東日本大震災被災者支援プロジェクト

説教

東日本大震災10周年記念の祈り(福島聖ステパノ教会)

「10年目に負う軛」

 

 

10年前の3月11日午後2時46分。忘れもしないあの日に、わたしは先輩聖職とともに車に乗って、仙台の町を東に向かっておりました。そしてちょうど橋を渡ろうかとしていた時に、この大きな揺れがわたしたちを襲いました。体験したことの無い大きく長い揺れ、目の前では今まさに渡ろうとしていた橋が蛇のように波打っています。永遠に続くかとも思われた揺れが過ぎ去った後に、現実に引き戻されたわたしたちは、道がひび割れ、信号機は止まり、建物のガラスは粉々に砕け散っている町を引き返していきました。

 

その後のおよそ1月の間の記憶は正直曖昧な部分が多いのですが、ともかく無事だった家族と再会して実家に戻り、水を川に汲みに行ったり、数少ない食料を求めてスーパーに並んだり、そして教会へと戻り、最初期に災害支援活動のお手伝いをしました。そんな怒濤のような日々が過ぎ去っていく中で、わたしは京都のウイリアムス神学館へと入学することとなりました。

 

そこに至る経緯にも個人的には色々とあった訳ですが、それはともかくとして、震災から1月経つかというところで東京行きの夜行バスに乗り込み、真っ暗な東北自動車道を南に進み、暗闇の中でもうっすらと見え隠れする地震の爪痕をぼんやりと見つめながら東京新宿に到着。そこから東京駅へと向かって、朝一番の新幹線に乗り込み京都へと向かいました。

 

その道すがら、段々と夜が明けて見えてくる景色に、わたしは言い知れぬ不安を覚えてたことを今でも覚えています。いつもと変わることの無いように映る町並み、止まる駅止まる駅で見かける人々のいつか自分もしていたであろう仕事に向かうただ気怠げな表情、無表情、そして京都にたどり着いた時に響いてくる明るいコマーシャルの音、商店街の喧噪、お店で談笑する人々の笑顔。別にこれらが悪いわけでも、その人たちが悪いものでもないはずなのに、「ここは本当に同じ日本なのだろうか?」と不安になってしまったのです。

 

 

しかしそんなわたしの不安を取り除いてくれたのは、やはりイエス様と教会でありました。京都の神学館に到着すると同時に皆が心から出迎えてくれました。訪れる教会すべての場所で、そこに集う人々は遠く東日本で起こった惨状に対して、自分のことのように心を痛め、祈りを献げてくれたのです。このことはわたしにとって救いと癒やしにもなりましたし、同時に一つの気付きを与えてくれました。

 

それは被災地を離れて遠い地に降り立った時に、いつもと変わらないように見えた人々に対する違和感の答えでした。いつもと変わらずに見えたサラリーマンたちも、喫茶店で談笑していた女性たちも、彼らは決して遠い地で起こった惨劇に無関心な訳では無く、きっと大小の差はあれど心を痛め、心配もしているのだろうということ。

 

しかし一方で、弱い人間の心では、それらの自分ではどうすることも出来ない事態、あまりにつらすぎる出来事、大きすぎる重荷は背負うことが出来ない。むしろ四六時中そのことに思いを寄せ続けてしまえば、心が壊れてしまうかもしれません。だから彼らはその大きな重荷を下ろして生活することを選んでいるのだと。

 

またこの気付きは同時に自分自身にも返ってくるものでありました。この出来事で確かにわたしは当事者でもある。でも同じ当事者でもわたしよりも遙かに悲しみの大きな人、痛みを抱えている人は沢山いるわけで、ではその人々に自分がどこまで痛みや重荷をと言われれば、やはり日常においては、どこかで見ないふり、その重荷を無かったかのように過ごしてしまっているという事実が返ってきたのです。

 

その上でこの事実に行き着いた時に、改めて感じられたのがイエス様のみ業の確かさでもあったのです。遠く離れた地で、自分とはともすれば無関係だとその重荷を解いてしまっても仕方が無いような中で、少なくとも教会とそれに連なる活動の中においては、その祈りの中においては確かに人々はその悲しみや苦しみという重荷を担って祈ってくれているということ。そしてそれは、今日の聖書にもあるように、イエス・キリストが一人では背負うことの出来ない重荷を、その人の軛を負いやすいようにしてくださり、そしてまたご一緒に担ってくださっているからこそ実現しているのだということです。

 

今日の福音書でイエス様は重荷を負う者はわたしのもとに来なさい、休ませてあげようと言われます。でもそれは、その重荷を無かったことにしたり、捨ててしまってもいいということではなく、それはイエス様から軛を与えられて、また背負っていくことになるものであるということ。しかしその荷物はイエス様を通して軽くなります。またイエス様の時代の軛は二頭立てが主流であったことからも、この喩えはイエス様もまたその軛を「わたしの」軛として共に担ってくださる。だから人間が一人では抱える事の出来ない重荷であっても、イエス様と共になら背負うことができる。しかもそこには魂の安らぎすら約束されているのです。これは確かにわたしが10年前に訪れた遠い地での教会で実現していたことでありました。わたしは実際に教会で、イエス様を通した人々の出会いを通して癒やされたのですから。

 

 

それでは10年たったわたしたちはどうでありましょうか。10年という年月はあるいは、当事者であるわたしたちにとってもあの時の痛みや重荷を遠くにしてしまう恐れもあるように感じます。実際同じ東北でも福島と山形では、その報道の頻度や人々の意識はかなり違うものでありましょう。

 

そうであるからこそ、わたしたちは今一度イエス様と共に軛を負ってその荷物を背負う必要がある。少なくとも教会に集うとき、家で祈る時、四六時中は難しくとも、祈りの時には10年前の痛みと破れを思い起こし、今なお苦しむ全ての人々に心を寄せることが大切でありましょう。それはあるいはつらいことでも、苦しいことでもあるかもしれない。しかしイエス様はわたしたちがその荷を負うことを優しくしてくださるし、共に担ってもくれる、そしてその先には必ず安らぎもくださるのだということを希望にして生きましょう。

 

10年たったこの日、わたしたち一人一人に出来ることはそう多くはないのかもしれません。しかしながら、その負うべきものを忘れずに、イエス様と共に祈り寄り添い続ける先に、必ず魂の救済と平安があるのだと信じてこの祈りを続けて参りましょう。

 

 

福島聖ステパノ教会牧師 司祭 渡部 拓

 

(2021年3月11日 福島聖ステパノ教会にて)

司祭 パウロ 渡部 拓