東北教区東日本大震災被災者支援プロジェクト

説 教

東日本大震災9周年記念の祈り説教(盛岡聖公会)

司祭 ヤコブ 林 国秀

午後2時46分の黙想 −同じ時 想いを一つに 皆で祈りを−

 

東日本大震災9周年にあたって

 

盛岡聖公会 牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

 

2011年3月11日の東日本大震災から9周年を迎えました。東日本大震災において、犠牲となられた方々は、行方不明者の方々と併せて18,428人、また、岩手県においても5,787名といずれも警察庁から2020年3月6日現在の状況として発表されています。心から主の平安とみ守りが豊かにありますよう覚えてお祈り申し上げます。

 

 

さて、今日私たちは東日本大震災9周年記念の祈りを捧げるためここに集まっておりますが、9年が経過したとはいえ、あの日の出来事が昨日のことのように思い出されてくるのは私だけではないと思っています。そして私にとって、毎年この日を迎え、この礼拝の回数を重ねる毎に、あの時味わった恐怖や多くの方々が犠牲となられた悲しみや痛みは、自然に消えるものとでなく、また、忘れられないこととしてでもなく、むしろ忘れてはならない出来事だということを確信するようになってまいりました。教会は、2000年前にイエスさまの受けられた十字架上での苦しみを忘れないために聖書の中にこの出来事を詳細に書き残し、またその苦しみを記念するために聖餐式という礼拝を残して繰り返し祈り続け、現代に至るまで伝えてまいりました。苦しみや悲しみを忘れないためにでなく、その苦しみを覚えるために祈り続けてきたのです。同じように東日本大震災の苦難も覚えて祈り続けることが求められております。毎年3/11には幼稚園の子どもたちもここでお祈りを捧げていましたが、今年は新型コロナウイルルス感染症予防のため子どもたちと一緒にお祈りできなくなったのが残念ですが、子どもたちは今週の月曜日に幼稚園のホールに集まってお祈りをいたしました。一番大きい子どもさんで満6歳ですので、当たり前の事なのですが、みんな大震災後に生まれた子どもたちですので、震災を経験しておりません。ますます、東日本大震災で何があったのか、起こったのかを風化させることなく、伝えることの責任を私たちが負っていることを強く感じたところです。

 

また、この3/11が近づいてまいりますと、テレビや新聞、ラジオでも3/11の特集として被災地の今が報じられ、防災についての啓発がなされます。先日は岩手県の釜石市と大槌町の状況が報じられていました。いずれも津波で甚大な被害を受けた三陸沿岸地域です。かさ上げ工事や防潮堤の建設、そして災害復興住宅の建築も進んでいるもののいまだに応急仮設住宅でお暮しになっておられる方々が、いらっしゃるということでした。様々な個別の事情などもあるようですが、このようなケースがあることも覚えてほしいということを伝えたかったのだろうと思います。さらに、福島の原発事故による住民避難や家族離散問題の解決は一向に進んでいないことが報じられています。このような状況にある方々のことを聞くにつれ、覚えて祈り続けなくてはならないという気持ちを強くいたします。そして東日本大震災は自然災害という側面だけでなく、福島の原発事故に象徴されるような、附随して起こった難しい問題が複雑に絡み合った災害となりました。さらに被災者の心の復興ということを併せて思う時、いつになれば復興は終わったと皆で喜びあうときが来るのでしょうかと思わせられます。その終わりがいつ来るのか私たちにはわかりませんが、このように祈り覚え続けることが求められいることを確認したいと思います。

 

 

最後に今日は新型コロナウイルス感染症拡大防止の注意喚起によりご自宅で時間を合わせてお祈りせざるを得なくなった方々が多くいらっしゃる中、こうして礼拝堂でもお祈りを捧げることができましたことを感謝いたします。そして、大きな痛みを負った全ての人々の上に今もこれからも神様のみ守りが豊かにありますようにご一緒に祈りを続けてまいりたいと思います。父と子と聖霊のみ名によってアーメン。

 

 

 

(2020年3月11日 盛岡聖公会にて)

司祭 ヤコブ 林 国秀

東日本大震災9周年記念の祈り説教(仙台基督教会)

司祭 フランシス 長谷川清純

午後2時46分の黙想 −同じ時 想いを一つに 皆で祈りを−

 

苦しみ、悩む人々と共に歩まれるイエスよ

 

仙台基督教会 牧師 司祭 フランシス 長谷川清純

 

父と子と聖霊のみ名によって アーメン

 

毎年、私たちは周年記念を東北教区主教座聖堂でささげてまいりました。今年は様相がいつもと異なっております。昨日は政府からイベント自粛を10日間程度延長が要請されました。それでも、宮城県内では感染者がお一人という状況から、この礼拝を中止にする話題はでませんでした。という訳で私たちは集っております。

 

始めにいくつかの数字をお伝えします。(11日の河北新報朝刊より、2020年2月1日現在)

 

・死者(行方不明者)

  • 岩手 04,765人(1,112人)
  • 宮城 09,543人(1,217人)
  • 福島 01,614人(0,196人)
  • 全国 15,899人(2,529人)

 

・震災関連死

  • 岩手 0,469人(2月末)
  • 宮城 0,928人(2月末)
  • 福島 2,304人(3月5日現在)
  • 全国 3,739人(19年9月末現在) =約2万人

 

私たちの教会信徒では、磯山聖ヨハネ教会の3名の方と、信徒ではありませんが教会のすぐ下のお家で亡くなられた、ご近所仲間であった1名の方を覚えて魂の平安をお祈りしたいと存じます。

 

 

・現在人口 (2011年当時人口)

  • 岩手県 122万人 (132万人)
  • 宮城県 230万人 (235万人)
  • 福島県 184万人 (202万人)

 

・避難者数 2月10日現在 (ピーク時)

  • 県内  岩手 01,729人 (04.4万人)
  • 県内  宮城 01,365人 (12.8万人)
  • 県内  福島 10,060人 (10.1万人)
  • 県外  岩手 00,985人 (01,702人)
  • 県外  宮城 03,969人 (08,633人)
  • 県外  福島 30,914人 (62,831人) =未だ4万7千人

 

 

 

2011年3月11日から9年経ちました。被災者にとりまして、また私たちにとりましてこの9年間というものはどのようなものだったのでしょうか。3月11日を前にして最近、特にテレビ新聞で番組や記事の特集がかなり組まれました。1月11日にこの聖堂で上映した映画「福島は語る」に出てきた被災者もそうなのですが、何人かが「大震災後初めて泣いた、それまで見せてなかった涙を初めて流した」、というのには非情に胸詰まるものがありました。9年目になるまで、その方々は辛さ、切なさ、やるせなさ、悔しさ、憤り、嘆き、無念さを心の奥底深くに押し留め続けておいた訳なのです。なんと人は悲しい者なのでしょうか。涙を流せて少しだけ心の痛みが和らぐのに、とても長い歳月が必要でした。

 

あなたはどうこの9年間を生活してきたのでしょうか。双葉、大熊、富岡では5日から10日にかけて避難指示が一部解除になりました。時期的に見て、東京オリンピック、聖火リレーと合致しています。しかし、実際の所、避難者へのアンケートによれば、全体では大体6割以上は「もう戻らない」と回答しています。

 

 

私たち聖公会の支援活動は、当初の「いっしょに歩こう!プロジェクト」から「だいじに東北」「原発と放射能に関する特別問題プロジェクト」「Part Ⅱ」、そして今日の「東北教区東日本大震災被災者支援プロジェクト」や管区の「原発問題プロジェクト」へと続いています。活動の中で今まで継続している「水曜喫茶」は、原発避難者たちのために開かれているおちゃっこ会です。ここに集う人たちは10人もいませんが、とても貴重な集会となっています。たとえわずかな人数であろうと、その方々の心の拠り所、しばしの語らいの時、安らぎの一時となっています。そこに来られる原発被災者にとってそうなのですが、もっと喜ばしいのは、新地町で地震、津波、身内の死という被災された人たちご自身が、サービスする人となって、原発避難者たち(プラス地元の被災者たち)のパートナーになって、新しい間柄でお付き合いしていることです。広畑お茶会もしかりです。その関係する人たちの一人として、私たち支援者と教会婦人会員たちもいるのです。

 

被災者支援をしてきた一つの重要な収穫は、この新しい人間関係の構築と交わりの喜びにあります。9年間でその交わりにあった方の中で数人は亡くなられ、数人は転居されましたが、残された人たちの寄り合いは、待ち焦がれる日になっています。箱塚桜の名取買い物バス支援は別な形ですが、私たちが利用している人たちを見守り続けるのは、とても小さな働きですが、とても大切な働きでもあります。このような人間関係の現実が得がたく価値あるもので、私たちにとっては神様からの賜物です。

 

 

私たちは、今日イエス様の山上の説教を聞いています。「貧しくそれこそひもじくて欠乏していて、現実に打ちのめされ悲しんでいる、もうへたばってしまっている、正義はどこへいったと叫んでいる」人たちに対して、イエスはそういうあなたたちこそ「神の国を手にしているし、慰めを受けるから、神からのご褒美をいただけるから、正義はあなたのものだぞ」と語り聞かせています。ご苦労をされて何も希望がないようではあるけれど、そのような人に神様は側に付いているからな、それを信じろよ、とのお言葉を掛けてくださっておられます。そういう人々が神様にきっと報われるのです。

 

「憐れみの心、情けが深く、心優しく、神様の平安をしめし、痛めつけられている」人というのは、神様に良しとされ、祝福されるでしょう、と諭されています。私たちは、本日の特祷にあった「わたしたちがあなたの創造の美しさを回復させるために、小さい器として用いられますように」と祈ります。「そのために力と導きをお与えください」、と祈るものです。

 

「苦しみ、悩む人々と共に歩まれる」イエス様です。そのイエス様のように私たちも隣人として、友としてこの厳しい世の中を生き抜けられるため、本当にイエス様からのお力をいただきたいと願うのです。大震災も、その後にも発生している多くの自然災害、特に昨年の台風による痛手から人々を立ち上がらせてくださいますように、神様にお祈り致します。

 

主の平和

(2020年3月11日 主教座聖堂仙台基督教会にて)

司祭 フランシス 長谷川清純

東日本大震災8周年記念の祈り説教

午後2時46分の黙想 −同じ時 想いを一つに 皆で祈りを−

すべての逝去者、困難のうちにある方々を覚えて

主教 吉田 雅人

 

主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ、どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない、

                        心の思いが御前に置かれますように、アーメン

 

 

 東日本大震災が起きてから、今日で満8年がたちました。今年もそのことを覚えて、「同じ時 思いを一つに 皆で祈りを」共にできたらと、東北教区から日本聖公会のすべての教会に呼びかけさせていただきました。ことに管区事務所のご協力をいただきまして、今日、用いている「8周年記念の祈り」式文を日本聖公会のすべての教会送っていただきましたし、実際に東京教区主教座聖堂、聖アンデレ教会からは、同じ時、同じ式文を用いて祈りますというお知らせをいただきました。

 

 さて、今回、この集いのためにどのような聖書の箇所を選ぼうかと悩んだのですが、先ほど拝読していただきましたマルコ伝10章46節からの「バルティマイの癒し」のお話は、すでにお気づきのように、「一緒に」とか「呼んできなさい」「イエスに従った」という聖句がキイワードになっています。ご承知のように東日本大震災の支援活動は「一緒に歩こう・・・」をスローガンに始まりました。多くボランティアの方々が、親族友人をはじめ多くを失い、悲しみの内にあった被災者の方々と、「一緒に」歩んでくださったことと思います。

 

 私と家族は、24年前の阪神淡路大震災で被災しました。大きな揺れのさなかに、神戸聖ミカエル大聖堂の鐘が、カーン、カーンと澄み渡るように鳴っていたことを、今でも鮮明に覚えています。当時は神戸教区で専任の主事をしていましたので、全国から送られてくる支援物資の受け入れ、それを必要としている人々や教会に分かち合うこと。またボランティア元年と言われて、聖公会関係のみならず、たくさんの方々が来られましたが、この人々の受け入れ業務などを行なっていました。

 

 東日本大震災のときには、7月に神学生を連れて、短い期間でしたが被災地をお訪ねし、東松島などで少しだけお手伝いをさせていただきました。また長谷川司祭さんに先導していただいて、南三陸町まで行きましたが、阪神淡路大震災と東日本大震災との大きな違いは、被災地の範囲の広大さと、津波の被害の甚大さだったことを痛感したものでした。

 


 

 阪神淡路大震災から22年、東日本大震災から6年を経た2017年11月に東北に着任し、小名浜の越山健蔵司祭のもとをお訪ねしたとき、健蔵司祭は「できれば東北道ではなく常磐道を通ってきてください」とおっしゃいました。もともとそのつもりでしたが、なぜ健蔵司祭はあえてそうおっしゃったのだろうか、と不思議に思っていました。そう思いながら常磐道を走っていましたら、高速道路の両側に黒い大きな袋が壁のように山積みになっており、同じような袋が山の中に作られた空き地に、一杯詰まれていました。また反対車線を「汚染土運搬中」と書かれた横断幕を車体の前面につけたトラックの車列とすれ違いました。福島では、風評被害に苦しむと同時に、原子力発電所周辺の未帰還地域では、汚染土の除去がこれからも続いていくという現実を、まざまざと見せつけられたのです。

 

 京都にいたときには、原発の解体作業は全く進んでいないことも知っていましたし、東京オリンピックが決まったときにも「何が復興オリンピックだ!!」と怒っていましたが、実はそれは、自分の頭の中で理解していた抽象的な事柄に過ぎなかった、ということに気づかされて、とても恥ずかしくなりました。

 

 いかに自分が被災地から、被災者の方々から遠く離れてしまっていたのか、一緒に歩けていなかったのか、ということにまざまざと気づかされました。「常磐道を通って」と言われた健蔵司祭さんのねらいはこれだったのか、と気づかされました。

 

 今の私たちの社会には、「寄り添う」という言葉が定型句のように使われています。今の為政者たちも、「沖縄の人々に寄り添って」とか「被災地の人々に寄り添って」と、簡単に口にします。でも、そんなことがほんとうにできるのか? とても疑問に思ってしまいます。阪神淡路の時もそうでしたが、川を一本越えて大阪に入れば、そこにはきらびやかな世界がありました。仙台市内の中心部にいると、今は人と物であふれています。しかしほんの10Km南の荒浜地区や名取市の閖上に足を伸ばせば、8年たっても荒涼とした浜がそのままなのです。

 


 

 新約聖書には「寄り添う」と訳された言葉は見当たりませんが、それに近い「そばに来る」とか「そばに行く」、あるいは「近づく」という言葉が、福音書だけでいえば82箇所使われています。しかし面白いことにイエス様の方から「そばに来てくださる、近づいてくださる」のは3箇所だけで、マルコ伝1:31以下のペトロのしゅうとめの熱を癒された時、マタイ伝17:7の「変容の物語で恐れる弟子たちに近づかれた」という箇所と、ルカ伝7:14で「ナインのやもめの一人息子の葬儀で、棺に近づかれた」という記事だけのようです。この「そばに来る」とか「近づく」という言葉は、「~のために行く」とか「~に対して行く」というように、明確な目的を持ってなさる行動を意味しているようです。

 

 つまり、イエス様がペトロの姑や、ナインのやもめの一人息子の棺に近づかれるのも、弟子たちや病気の人々、あるいは本日の福音書のバルティマイがイエス様に近づいていくのも、明確な目的があるのです。それは相手に対して遠くの方から何かをするというのではなく、近づいて、そばによって、顔と顔とを合わせて関わるということではないでしょうか。画像や電波を通してではなく、実際にそこにいる、一緒にいる、存在するということが大切なのだと思います。

 

 イエス様は、苦しむ人々に対して近づいていかれました。イエス様は私たちの罪をあがなうために、十字架に進んでいってくださいました。まず、イエス様が私たちを覚えてしてくださったことに感謝しつつ、私たちもまた、イエス様の御跡を踏んで、今も悲しみ・苦しみのうちにある人々に近づいて行ければと思います。言葉だけの「寄り添う」ではなく、思いと行い、そして祈りをもって「寄り添う、そばにいる、近づいていきたい」と思います。

 

 

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 

 

2019年3月11日 主教座聖堂仙台基督教会にて

東日本大震災7周年記念聖餐式説教

小さなものこそ大切にされる

 

主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

本日は、東日本大震災が起きて7年目を迎える記念の日です。その大切な日に磯山聖ヨハネ教会を巡回し、磯山の皆さんとご一緒に祈りの時を持てますことを、主なる神様に感謝したいと思います。

 

最初に、少し個人的な思い出話になりますが、私が磯山聖ヨハネ教会を初めて訪れたのは、今から40年前、1978年の9月初めのことでした。当時、聖公会神学院の3年生だった私は、同級生と2人で、南北海道・東北伝道旅行という企画を立て、東北教区では室根ナタナエル教会と磯山聖ヨハネ教会に一週間程度住まわせていただいて、礼拝を守る、近所の子供たちに呼びかけてキャンプなどをいたしました。そのときお世話になったのが、ときわ旅館の三宅 實さんとよしみさんご夫妻でした。私たちは教会の中に住まわせていただいたのですが、三宅さんが細かいところまで気を配ってくださいました。今から考えると、ずいぶんご迷惑をお掛けしたなぁと思います。

 

それから20数年たち、私は京都のウイリアムス神学館で館長をしておりました。東日本大震災が起きた時、私は「ウォー」という神学生の叫び声を聞き、テレビのおいてある部屋に降りて行きますと、テレビには、津波が畑や名取川を遡上していくありさま、その前を必死に走る自動車の映像を映し出していました。今まで見たこともなかったその有様は、私だけでなく一緒に見ていた神学生たちを、慄然とさせたものでした。その年の7月には、神学館のフィールド・ワークとして神学生全員を連れて被災地に入り、ほんの少しですがボランティアとして奉仕させていただきました。その中で、確か40歳以上の人しか相馬郡には入れないことになっていましたが、私はもちろん磯山を訪ねました。すでに三宅さんご夫妻は亡くなっておられたことを聞いていましたが、どこかでお二人の面影を見出そうとしていたように思います。

 

しかし、震災から5年を過ぎていきますと、私が生活していた京都(関西・西日本)では、被災者の皆さんのこと、被災地のこと、原発事故のことを毎朝夕の礼拝や主日聖餐式の時に代祷では覚えますが、少しずつ自分の意識から遠のいていっていたように思います。とても恥ずかしいことですが。

 

昨年11月30日、東北教区に着任した後、最初に小名浜聖テモテ教会の越山健蔵司祭を訪ねました。越山司祭は私に、「常磐自動車道を通って来るように」と、アドヴァイスをくださいました。ご存知のように、この高速道路は原発事故を起こした福島第一原子力発電所の近くを通っているからです。実際に自動車で走って見たことは、高速道路沿いに汚染土を入れた黒い袋が、たくさん積まれていました。また道路沿いには放射線量計があちらこちらに設置され、そのいずれもが2マイクロシーベルトを超えていました。それに驚いていると、反対車線からボンネットに「汚染土運搬中」と記したトラックの隊列にすれ違いました。

 

これらを見たとたん、京都では頭ではわかっていても、意識から遠のいていた現実が、まさに現実のものになったのです。当たり前のことですが、まだ震災は終っていないと。

 

今、被災地で起きていること、求められていることの一つは、バラバラになった共同体を結び合わせることではないかと思います。地震・津波・原発事故によって崩壊させられた共同体は、なんとか仮設住宅という形で幾分でも保っていました。しかし仮設住宅から復興住宅に移転していく中で、また分離が起こっています。23年前の阪神大震災の時もそうでしたが、せっかく復興住宅に移れても、そこで起きたのは高齢者の孤独死という問題でした。教区の東日本大震災支援室の働きの一つは、仮設住宅から復興住宅に移った方々の「居場所」を用意するというものです。とても大切な働きだと思います。

 

また、今日は東北教区内の12の教会で、「同じ時に 想いを一つに 皆で祈りを」をテーマに、午後2時30分から46分にかけて、「午後2時46分の黙想」という祈りの時を持つことになっています。

 

この計画を2月の主教会で報告しましたら、他の教区の主教様方が、ぜひその祈りの時を一緒にしたい、式文を送って欲しいとおっしゃってくださいました。そこで管区事務所を通して、日本聖公会の全ての教会に、今日の午後2時半から用いる式文が送られました。日本聖公会の思いを同じくしてくださる諸教会が、同じ時刻に、同じ祈りの言葉で参加してくださることになっています。

これらの働きは、そのどれもが小さく見えるものかもしれませんが、でもとても大切な働きです。

 

本日の福音書の中で、少年の持ってきたパンと魚を見た弟子のアンデレは、「こんなちっぽけな量では、こんなに大勢の人には、何の役にも立たないでしょう」と言いましたが、イエス様はその少年の献げた小さなパンと魚を祝福し、それを用いて多くの人を癒されたのです。

 

それと同じように、私たちの小さな祈りの力が、私たちと共に祈る小さな人々の祈りの力が、最も大きな力になるのです。イエス様は私たちの小さな祈りを用いてくださるのです、震災のこと、被災した人々のこと、亡くなられた一人ひとりのことを憶えて祈る。それはこの地に活きている人々にとって、覚えていてもらえることを、祈られていることを、そのことを実感できるとき、必ずイエス様がそれを私たちの生きる力にしてくださるからです。そのことを信じて、今日もまた、ご一緒に歩んで生きたいと思います。

 

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 

(2018年3月11日・磯山聖ヨハネ教会にて)

 

東日本大震災4周年記念聖餐式説教

「わたしは、あなたがたをみなしごにしておかない。」 

               
 沖縄教区主教 主教 ダビデ 上原 榮正

東日本大震災4周年記念聖餐式

 

 昨年10月末、沖縄教区の聖職、信徒数名で、福島の郡山聖ペテロ聖パウロ教会に寄せていただきました。その時、越山健蔵司祭と「原発と放射能に関する特別問題プロジェクト」を担当しておられます池住圭さんが、私たちを無人の町に、案内してくださいました。その車中で、池住さんが放射能の線量検知器で、車内の放射線量を計って見せて下さいました。車に乗っていて、目的地に近づくにつれ、放射線量がどんどんと高くなっていきました。私は正直、不安になりました。この中で生活をされている皆さま、怖くないのか、恐ろしくはないのか、本当に大変な思いをしておられることを、実感しました。

 お連れいただいた無人の町は、海浜近くの漁村でした。無人のはずが、ときどき大きな声が聞こえました。越山司祭の説明では、放射能の除染作業が行われているとのことでした。津波や地震で倒壊した家もありましたが、町全体としては家があり、車もあり、街灯がつき、一見すれば、普段よく見かける街並みでした。ただ一つ違うのは、家には光もなく、人影もなく、猫や犬の声もせず、話し声も聞こえないという、異常な状況でした。事故や事件で、町が無人となるような映画がありますが、これは世界の話ではなく、現実の出来事だと思うと、海風の寒さにより寒さを感じました。

 沖縄のように遠く離れていますと、震災の問題と原発の問題の大きな違いに気づかない所があります。地震、津波による被災者とその地域の人々は、復興に向けて歩みを始めることが出来ていても、原発事故による被災者の皆さまは復興も、元の生活に戻ることも、遠い将来のことになっていて、そこから発生している様々な問題を知らない方もおられます。

 私は、「いのちの川」5号の越山司祭の言葉が、深く心に残っています。「もはや原発問題は人権問題です。人が普通に生きる権利を奪っています。花を植えたい、畑で野菜を育てたい。猫を飼いたい。孫を呼びたい。子どもをおもいっきり外で遊ばせたい。・・・当たり前の日常に手が届かないのです。」読んでいて、涙が出てきました。それは、沖縄でも日常生活が奪われ、失われていることと重なったからです。何の変哲もない生活が、すごく重要、でもそのことに気づかないでいます。人は無くしてみて、愚かにも気づきます。

 私は遠く離れて暮らしていても、東北のことは自分の問題としなくてはならないと感じています。何故なら、特に原発の問題は、沖縄の米軍基地問題と似かよっているからです。

 よく他府県の方が、沖縄には米軍基地があるから、多くの政府援助や補助金が落ちて良いね、と、仰います。原発のある町や村でも、同じようなことがあると思います。でも、米軍基地も原発も、誰も自分の所にあって欲しいとは思っていないと思います。力がなく弱い所、多くの国民から目が届きにくく、自分たちとは関係がない、関わりがないと、思われている所に、原発も、基地も置かれていきます。そして、基地や原発があれば、生活や暮らしが豊かになる、楽になる、と踊らされて、誘致が行われます。反対する人たちには、お金や法律で縛り、あるいは脅し、小さな村や町に、置いているのが現実だと思っています。

 生活のために、家族のためにと、容認している人々と、家族のため、生活のために、命のために反対をしている人々が、原発でも米軍基地でも存在します。そこで起きていることは、地域を二分しての住民同士の争いや敵対です。政府は、わざと分裂を起こさせ、自分たちの施策を進めやすくします。家族の中でも、地域でも、社会にも、分断が起こっています。地域の人々が感じることは孤立感、悲壮感、誰も助け手がいないという孤独感です。

 今日の福音書(ヨハネ14:15~20、25~31)は、イエスさまの告別説教の一部で聖霊を与える、約束の箇所です。イエスさまは、イエスさまを愛し、従う人は、イエスさまのみ言葉を守り、掟を守る。そんな人々と、イエスさまが父なる神さまと一緒にいるように、いつもいっしょにいるようにする。そのために、イエスさまは、父なる神さまが、弁護者を送られるようにお願いします。と聖霊の派遣を約束します。

イエスさまは、ご自分が十字架刑でこの世を去ると、弟子たちがみなし子のように、孤独になり、悲しみに陥り、自殺するのではないかと心配されます。私たちにとって、特に親しい人、家族との別れは、不安や恐れを呼び起こします。イエスさまに特に親しく、信頼されていたとも言われながら、イエスさまを裏切り、弟子たちからも離れたイスカリオテのユダは、自殺しました。

イエスさまは弟子たちにいつでも一緒にいるようになるため聖霊を送る約束をします。聖霊は、真理の霊、弁護者、パラクレートスと呼ばれ、この世の悪からイエスさまに従う弟子たちを守り助けます。聖霊は、どこか遠い所ではなく、弟子たちのただ中に、私たちの中に来られます。イエスさまを信じる人々の体を聖なる宮としてお住みになり、いつもイエスさまが共におられるという安心と平和を与えます。孤独や不安、恐れの中にいる人々に勇気、力、励ましを与えます。聖霊は不安、恐れに打ち勝つ平安、平和を与えます。その聖霊を、イエスさまは弟子たちに送られると約束しました。

 イエスさまは、「私の平和」という言葉を使います。聖餐式の時の「主の平和」です。イエスさまが与える平和は、この世が与える平和とは異なると、仰います。イエスさまの平和は、真の平和です。思い煩い、不安、恐れから解放する平和です。自分の力ではなく、神さまを信頼し、イエスさまを信頼し、全てを委ねる時に与えられる平和です。

 私たちは、いつも多くのことで、思い煩っています。将来のためにお金が必要だと考えます。身の安全や社会の秩序のためには警察が必要、国の安全のためには、軍隊が必要だと言います。病気になれば、病院も必要です。暮らしのためには電気も、だから原発も必要だとなります。周囲にあるのは、すべて必要なものです。しかし、あれこれと考えれば考えるほど、私たちは、不安や恐れに捕らわれていくばかりです。

 でも、世界が神さまの支配される神の国となり、平和になり、誰もが平等で、食べて、住むことが出来、行きたい学校に行き、自分のなりたい職に就き働き、必要なものが与えられるなら、お金は必要でしょうか。世界が神さまの支配の下に置かれ、犯罪がなくなり、うそがなくなれば、裁判所も警察も必要ありません。神さまの国には、人種も国籍も、国境も戦争も、軍隊も必要ありません。

 現実には、今は軍隊も裁判所も、警察も必要とする国や社会です。私たちの間に対立や争いがあります。震災から復興への考え方、原発の有無、米軍基地や自衛隊についても考えが違います。同じ震災被災者でも、避難できる人、できない人、避難した人、避難先の住民、避難せず、留まり生活している人たちなど様々です。みんな考え方、歩む方向、立場が違います。そのため、対話をしない、交わりがないなどと、分裂へと向いがちです。

 この世界は分離、分別、分断でコントロールされ、支配されています。自分の敵か味方かでレッテルを張り、個別化、孤立化を図ります。分裂は、社会では争い、紛争、戦争の種となります。個人については、不安や恐れを招き、孤独、悲壮感、孤立感を生み出し、自殺の原因になります。分裂や分断からは恐れや不安以外何も生まれません。

 イエスさまは「心を騒がせるな。おびえるな。」と語ります。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」述べ、「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。」と仰いました。

 私たちの中に、イエスさまが送られた聖霊なる神さまが宿っておられます。私たちの中に働かれる聖霊なる神さまは、真理の霊であり、私たちを一致へと導きます。神さまを信じる信仰の一致、神さまを愛し、神さまから愛されているという愛の一致です。一致から平和が生まれます。イエスさまが与えようとする平和、真の平和です。その平和が、思い煩い、不安、恐れから解放します。自分の力ではなく、神さまを、イエスさまを信頼し、全てを委ねる時に与えられる平和です。ですから、私たちは、分裂や孤立してはいけません。敵、味方をつくってはいけません。神さまが恵みや力を示されるのは一致し、協力し、助け合っていくときです。

 教会の力は、一致が生まれる時に現れます。人は愛し合い、互いに助け合い、支え合う時にのみ、何かを生み出す力や勇気を持ち得るのだと信じます。

 

東日本大震災4周年記念聖餐式

 原発問題も、沖縄の米軍基地問題も、短期間で終わる事柄ではありません。これからも長く続いていくことです。沖縄と東北、遠く離れてはおりますが、神さまが共に歩んでくださることを信じ、同じ神さまを信じる兄弟姉妹として、共に歩んでいきましょう。

「わたしは、あなたがたをみなしごにしておかない。」
                (ヨハネ14:18)

 

 

2015年3月11日 主教座聖堂・仙台基督教会