教区報

教区報「あけぼの」巻頭言

「いつまで?」 2018年5月号

今年も3月11日を迎え、東日本大震災から7年目の時を迎えました。こういう振り返りの文章を書いていると、つい決まり文句のような「早いもので」という言葉を使ってしまいそうになりますが、「私の中では、時は止まったままです」「どれだけ時間が経とうが私には関係ない」という被災された方々の声を聴くと、私などが軽々に使ってはいけない言葉だなと思わされています。「ああ、もうそんなに時間が経ったのか」という思いは、やはり外側から見た思いだからなのでしょう。そして「この言葉は使うべきではない」という私の思いは、後ろめたさから来ているものかもしれません。忘れてはいません。決して忘れているわけではないのです。しかし・・・

 

 

震災の当初から支援活動の手伝いをさせていただき、「いっしょに歩こう!プロジェクト」「だいじに・東北」の働きの中で4年間関わらせていただきました。近所の方からも「今日も仙台(支援活動)かい。ご苦労さんだねー」と声をかけていただきました。

 

 

そんなある日、見知らぬ男性が山形の教会を訪ねてこられ、どこで知られたのか「教会でも支援活動をされているそうですね。私の友人も石巻の津波で死んでしまいました。どうかお祈りしてください」と涙ながらに言われました。直接の被害は少なかった山形県ですが、人と人の繋がりの中で、こんな悲しみがここにもあることを知らされました。その悲しみは癒されることはあっても、決して消え去ることはないのでしょう。こんな思いも教会は忘れてはいけないのだと思います。

 

 

それと対極をなすような言葉が聞かれ始めたのは、震災後3、4年目くらいからだったと記憶しています。「東北教区はいつまで支援活動をするの?」悪気ではないのでしょう。遠くから見ていると「もう良いのじゃない」と見えるのかもしれません。「ほかでも災害が起きているし、そっちも大事じゃない?」それもわかります。無関心でいてはいけないことです。でも、私たちの身近に悲しみ、傷ついている人たちがいるのです。少し意地悪とも思えてしまう問いかけに、不甲斐ない私は答えに詰まります。しかし人のことは言えません。私自身も遠くの悲しい出来事には、当初は涙することはあっても、ごめんなさい。いつの間にか忘れてしまっています。だからこそ東日本大震災のことは、東北にある教会、そして私は忘れてはいけないのです。

 

 

「いつまで?」に答えはありません。「終戦記念日」はすべての戦争犠牲者を覚え、永遠の平和を願う日であり「次の戦争が起こるまで」などという怖い期限はついていないでしょう。それとは違い自然災害はまたいつの日か私たちに襲い掛かってくるのでしょう。残念ながら今の私たちにはそれを完全に防ぐ手段はありません。しかし、自然の脅威に抗い、少しでも犠牲者を出さないように、少しでも悲しみに暮れる人を出さないようにと「これより先に家を建ててはならない」「津波はここまで到達した」と石に刻み、後世に伝えようとした先人がいたように、たとえ大災害を経験した人たちがいなくなっても、教会も生きている石碑として東日本大震災という出来事を語り継ぐ存在となることを願っています。なぜならば聖霊の導きの中で「語り継ぐ」人たちがいたからこそ、私たちはイエスという方と出会うことができるからです。遣わされた場所で何を語り継ぐか、それも教会の使命なのです。

 

司祭 ステパノ 涌井 康福

「東日本大震災7年目の3月11日・・・福島からフクシマへそして福島へ」  2018年3月号

間もなく春の訪れと共にフルーツ王国福島のリンゴ、梨、ぶどう…の木々が花芽をつけていきます。私が住まいするいわき小名浜は東北でも有数の漁業の盛んな港町です。

 

しかし悲しいかな津波で破壊された岸壁、市場は見事に再建されましたが、市場の出入り口はシャッターで閉ざされ7年過ぎた今もシャッターが上がることはありません。近くの観光客で溢れていた魚市場は、地元の魚は並ばず、三陸産、北海道産、千葉県産…と7年目の春を迎えても漁場の最盛期を迎えるはずの小名浜は元気がありません。未だ試験操業が脈々とエンドレステープのように続いています。

 

福島はいつの間にか世界のヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマと呼ばれるようになりした。震災から間もなくして郡山で開催された講演会で講師の方に福島と書いた講演の垂れ幕を、福島から急遽フクシマに訂正させられたことを思い出します。原発の被害を世界に発信するには福島でなくフクシマにそしてヒロシマ・ナガサキ・フクシマとするんですとその理由を説明されました。

 

福島と聞いただけで、7年経過した今でも上に原発の二文字が付きます。私が北海道旅行(毎年息子の墓参に出かけます)の際、お土産店の方にどちらからお出でになりましたかと聞かれて福島のいわきからと答えましたら、あー原発の福島から大変だね、「食べるものないよね」には唖然としました。北海道の物は安全だから沢山買って行きなさい。がんばってねと沢山おまけをいただきましたが、気持ちは複雑でした。6年過ぎても、福島は放射能の危険な地域のイメージが定着してしまったのか…、悲しい現実に向き合わされました。福島は福島でなくフクシマなんですかね…。

 

この話をいわきで宗教者の集まりで話したところ同じような体験をした方々が何人もいらっしゃいました。福島は「福音の島」福を呼ぶ島です。いわきの街中でも一時「ガンバッぺフクシマ」が主流でしたが最近はフクシマでなく福島と書かれたステッカーが多く目に留まるようになりました。想いのある温かな心を感じる福の島と福島に住まわれている方々と想いを共有したいのです。この呼び名だけで救われる人がいます。

 

今までに関わった2つの仮設住宅は、3月末を以って完全に閉じられます。仮設で不自由な生活を過ごされてきた大熊町、富岡町の方々は、復興住宅また新しい地域での生活が始まります。震災で地域が寸断され、また7年かけて出来た人との絆が再び寸断され、そして新しい生活に向き合います。最後に仮設に残された方々は殆どが超高齢者の方々です。このお正月も故郷に帰ることなくひっそりとお一人で仮設最後の大晦日、新年を迎えた方もいらっしゃいました。

 

聖テモテ教会はテモテ支援センターとして、3月までお付き合いをさせていただきました。限られた信徒の方が先達者の意思を継いで最後までほっこりカフェを継続していただいたこと、教会が主の器として試された7年間でありました。この震災に関わり教区を超えていわき市小名浜の仮設の人々を様々な形で支えお祈りくださった全国の教会・人々に感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。それでも5万7千人の故郷に帰れない人々のことを覚えお祈り下さいますよう心よりお願い申し上げます。

 

司祭 ピリポ 越山 健蔵(小名浜聖テモテ教会嘱託・テモテ支援センター)

 

※ 写真は被災直後の小名浜港

 

 

「神の恵みへの応答」  2018年2月号

5歳の時、先天性心室中隔欠損で心臓手術を経験しました。この心臓手術で肋骨を縦半分に切ったのですが、8歳の時、これを留めるために巻いていた針金を除去する手術をしました(現在は外科技術も進歩し、そのような“荒っぽい”手段はとらないようです)。26歳の時には当時在籍していた聖公会神学院の学生寮の階段で転落、頭蓋骨骨折急性硬膜外血腫で入院しました。思えば何度も入院を経験し、家族を含め周りの人たちに多くの心配をかけてしまったことを思わされます。

 

しかし、度重なる入院経験で糧となったこともあります。病室にいる人は居留守が使えないという事実を知ったことです。気分が落ち込んで、誰にも会いたくないと思うことは入院患者とて同じです。しかし病室にいれば逃げも隠れもできません。来る者拒まず応対しなければならないのです。ましてや相手が牧師である場合、病床で祈りが捧げられ、「早く良くなってください」と告げられて牧師が病室を出て行った後、「やっと帰ってくれた」と思うことも失礼ながらありました。病める人のために祈りを捧げることができたと満足感を覚えるのは牧師だけで訪問された側はホッと胸を撫で下ろしている、そんなことがあるかも知れない…。自身が牧師になった今、病床訪問の際に常に思い出す経験です。

 

病気や怪我はある意味でアクシデントですが、それ以外にも、これまでの人生で自ら招いた、あるいは不慮の出来事によって何度も挫折経験をしてきました。その度に「どうして自分がこんな目に遭うんだ」「なぜこんなに苦しまねばならないのだ」と神に叫びました。その時々は二度と起ち上がることはできないと感じもしましたが、そうした挫折経験も入院経験と同じように、マイナスで終わることはありませんでした。あの経験があったから今がある、そう思える自分がいます。だからこそ「すべてのことが相働いて益となる」というみ言葉が座右の銘でもあります。

 

イスラエルの民と神が関係を結ぶに際して、モーセもその後継者ヨシュアも、神が民に行われた恵みを思い起こさせ、その上で誰に仕えるかを選べと迫ります。そこには、その時は挫折経験だと思えたことであっても、そこに神の導きがあったから今があるということを想起させ、その導きに応えるために自らできることを神に対して捧げ出すのがあなたがたの責任ではないかという論理があります。

 

どうも「すべてのことが相働いて益となる」には時間が必要なようです。だからこそ教会は「待つ」ことを大事にしてきたのだとも思います。しかしこの「待つ」時間は、ただ「座して待つ」「静観する」だけの時間ではないと思うのです。人間的には挫折と思えることでも、それを通して命を育む存在があることを想起し、自分には何ができるかを考え捧げ出していく時間であるように思うのです。そしてそれは、財政逼迫や人的問題など課題を抱える教区にあっても同じではないかと思いますが如何でしょうか。

 

「主は命を 与えませり
主は血しおを 流しませり
その死によりてぞ われは生きぬ
われ 何をなして
主にむくいし」
(聖歌第506番第1節)

司祭 ヨハネ 八木 正言