教区報

主教コラム

ほそ道から 第6回「掲示板」

 7月21日(土)、宣教部主催の「高齢者福祉について学ぶ会」が主教座聖堂ビンステッド主教記念ホールで開催され、私も参加しました。この集いは、信徒の高齢化とお独り暮らしの高齢者増加の中で、高齢者の方々と教会(信徒・教役者)がどのような関係を築いていけるのか、どのようなサポートができるのかについて学ぶどいうものでした。

 

 講師に具体的なお話を聞いた後、グループごとに分かち合いの時を持ちました。その時「教会の掲示板って大切なのよね。礼拝後の案内が聞き取りにくいこともあるし」そんな声にハッとしました。

 

 確かにどこの教会に行っても、玄関ホール付近に「掲示板」があります。でも私たちは、どれくらいこの掲示板に目を向けているでしょうか。礼拝出席簿に名前を書く、週報や月報をいただく、挨拶を交わす。礼拝前(礼拝後もそうかもしれませんが)はすることが多くて、そこまで目が向いていないかもしれません。

 

 このように、教会の中であまり目立たず、ひっそりと玄関ホール付近に佇んでいるのが「掲示板」なのです。

 

 

 ところでこの「掲示板」、教会法ではなく「宗教法人法」というこの世の法律によって設置が義務付けられています。だから玄関ホールでなく教会事務所にあっても良いのです。けれども掲示板は、教会が信徒や関係者の方々に公式にお知らせする公文書を掲示する(10日間)道具なので、みんなの目に一番触れる所がいいということになります。

 

 教会の総会や教会委員選挙の公示、公告、教区から出された公示(教区会・聖職按手・人事異動など)、『教務所通信』や献金依頼のポスターなどあらゆる公のお知らせがここに掲示されます。

 

 掲示板には「十字架」のような霊的な意味はありませんが、私たちが教会生活を送る上で、大切な道具です。チラッと見てください。

教区主教

あけぼの2018年9月号

ほそ道から 第5回「痛みを共に担うには」

6月24日(日)、礼拝堂聖別一周年を迎えた磯山聖ヨハネ教会を巡回しました。加藤主教様を始め信徒の皆さんと感謝の聖餐式をお献げした後、午後は祈りの庭での短い黙想、そして祈りの庭から海に向かって車で3分の所にある、磯山展望緑地に移動しました。

 

ここには、磯山の信徒の方々をはじめとする埒浜地区有志の方々の寄付によって、歌碑が建立されていました。碑には歌人の本多俊子さんが詠まれた、次のような歌が刻まれています。

 

磯山の
  枯れ葦原乃 津波跡
     舞ひていとほし
            鎮魂の雪

 

いろいろな哀しみが漂う、声にすると涙もこぼれそうな、そんな歌でした。

 

阪神・淡路大震災から23年、東日本大震災から7年。それ以降、どれだけの自然災害が起こり、多くの人々の命が失われ、傷つかれたことでしょうか。昨年から今年だけでも、九州北部豪雨や大阪北部地震、先日の西日本豪雨など、「想定外」という言葉が色あせるほどの災害が頻発しています。わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。

 

神様にかたどって創られた人間に委ねられた任務、神様が極めて良いものとして創造された世界の管理責任(創世記第1章)を、人間が御心に適うように果たしているだろうか? それが問われているように思えてなりません。

 

神戸教区では倉敷と広島にボランティアセンターを立ち上げ、近くボランティアの募集を始めるそうです。それに参加することも私たちの任務の果たし方でしょう。参加できなくても、日々の祈りをもって支える、それも大切な働き、任務の果たし方だと思います。私たちが自分のできるやり方で、痛みを共に担うことができますように。

教区主教

あけぼの2018年8月号

ほそ道から 第4回「終わりの始まり」

5月24日(木)、長谷川司祭、竹石教務所主事、吉田憲子姉の4人で福島県白河市に向かいました。白河行きの目的は、昨年の教区会で基本財産処分が決議された、白河基督聖公会の礼拝堂聖別解除式を行うためでした。

 

教区史を紐解いてみますと、1917年にマキム主教が伝道説教のために白河に来られ、1931年に本格的な宣教活動が始まっています。そして4年後の1935年には教会として活動を始めています。また1968年には現在地に、新しい礼拝堂が奉献され、希望に満ちた歩みを始めました。しかし、残念なことに教勢は期待されたようには伸びなかったようです。白河に関わられた信徒や聖職の皆さんには申し訳ないことですが、この地における宣教活動は断念せざるを得ませんでした。

 

訪れた白河基督聖公会は、白河小峰城址を東に望む閑静な住宅地の中に、静かにたたずんでいました。聖堂周りの広い敷地には、春の草花が美しく咲き乱れています。

 

その静けさの中で、聖別から満50年を迎えたこの聖堂での、最後の聖餐式の準備をしました。そして在りし日のこの聖堂での礼拝に思いを巡らせつつ、この聖堂から御国に旅立っていかれた信仰の諸先輩方との聖徒の交わりを感じつつ、聖餐をお献げしました。陪餐後の祈りに続いて、「礼拝堂聖別解除式」を行い、感謝とともにこの聖堂・祭壇などの聖別解除を願いました。

 

礼拝堂聖別解除というのは、私自身の経験の中では、新しい礼拝堂建築のために行われたものでした。ですから完全に礼拝堂を閉じてしまうという、このたびのような経験は全く初めてでした。

 

しかしこれは終わりではなく、新たな始まりにしたいと願います。神様と隣人に仕える新たな宣教活動の礎として、この地での経験を、別の場で用いていきたいと思います。

教区主教

 

あけぼの2018年7月号