東北教区東日本大震災支援室

東日本大震災支援活動について

主の御名を賛美します。

 

2011年3月、東日本大震災発生後、東北教区は当初は対策本部、続いて支援室を立ち上げ、事態に向き合ってまいりました。そして同年5月から日本聖公会全体の取り組みとして東日本大震災被災者支援「いっしょに歩こう!プロジェクト」が発足、2年間活動が続いてまいりました。この活動の終了を前に、同運営委員会、主教会、管区常議員会、そして東北教区の常置委員会、宣教部等において協議を重ね、「いっしょに歩こう!パートⅡ だいじに・東北」として引き続き2年間活動を継続いたしました。

 

「だいじに・東北」も活動を終えるにあたり、私たちの心の到来したのは「まだ終わっていない。終わらせてはいけない」という思いでした。私たちの隣に苦しみ悩む人たちがいる限り寄り添い続けることが、東北に遣わされた教会の姿であると確信しました。

2015年6月にスタートした東北教区東日本大震災支援室の働きは、小さなものではありますが被災者の皆さんに寄り添い続けることは、私たち東北教区の証しであり、大事な宣教課題です。

 

どうぞ、今後とも皆様のお祈りとご支援をお続けくださいますよう、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


支援室の働きのため、皆様のご協力をお願いいたします。

 

振込先:七十七銀行 一番町支店

口座名義:宗教法人 日本聖公会東北教区

普通預金 口座番号: 9204792

 

振込先:ゆうちょ銀行

口座名義:東北教区東日本大震災支援室

郵便振替 口座番号:02270-7-119647

主教メッセージ

「『だいじに・東北』2年の歩み」主教メッセージ『普通の教会ができること―を目指して』

1-2 版画 この指とまれ2011年3月11日の東日本大震災発生後、日本聖公会の「いっしょに歩こう!プロジェクト」が正式に立ち上がるまでの約2か月は、まだ最初期の東北教区としての手作りの働き方も続いていた時期であった。それは震災の3日目には始まっていたことで、信徒が徒歩や自転車、また運転の得意な方が運転を担当して、とくに高齢の方たち、被災した信徒を訪ね歩き水や食糧を届け、共に祈っていた。ある意味では「原点」であったが、もちろん限界もあり、この大震災に対しては、日本聖公会全体の取り組みとなるべきと誰もが考え、5月頃から全教区的な働きとしての「いっしょに歩こう!プロジェクト」が立ち上がっていった。一つの大災害に日本聖公会が全体として向き合ったという点で、歴史的な事柄、大きな経験であったと言ってよいと思う。
2年間のプロジェクトが終わり、第2段階の展開として原発・放射能に関する管区の取り組みと、改めて東北教区としての取り組みが始まっていくとき、東北教区として、どのように考え、働いていくのか、改めて問い返すこととなった。

 

大震災発生直後、仙台市内の牧師たちが声をかけあい、1週間後に会合が開かれた。わたしとしては、いつもの市内の牧師たちが集まって、額を寄せあい「さあ、どうしようか」と話し合うものと思って参加したが、その会場はすでに多くの「プロフェッショナルなボランティア団体」、 支援活動の専門家の方たちで溢れていた。「昨日までアフリカの難民支援に行っていました」「何十台の大型トラックとテントと、大きな資金をすぐに用意できます」というような会話が飛び交った。「凄い」と思うと同時に、東北教区の現実も思いつつ、同じようにはできないということも感じた時であった。
「素人」であること、普通の街の教会(パリッシュ)に何ができるか、とその時から考えてきたように思う。現在の教会は「信徒の働き」を大変重要に考えている。信徒という言葉は、英語では lay、ギリシャ語の「ラオス」がもとにあるが、辞書で引くと、「信徒、素人、普通の人、門外漢」と出てくる。教会の中で、「信徒は素人だ」と言うと響きが適切ではない。むしろ特殊な専門家ではないが、良い意味で普通の人として、生活者として、その地に根ざして現実を生きている人たちと言いたいと思う。特殊な専門家は、特定の能力をもって、ある範囲の中で活躍し、それはなくてはならない存在であるが、同時にそれだけではない、日常に根ざした生活者の感覚が何事にも不可欠である。

 

「いっしょに歩こう!プロジェクト」も多くは支援活動専門ではない青年信徒が主体であったが、それでも特別の使命をもって、特別の仕方で集まって、一つの事柄に集中した、という意味では「専門的活動・特別活動」であったと思う。

 

東北教区という、率直に言って、幼稚園・保育園という幼児教育、保育の領域以外では、対社会的な活動の経験が乏しい教区にとって、これからの歩みがいかにして東日本大震災の現実に向き合いつつ、普通の教会として、普通の人として、しかし信仰の深みに触れるような経験を重ねながら、自分たちの属する地域社会と共に生きていくのか。2012年日本聖公会宣教協議会の宣言に即して言えば、教会の「マルトゥリア」(証し)、「ディアコニア」(奉仕)、「コイノニア」(交わり)、そして「レイトゥルギア」(礼拝)の普通の課題として、これからもずっと大震災を覚え続けていく仕方はどのようなものなのかと、それは今も問い続けていることである。そこからは東北の東日本大震災だけではない、各地の災害や、世界の戦争、紛争、多くの人々の苦難と犠牲に対する思いと関心が深まっていく筈と思う。
一方、別の視点からの課題としては、まさに専門性の必要がある。カトリック教会の働きは、教会ももちろんであるが、専門的集団としての「カリタス・ジャパン」、また特別の召命と働き方をすることのできる男女の修道会から大きな力を得ていた。世界のアングリカン・コミュニオンの中にも、災害支援を使命とする専門的な働きが存在する。聖公会は16世紀の宗教改革において、基本的には修道会を廃し、「パリッシュ中心」の教会となったわけで、その大切さと、弱さとが出ているように思える。パリッシュに足を置きながらも、もっと多彩で教会の枠を超えたような働き方も、日本聖公会の中で積極的に考えられてよいのではないだろうか。

 

上に挙げたこと以外に、この間、思い続けたのは「東北であること」の意味であった。もちろん災害や人間の困窮が持つ「普遍性」もあろう。しかしきっと多くの災害や苦難には、その土地の風土、歴史、地理的条件、環境、人々の文化、気質、社会全体の中での置かれた地域の特性というものがあろう。今はこれ以上展開することは出来ないが、「普遍の教会」(公会)でありつつ、ローカルな教会としての東北教区の可能な使命や特徴や、魅力や課題は何なのだろうかと、これからも考え続けていきたい。
何よりも各地にある多くの信徒、教役者と共に、とくに被災地、福島県に生活し働く方々の、その労苦を思いながら、祈りと働きを続けていきたい。

主教 ヨハネ 加藤博道

 

(東北教区東日本大震災被災者支援室報告書「だいじに・東北」2年の歩み)

説 教

東日本大震災7周年記念聖餐式説教

小さなものこそ大切にされる

 

主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

本日は、東日本大震災が起きて7年目を迎える記念の日です。その大切な日に磯山聖ヨハネ教会を巡回し、磯山の皆さんとご一緒に祈りの時を持てますことを、主なる神様に感謝したいと思います。

 

最初に、少し個人的な思い出話になりますが、私が磯山聖ヨハネ教会を初めて訪れたのは、今から40年前、1978年の9月初めのことでした。当時、聖公会神学院の3年生だった私は、同級生と2人で、南北海道・東北伝道旅行という企画を立て、東北教区では室根ナタナエル教会と磯山聖ヨハネ教会に一週間程度住まわせていただいて、礼拝を守る、近所の子供たちに呼びかけてキャンプなどをいたしました。そのときお世話になったのが、ときわ旅館の三宅 實さんとよしみさんご夫妻でした。私たちは教会の中に住まわせていただいたのですが、三宅さんが細かいところまで気を配ってくださいました。今から考えると、ずいぶんご迷惑をお掛けしたなぁと思います。

 

それから20数年たち、私は京都のウイリアムス神学館で館長をしておりました。東日本大震災が起きた時、私は「ウォー」という神学生の叫び声を聞き、テレビのおいてある部屋に降りて行きますと、テレビには、津波が畑や名取川を遡上していくありさま、その前を必死に走る自動車の映像を映し出していました。今まで見たこともなかったその有様は、私だけでなく一緒に見ていた神学生たちを、慄然とさせたものでした。その年の7月には、神学館のフィールド・ワークとして神学生全員を連れて被災地に入り、ほんの少しですがボランティアとして奉仕させていただきました。その中で、確か40歳以上の人しか相馬郡には入れないことになっていましたが、私はもちろん磯山を訪ねました。すでに三宅さんご夫妻は亡くなっておられたことを聞いていましたが、どこかでお二人の面影を見出そうとしていたように思います。

 

しかし、震災から5年を過ぎていきますと、私が生活していた京都(関西・西日本)では、被災者の皆さんのこと、被災地のこと、原発事故のことを毎朝夕の礼拝や主日聖餐式の時に代祷では覚えますが、少しずつ自分の意識から遠のいていっていたように思います。とても恥ずかしいことですが。

 

昨年11月30日、東北教区に着任した後、最初に小名浜聖テモテ教会の越山健蔵司祭を訪ねました。越山司祭は私に、「常磐自動車道を通って来るように」と、アドヴァイスをくださいました。ご存知のように、この高速道路は原発事故を起こした福島第一原子力発電所の近くを通っているからです。実際に自動車で走って見たことは、高速道路沿いに汚染土を入れた黒い袋が、たくさん積まれていました。また道路沿いには放射線量計があちらこちらに設置され、そのいずれもが2マイクロシーベルトを超えていました。それに驚いていると、反対車線からボンネットに「汚染土運搬中」と記したトラックの隊列にすれ違いました。

 

これらを見たとたん、京都では頭ではわかっていても、意識から遠のいていた現実が、まさに現実のものになったのです。当たり前のことですが、まだ震災は終っていないと。

 

今、被災地で起きていること、求められていることの一つは、バラバラになった共同体を結び合わせることではないかと思います。地震・津波・原発事故によって崩壊させられた共同体は、なんとか仮設住宅という形で幾分でも保っていました。しかし仮設住宅から復興住宅に移転していく中で、また分離が起こっています。23年前の阪神大震災の時もそうでしたが、せっかく復興住宅に移れても、そこで起きたのは高齢者の孤独死という問題でした。教区の東日本大震災支援室の働きの一つは、仮設住宅から復興住宅に移った方々の「居場所」を用意するというものです。とても大切な働きだと思います。

 

また、今日は東北教区内の12の教会で、「同じ時に 想いを一つに 皆で祈りを」をテーマに、午後2時30分から46分にかけて、「午後2時46分の黙想」という祈りの時を持つことになっています。

 

この計画を2月の主教会で報告しましたら、他の教区の主教様方が、ぜひその祈りの時を一緒にしたい、式文を送って欲しいとおっしゃってくださいました。そこで管区事務所を通して、日本聖公会の全ての教会に、今日の午後2時半から用いる式文が送られました。日本聖公会の思いを同じくしてくださる諸教会が、同じ時刻に、同じ祈りの言葉で参加してくださることになっています。

これらの働きは、そのどれもが小さく見えるものかもしれませんが、でもとても大切な働きです。

 

本日の福音書の中で、少年の持ってきたパンと魚を見た弟子のアンデレは、「こんなちっぽけな量では、こんなに大勢の人には、何の役にも立たないでしょう」と言いましたが、イエス様はその少年の献げた小さなパンと魚を祝福し、それを用いて多くの人を癒されたのです。

 

それと同じように、私たちの小さな祈りの力が、私たちと共に祈る小さな人々の祈りの力が、最も大きな力になるのです。イエス様は私たちの小さな祈りを用いてくださるのです、震災のこと、被災した人々のこと、亡くなられた一人ひとりのことを憶えて祈る。それはこの地に活きている人々にとって、覚えていてもらえることを、祈られていることを、そのことを実感できるとき、必ずイエス様がそれを私たちの生きる力にしてくださるからです。そのことを信じて、今日もまた、ご一緒に歩んで生きたいと思います。

 

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 

(2018年3月11日・磯山聖ヨハネ教会にて)