東北教区東日本大震災被災者支援プロジェクト
活動報告
閖上・荒浜地区視察記
6月24日にプロジェクトメンバー5名で被災地の視察研修を行いました。
東日本大震災後13年目となり復興状況の現在を確認し、目で見ておくためです。
今回はリーフレット掲載上のモデルコース③として設定している、名取市閖上地区と仙台市若林区荒浜地区を中心として向かう事にしました。
「うちなんちゃー号」で高速を少し南下すると放射線量0.5~1μSvの表示が左前方に出てきました。福島市の駅前ですら0.125μSvなのに一同「意外と高いなあ」とため息後、多くの犠牲者が出た閖上小塚原地区にある、まもなく震災遺構としては無くなる、元「特別養護老人ホームうらやす」の建物(現在解体中)に到着、改めて当時の避難のむずかしさを知る。名取市震災メモリアル公園の祈りのゾーンでは、津波の高さをモニュメントで実感(8.4m)、祈りを奉げた。日和山ゾーンでは「津波が来るから家を建てるな!」の江戸時代の石碑を確認。人間は過去の人々の諫めを残念ながら簡単に忘れてしまうもの。ここは平らな地形で復興の新しい建物が点々としてあり、いくつかの大きな建物はRC造6階建ての復興集合住宅である。名取市震災復興伝承館にて震災以前の閖上地区の俯瞰ジオラマをみる。当時の住宅や施設の極小模型にこの1件1件に住んでいた人々の名前が入っている。これにじっと見入る。ここにたくさんの人々の生活があったのだ。今でも施設に来た地元の方が模型に名前を入れていくそうだ。水が30㎝溜まったら水圧でドアを押し開くことが出来なくなる、水の抵抗で歩行不能となる体験を、聴いてはいたが実際に体験するのははじめてであった。
今は子どもたちがたくさん集っている名取市サイクルスポーツセンターにて昼食、荒浜地区に入り、貞山堀を越えて「震災遺構仙台市荒浜地区住宅基礎」を経て徒歩で深沼海岸(当時海水浴場は休止中)に入った。サーファーがチラリホラリ海に挑んでいた。大震災後に張り巡らされた高さ7.2m堤防の上から遥かなる大洋を望み、素晴らしい風景に思わずこみ上げてくる声で「津波よ二度と来ないで!」と叫び出したくなった。
RC造4階建てが今でも残る「震災遺構仙台市立荒浜小学校」へ、日頃から地元住民も含め避難訓練が為されていたのでここに避難された方々は全員が救助された。ねじれた手摺や泥にまみれた大時計等、当時の状況のままに保存されている。恐ろしい速さでやってきて見る見るうちに津波で覆われる地域の姿を校内のビデオで視聴する。
少し強行軍でしたが、10時から15時くらいまでかかって視察を終了しました。
現在当プロジェクトは、今後も「3.11の記念祈り」を続け案内リーフレットの改良と伴に被災地モデルコースの見直しを行い、現地活動である「水曜喫茶」の充実を図り、被災地と被災者の現状を全国に発信し続けることで、「日々の祈りと働きとして小さくても、止まることなく―」活動を続けていく所存です。
東日本大震災被災者支援プロジェクト リーダー 浅原和裕