教区報

主教コラム

礼拝堂探検隊 第5回「聖堂ー②」

 

日本聖公会の多くの聖堂は、英国の典型的な大聖堂を縮小し、簡略化した構造をしているものが多いようです。

 

このような大聖堂は、上から見ると十字架型をしているものが多いのですが、東北教区の教会で明らかに十字架型をしているのは、山形聖ペテロ教会の聖堂です。

 

この十字架の横木の部分をトランセプト tran-sept(翼廊)と呼び、縦木の会衆席の部分をネイブ nave(身廊)と呼びます。山形聖ペテロ教会では、右側のトランセプトにオルガンを置いています。翼廊の部分を小聖堂として用いている教会もあります。

 

ネイブ naveというのはラテン語のナヴィス(navis・船)からきた言葉で、教会をこの世の嵐の中を漕ぎ渡る船にたとえています。マルコ4・35に嵐の中、腕枕をして眠っておられたイエス様の話がありますが、このことを思い起こさせます。つまり、会衆席は「救いの箱舟・安心して居ることのできる場所」を象徴しているとも言えるでしょう。

 

 

左の写真は弘前昇天教会のネイブから祭壇方向を見たものですが、上下逆にしてみてみると、天井部分がなんとなく古代船(ローマ帝国時代の船)の船底構造に見えませんか。
 

 

教区主教

 

 

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礼拝堂探検隊 第5回「聖堂ー①」

聖堂入口脇にある洗礼盤をちらりと見て、洗礼の約束を思い起こした私たちは、聖堂の中に入っていきます。

 

その前に、聖堂の全体像を見てみましょう。もっとも、初代教会の頃、キリスト者は特別な集会場所をもっていませんでした。聖パウロの頃は比較的大きな家を持っていた信徒宅が主日に礼拝場所として提供されたようです。また、迫害時代には信徒宅以外に、こっそりと人目につかない場所に集まっていたようで、ローマのカタコンベ(地下墓地)は有名です。

 

 

しかし、313年のミラノの勅令によってキリスト教が公認されると、特定の礼拝場所として聖堂が建てられるようになりました。これらはバシリカ様式と呼ばれますが、当時のローマの法廷などの建物が、そのまま教会建築に応用されたようです。

 

その後、時代と共に建築様式はビザンティン、ロマネスク、ゴシックなどと移り変わっていきますが、その基本はバシリカ様式にあるようです。聖公会の多くの聖堂もこの様式を基本にしていて、その最も単純な形が右の構造です。

 

①は祭壇が置かれているサンクチュアリー sanctuary(至聖所)、②は朝夕の礼拝が行われるチャンセル chancel(聖所または内陣)、③はネイヴnave(身廊)と呼ばれる会衆席の場所です。

 

聖堂は原則として祭壇のある部分が東方になるように建てられました。そこで祭壇のある方を「東(Liturgical East リタージカル イースト)」と呼びます。聖堂が実際には東西方向に建っていない場合でも、祭壇のある方を「東」と呼び、その反対方向を「西」と呼ぶのが慣例です。ですから祭壇の方を向くことを「東面する」と言います。

 

教区主教

 

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礼拝堂探検隊 第4回「洗礼盤-③」

八角形の洗礼盤は5世紀頃、円形の洗礼盤は14世紀頃から始まったのですが、それ以前はどんな形だったのでしょうか。

 

イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになったのはヨルダン川でしたから、最初期は川や泉など、流れる水のある所だったようです。しかし教会の側に常に川があったわけではありませんから、3世紀頃には長方形の洗礼槽が現れました。水の深さは腰の少し下か、あるいは足首を洗う程度だったようです。

 

祈祷書81頁をみますと「司式者は・・・父と、子と、聖霊のみ名を唱えるごとに志願者を水に入れるか、またはその頭に水を注ぐ」とされています。この「水に入れる」洗礼方法を「浸礼」と言い、「頭に水を注ぐ」方法を「滴礼」と言います。「滴礼」も2世紀前後にはすでに行われていたようです。

 

「滴礼」の場合は、今まで紹介してきたような洗礼盤で十分なのですが、「浸礼」となるとそれなりの大きさの洗礼槽が必要となります。ロンドンのランベス・パレス南側にある旧ランベス聖マリア教会(現在は庭園博物館)の搭の半地下部分は、1900年頃に浸礼が行える洗礼堂に改修されたそうで、英国国教会でも二例しかないそうです。

 

 

海外聖公会はともかく、日本聖公会ではほとんど見ることができない、浸礼を行える洗礼槽が、山形聖ペテロ教会にあります。洗礼盤が置かれている洗礼堂のカーペットをめくると、その下にひっそりと存在しています。写真の左が洗礼槽で縦105㎝・横52㎝・深さ90㎝。内側はトタン板張りになっており、右奥に大きな木の栓があります。右側は司式者が立つ場所です。

 

この聖堂は1910年にガーディナーの指導でW・スマート執事によって建てられたものですが、その意味でも貴重な建物だと言えるでしょう。

 

教区主教

 

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