主教室より
主教メッセージ
2019年イースターメッセージ「ここにはおられない」
主イエス・キリストのご復活をお祝いいたします。
イエス様の復活の最初の証人に選ばられたのは、マグダラのマリアを初めとする3人の女性でした。イエス様は安息日が始まる直前に十字架で死なれたために、本格的なお葬式の準備ができませんでした。そこで彼女たちは、埋葬の準備のためにご遺体に塗る香料を買って、アリマタヤのヨセフの墓まで行ったのです。彼女たちの心配は、墓の入り口をふさいでいる大きな石を、誰が取り除けてくれるだろうかということでした。彼女たちは自分たちのしなければならないことに心を集中することで、イエス様が死なれた悲しみを忘れ、傷ついた心を癒そうとしたのです。
彼女たちが墓に着いた時、心配していた大きな石は除かれていました。中に入ると、イエス様のご遺体はなく、その空虚な墓の中で、彼女たちは白い衣を着た若者に出会います。その若者(たぶん天使)は、「イエス様は復活なさって、ここにはおられない。弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』」と告げたのです。そう言われても、「イエス様は復活なさって、ここにはおられない。ガリラヤでお目にかかれる」と言われても、彼女たちはその言葉の意味が理解できませんでした。
むしろ「ここにはおられない」という悲しい言葉、絶望の言葉、希望のひとかけらもない言葉だけが耳に入ってきたのでしょう。彼女たちにできることは、半狂乱になって墓から逃げ去ることだけでした。
天使は「弟子たちとペトロに告げなさい」と言ったのですが、その言葉も耳に入らなかったのです。
マルコ福音書はここで終わっています。それ以外の福音書では、ご復活のイエス様が「あなたがたに平和があるように」とか「弟子たちは主を見て喜んだ」といった表現がありますが、マルコはイエス様が復活されたという事実だけを述べています。それは私たちにとっては頭では理解できない事柄です。
ここで大切なことは、「イエス様は復活なさって、ここにはおられない。ガリラヤでお目にかかれる」と天使が告げたことです。十字架に死なれたイエス様はエルサレムにはおられないけれども、ガリラヤでお目にかかれる。死んだイエス様にはお目にかかれないけれども、復活されたイエス様には別のところでお目にかかれる、という点なのです。
別のところ、それはガリラヤでありローマであり、この東北の地でも、ご復活のイエス様にお目にかかれるのです。私たちが「主イエス・キリストよ、おいでください。弟子たちの中に立ち、復活のみ姿を現されたように、私たちのうちにもお臨みください。」と心を合わせて祈る時、イエス様は私たちにもご復活のみ姿を現してくださるのです。
ご復活のイエス様に目を注ぎ、心を向け、出会う時、私たちの心は大きな喜びで満たされます。イエス様のご復活を喜ぶ私たちの大きな喜びを、感謝の思いを、理屈ではなく私たちの生活を通して、この地に住んでおられる多くの人々に告げ知らせ、分かち合っていきたい、私たちの生活を通して人々に示していきたいと思います。
主教 ヨハネ 吉田 雅人
(あけぼの2019年5月号巻頭言)