教区報
主教コラム - 2023年の記事
「昨日も今日も、また」2023年12月
10月18~19日、函館で宣教協働の基に、東北教区・北海道教区合同教役者会が開催されたことは大きなお恵みでした。
そこに出席されてお元気だった函館聖ヨハネ教会嘱託聖職ダビデ藤井八郎司祭さまが、10月27日82歳8カ月で天に召されたとの訃報が入り、驚きました。再会を喜んだばかりでしたのに。
私は、31日函館での葬送式に参列して、司祭さまの平安をお祈り申し上げました。
函館聖ヨハネ教会と青森聖アンデレ教会とは、これまでに少しばかり行き来していました。藤井司祭さまが来青されたり、青森の信徒たちが函館の教会バザーを訪ねたり、かつて松丘聖ミカエル教会での行事「聖歌を腹いっぱい歌う会」には、植松誠前北海道教区主教さまも参加されて、いっぱい歌われたそうです。
確かに青森と函館はお隣の教会です。
11月4日、9月28日に89歳7カ月の地上でのご生涯を終えられ天に召されたヨハネ小野俊作司祭逝去者記念聖餐式を大館聖パウロ教会にてお献げし、敬愛する大先輩とお別れしました。
赴任先の秋田、仙台、大館、青森、釜石だけにとどまらず、弘前、八戸、盛岡から、また遠く名古屋からのご友人も駆けつけた85名の参列者が、小さな聖堂に身を寄せ合いました。神様の大家族が、愛と一致と平和の象徴である聖餐式を献げて、聖職としての小野俊作司祭さまのお働きを追想して心から深く感謝いたしました。
東北教区にはますます教役者がいなくなりました。極めて深刻な事態ですが、今教区会に提案されている東北教区・北海道教区合併の目的を明確にする「ミッション・ステートメント2023」に光が見えます。
「弱さの中で福音を宣べ伝え、行き詰まりの中で宣教的視点を転換する福音の実践」という宣言がなされています。私たちの希望は福音にこそあります。
<p style=”text-align: right;”> (教区主教)
「昨日も今日も、また」2023年11月
9月23日、韓国奥率中央青年修練院講堂でテトス・キム・ホウク(金鎬旭)師の主教按手式が執り行われ、師は第8代大田教区主教に就任されました。式にはフィリピン聖公会、南アフリカ聖公会、インド洋管区、東アジア聖公会協議会、カンタベリー大主教特使など海外からの主教たちも多く参列、日本聖公会からは笹森主教、髙橋主教、高地主教、小林主教、矢萩管区総主事、私と李司祭が参列しました。タンザニア聖公会のマインボ・ムドラワ首座主教が説教され、米国聖公会総裁主教マイケル・カリー師からはお祝いのメッセージが寄せられ朗読披露されました。
大田教区内外から信徒、教役者、シスターら大勢が参列されて、行動の900席は満席で総勢おおよそ一千人が感謝と賛美に満ちて、大きな喜びを持って礼拝が献げられました。私は本当に素晴らしい時を共有していることを実感し、感謝しました。あの熱気、信仰の高揚感をそのまま皆さまに伝えられるものではありませんが、主教按手式はやはり特別で格別な礼拝だと改めて思わされました。
綿密なリハーサルがなされたようで、礼拝は滞りなく進行しました。陪餐後、教区主教着座、全教役者が新主教の前に立ち従順の誓いを交わし、それから全員で会衆に向かって聖歌を奉唱しました。会衆はうっとりと聞き入って、歌い終わると大歓声と拍手に包まれました。信徒たちと教役者たちが一体感に溢れ、一致した瞬間でとても印象深いシーンでした。私は、わずか4カ月前に主教按手されたばかりですが、早くも心新たにされた感でした。今後とも大田教区との祈りの交わりを深めてまいりたいと存じます。現在大田主教座教会は改築中で工事はやや遅れ気味ですが、来年4月には完成予定です。その際には、東北教区から是非お祝いに駆け付けたいと思います。
<p style=”text-align: right;”> (教区主教)
「昨日も今日も、また」2023年10月
秋田県は、7月14日から記録的大雨に襲われました。秋田市では、家屋浸水が約7千棟にのぼり、過去最多の被害に遭いました。少し時間が経過してからの詳報によると、秋田聖救主教会と聖使幼稚園の建物に被害はありませんでしたが、信徒宅1棟が水没、1棟が床上浸水、5棟が床下浸水、車両2台水没、また幼稚園児宅1棟の浸水被害が伝えられました。私は秋田に2度赴任し計8年牧会していましたから、とても心配しています。被災された皆様に心からのお見舞いを申し上げます。痛手を受けても復旧に汗し、回復に向かっている中での酷暑は、精神的なダメージが大きかったのではないかと案じています。神さまの慰めとお力づけが与えられますように祈ります。募金や救援活動を教区単位ではしません。各教会において募金等のご協力をしていただければ幸いです。
盛岡で開催された東北教区保育連盟主催第49回保育者大会に全員出席した教役者たちは、続けて夏の教役者会を開きました。北海道教区笹森田鶴主教を講師に迎えて、北海道教区紹介とチーム北国報告を分かち合い、繋温泉の宿に1泊して交流を深めました。2日目は、教役者たちが日頃抱えている課題を出し合い共有し意見交換する貴重な時間を持ちました。コロナ禍になってからこのようにじっくりと対面での教役者会は開かれておらず、4年振りの開催で教役者たちの心が弾んでおりました。やはり、一つの場所で顔と顔を面と向かわせ語り合うのは楽しいものです。宿の主夫婦の振る舞いにも大いに笑わされて、リフレッシュされました。感謝でした。
8月中旬から新型コロナウイルス感染が拡大して第8波のピーク時を凌ぐ勢いです。気を緩めずに、改めて教会の礼拝と活動を適宜判断する慎重さが求められています。
<p style=”text-align: right;”> (教区主教)
「昨日も今日も、また」2023年8月
先月、主教就任後一ヶ月余、本当に目まぐるしい日々でしたと書きましたが、二ヶ月目ももっとでした。この間、お二人の方が天の主の御許に召されました。八戸聖ルカ教会と青森聖アンデレ教会で、6月26日から29日まで4日間連続の葬儀となりました。
ヨハネ佐藤真実司祭は6月24日ご逝去されて、26日通夜の祈り、27日葬送式が八戸聖ルカ教会にて営まれました。真実司祭は70歳定年退職の前年2008年4月に、2度目となる八戸聖ルカ教会に赴任されました。退職後は嘱託聖職で2016年まで務められ、その後2年は礼拝協力をされていました。
真実司祭が退職後を暮らし、奉仕する場所として八戸を選ばれたのは、もちろん愛着があったからでしょうし、なによりも信徒の皆さんと一緒にいたかったとの思いが強かったからではなかったかなと推察します。つまり八戸聖ルカ教会は司祭に愛された教会です。
他方、信徒たちもまた司祭を敬愛されていました。葬儀を営むに当たり、20人弱の信徒の皆様方がほうんとうにご尽力をされました。全員が最善を尽くしご奉仕されておりました。例えば通夜の祈りの前に、祭壇を覆い尽くしているスタンド花の並び方一つにしても記にされて動かしていました。受付や司会等々役目を分担している各人が、気温が高くなってとても暑い中で汗を拭きながらも、心を込めて取り組まれているのを見て、私は感謝でございました。2011年3月23日に、最愛のお連れ合いの百合子さんに先立たれ、晩年には闘病生活となった司祭を見守り支えられた信徒のみなさまには本当に頭が下がります。心からの感謝しかありません。
教役者の終の住処は人それぞれでしょうが、もしあまりご迷惑をかけずに、愛する人たち礼拝と侵攻の語らいで暮らせたら、最高に幸せなことだと思わされたのでした。
<p style=”text-align: right;”> (教区主教)
礼拝堂探検隊 第27回「十字架」
礼拝堂の内外にある様々なものを調べてきた探検隊も、とうとう最終回になりました。
そこで今回は教会がここに在ることを示し、また礼拝堂の正面にある十字架について調べてみました。十字架はキリスト教信仰を表す最も普遍的なシンボルであり、私たちの信仰の根源でもあります。
十字架が公認されたのは、三一三年のミラノ勅令によって行列用十字架の使用が許可されたことにあります。六世紀にはシリアで祭壇用十字架が用いられるようになりましたが、西方教会で祭壇上に十字架が置かれるのは十一世紀に入ってからだそうです。
一方、苦難のキリスト像がついた十字架が出てくるのはかなり後で、ローマの地下墓地(カタコンブ)はもちろん、五世紀のラヴェンナのモザイクにも見当たらないそうです。と言いますのは、初期のキリスト者は、キリストの十字架刑を苦難としてではなく、ご復活の喜び、死に対する勝利のしるしとして捉えていたため、十字架に架けられた写実的なキリスト像には抵抗があったそうです。
ですから十字架上のキリスト像もマイターのような冠をかぶり、コロビウム(ローマ時代の下着)にチャズブルを着け、目を開いて、手もまっすぐ横に伸ばしています(鉛山聖救主礼拝堂の十字架)。
写真のような苦難のキリスト像が現れたのは、フランシスコ会の働きにより、受難の信仰が大きく発展した一二世紀から一三世紀にかけてだそうです。
苦難の十字架にせよ、栄光の十字架にせよ、私たちは十字架を仰ぐことで、イエス様の愛をしっかりと感じていきたいと思います。
(教区主教)