況が今、わたしたちの教区の、この地に満ちています。がれきの中に泥にまみれて落ちている家族のアルバム等を見ると、いたたまれない気持ちになります。
主教座聖堂のある仙台の中心部は一見、以前の賑わいや明るさを取り戻してきたように見えます。しかしよく見ると、大小のホテルや店舗のかなりに青や白のシートがかけられ、「休業中」「閉店」という張り紙が見られます。また津波の被災地の深刻さは言うまでもありませんが、内陸部にもかなりの地震の被害があり、放射能の影響では東北教区の場合、とくに幼稚園が悩まされています。
仙台基督教会の林国秀司祭は最初の一週間は信徒の安否確認に、その後は信徒の方も協力して、手分けしながら訪問や支援の働きを続けられ、また東北教区の直接の信徒としては、おそらく唯一の犠牲者を出した磯山聖ヨハネ教会の管理牧師でもあるので、やはり度々その地とご家族を訪問されました。その他、各地での東北教区教役者の働き、各教区の活発なご協力と奉仕、ま
た東北教区の東日本大震災対策本部の働きについては、すでに「主教メッセージ2」(4月5日)でもお伝えし、また次頁以下に多少
詳しく報告されていますのでご覧ください。しかしその中では触れられていない、わたしたちの目に直接見えていない所でも、例えば東京や名古屋の物資集積所で連日奉仕された方々、全国の教会でそうした奉仕をなさり、祈りの時を持ってくださった方々が多くいらっしゃることに、心から感謝いたします。
昨年夏の「プレ宣教協議会」の基調講演で立教大学教授の西原廉太司祭は、聖公会の伝統が「パストラル」(牧会的)であることを指摘され、同時にその聖公会の伝統とする「牧会」とは、教会の信徒への配慮はもちろん第一としつつ、同時にその教区・教会が置かれた地域とそこの人々全体への配慮と奉仕でもあることに目を向けさせてくださいました。今そしてこれからの東北教区の働きは、やはり各教会、幼稚園・保育園、そして信徒お一人お一人の信仰生活、教会生活を守ると同時に、微力ながら被災地域の方たちがそれぞれの仕方で再び立ち上がっていくために奉仕するものでありたいと願っています。それぞれの地からお祈りとご協力をいただけますよう、東北教区、そして各教区の皆様にお願いする次第です。ただし今後の働きは、日本聖公会全体としての取り組みとなって、日本聖公会全体の中から選ばれたスタッフが仙台に、あるいは然るべき地に常駐することになります。
計画してきた「東北教区宣教120年」は見直すこととなります。記念礼拝を予定していた6月11日には津波の犠牲となられた磯山聖ヨハネ教会のグレース中曽順子さんの記念と共に、すべての犠牲者のため、この震災によって困難の中にある多くの人々を覚えて礼拝を捧げます。この地のすべての人の上に全能の主なる神の慰めと励ましの御力がありますように。そしてわたしたちの教会が主の愛を伝える小さな器として用いられますように、祈り求めます。