東日本大震災被災者支援プロジェクト
説教
東日本大震災10周年記念の祈り(青森聖アンデレ教会)
「想像することを忘れないで」
主よ、私の岩、私の贖い主、私の語る言葉と心の思いが御心にかないますように。アーメン
2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年を迎える本日、私たちは東北教区内各地7教会で「同じ時 想いを一つにして皆で祈りを」捧げています。そして、各地で今祈りの時が持たれています。その事を心に覚えながら、私たちも青森聖アンデレ教会に集えたことを感謝し、祈りをささげたいと思います。
「想像力を失わないでください」と、当時の教区主教であられた加藤博道主教様は呼び掛けられました。私はこの言葉を大切にしながら、時折自分自身に問いかけています。「想像出来ているだろうか」と・・・。正直、あまり想像出来ていないと感じています。なぜならば、自分自身の現状が「普通」に戻りつつあるからです。しかしながら、被災された方々の言葉、10年目にして初めて語られた思いに触れるたびに、想像することを忘れてはいけないと思わされています。
そして、この10年を振り返ってみると実に多くの方々との出会いがあり、お一人お一人に当たり前なのですが大切な固有の物語があるのです。当然、震災への思いも個人差があります。すでに「普通」に戻っている人もいれば、まったくそうでない人もいます。私たちの社会はそのような思いが複雑に絡み合っています。複雑な思いは声に出せないことのほうが多いと思います。
教会の歩みは、これからもそれぞれのペースが最大限尊重されるように、ゆっくりと歩んでいかなければならないと思います。
本日の福音書で、主イエスは「すべて重荷を負って苦労しているものは、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)と語られています。
「軛」は土を耕す2頭の動物の足並みをそろえるための道具で、自由を束縛するものです。本来であれば私たちは軛から解放されて自由に生きていきたいと願います。しかし、現実はそうではありません。そんな私たちにイエス様の言葉は優しく響くのです。「私の軛を負いなさい」と・・・。
軛をつけられている2頭の動物の足並みが狂うことは決してありません。歩みが止まれば相手もとまる、一歩歩めば相手も一歩歩む、一歩後退すれば相手も後退する。
日本聖公会は「いっしょに歩こう」をスローガンに、この10年を歩み続けてきました。そしてこれからもそれは変わることはありません。なぜならば、イエス様ご自身がいつも一緒に足並みをそろえて歩んでくださっているからです。私たち一人ひとりのペースに合わせてイエス様は歩んでくださっているのです。
イエス様は「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」と約束してくださっています。私たちの生活の傍らでいつも寄り添って歩みんでくださるお方がいらっしゃるということを、それこそ想像力をもって忘れないでいたいと思います。
八戸聖ルカ教会牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也
(2021年3月11日 青森聖アンデレ教会にて)