教区報

教区報「あけぼの」巻頭言

「新たな創造を信じて」2017年3月号

東日本大震災から6年を迎えます。6年という月日は長いはずですが、6年前の「あの日」の出来事が一つ一つ鮮明に脳裏に焼き付けられ、昨日のことのようにしばしば思い起こしてきたのは、私だけではないであろうと思います。1ヵ月前のことでさえ記憶がおぼろになってしまうのにもかかわらず、「あの日」のことが頭から離れないのです。そして多くの方々が犠牲となり、また、家や財産を一瞬のうちに失ったという出来事は記憶としてだけではなく、現実としていまだに私たちの生活に大きな影響を及ぼし続けています。さらに、私たちを恐怖のどん底に落とし、この世の終末を想起させた東京電力福島第1原子力発電所事故は、故郷から人々を追いやり、家族を離散させ、今もその悲しみは綿々と続いています。

 
震災から10日が過ぎ、初めて磯山聖ヨハネ教会の皆さんが身を寄せられていた避難所(福島県新地町福田小学校体育館)を訪ねることができたとき、私を教会の牧師と知ったある被災者の男性から、「先生、神様がいるのなら、なぜこんなことが起きるのですか」と問いかけられたことが忘れられません。その時はただその声に耳を傾けるだけで、言葉も出ませんでした。その後もその声が耳から離れることはなく、折々に深く考えさせられてまいりました。私たちは、この世界が偶然の結果、存在しているのではく、神様が造られた世界であることを信じています。この世界は神様が何かの意図、計画を立てて造られたのだということです。創世記第1章にそのことが明確に記されています。そこには世界の創造だけではなく、人間の創造についても書かれ、人が神に罪を犯したこととその結末まで書かれています。創世記は、わたしたちが住んでいる世界について、人間について、自分について、自分の中にある問題の根源である罪について、その始まりと意味を深く私たちに教えています。

 
創世記1章2節を見ると「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を、動いていた。」と記されています。まだ、生物のいない地球は闇に包まれていて、形がなにもなかった世界には神だけが存在し、神の霊が水の上を動いていたという様子がそこに記されています。私が、震災直後に、磯山聖ヨハネ教会の建つ丘の上から見た光景は、まさにこの光景でした。美しかった田園は泥沼と化し、コンクリートの橋げたの残骸が地面に突き刺さって、まさにカオスと化した世界が広がり、絶望と悲しみだけの世界のようでした。しかし、その時すでに、目には見えませんでしたが、確かに神の霊は水の面を動き出していたように思えました。神の創造の力はこのようなカオスにこそ動き、働き、新たな開始を告げるというのが創世記の示しているところです。神の霊が働いて、形がなく何もない世界、すなわち混沌とした世界に神の霊が働き、動くことによって、いろいろなものが形作られ、混沌の中に、新たな世界が生み出されていきます。すべてを破壊し、奪い去った3月11日を忘れることはできないし、また、覚え続けなくてはならないと思うのと同時に混沌とした地の上を覆っていた神の霊がこの地に新しい創造と秩序を与えたように、聖霊が、今も私たちを覆って、新しい人、新しい働きをを創り出すことがおできになることを覚えたいと思います。私たちが信じている神様はそれほど偉大な神様です。このことに日々感謝をしながら歩み続けてまいりたいと思います。

司祭 ヤコブ 林 国秀

写真:旧磯山聖ヨハネ教会の丘から見た被災時の様子