東北教区東日本大震災支援室「だいじに・東北」
メッセージ
東日本大震災1周年記念礼拝メッセージ『バビロンの流れのほとりに座り』
主教 ヨハネ 加藤 博道
被災地の様子、ことに仙台以北の津波の被災地について、テレビ等が報道するとき、復興の希望が見え始めているということにかなり焦点が当てられているように感じます。
「漁港の市場が再開した!」「魚の水上げがあった!」、「仮設の商店が再開された!」。 苦労の多いことは当然だけれども、負けてはいない!明るいという力強い言葉と映像が目に飛び込んできます。「そんなことはない」ともちろん言うことはできません。精一杯明るく振舞い、頑張って挫けないということを、否定したり軽視したりできる筈はありません。そして映像に映っていることも、もちろん嘘ではないのです。しかし例えば気仙沼では、このような言葉も聞きました。 「テレビは一部の再開した市場とか、そういうところばかり映していくんです」「一歩離れたその周辺一帯は、ほとんど手がついていない状態なのに」。
考えてみると、明るく元気に頑張っていることが「ニュース」になるわけですから、そうでない状態の方がもっともっと沢山あるということにもなるでしょう。
「まだ駄目だ」「もう駄目かもしれない」とばかり言い続けることが良いとも思えませんが、他方、元気なところばかり取り上げることもどうでしょうか。元気なところを取り上げたい、明るいところを見たい気持ちの陰には、もういい加減辛い場面を見ることには疲れたという、見る側の感情も潜んでいるのではないかと感じます。
「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。」 (詩編第137編) 有名な詩編の一節です。
紀元前587年から538年頃にかけて、イスラエルは超大国・新バビロニア帝国によって祖国を徹底的に破壊され、多くの人が異教の地バビロニアに連れ去られ、国民も分断されるという決定的な危機状態に陥れられました。大震災の地震、津波、放射能とは次元の異なることではありますが、生命の危機であり、家族を奪われ、故郷も仕事も、そしてそれゆえに「自分たち」というアイデンティティも危機に瀕するという意味では、通じる面もあると感じます。
安易に復興を語ることではなく、しかし悲観・悲嘆の中に沈み込んでしまうのでもない、生き続ける力というものは、どこから与えられるのでしょうか。
イスラエルにおいては、悲劇的なバビロン捕囚の中から、いくつもの後世に伝わる実践が生まれていきました。神殿は破壊されて失われたので会堂での聖書を中心とした集会、自分たち自身の固有性を保つための実践(割礼や安息日の厳守―時代が移ってからはイエスに批判されたものでもありますが)等です。
「同じようになる」と決して簡単には言えませんが、しかしそれでも東北の地において、生命が保たれ、愛する家族と生活が守られ、そして自分たちの誇りを支える仕事の営みが回復していく、そのようなことが起こることを信じ、願わずにはいられません。バビロンの流れのほとりで泣いたその涙が、どうぞぬぐわれますように、と。
「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれる」 (『ヨハネの黙示録』七章)
あけぼの2012年4月号より