教区報
主教コラム
ほそ道から 第7回「経験したことのない?」
今年は「今まで経験したことのない〇〇」という枕詞が、大雨や台風、地震などの自然災害を形容する言葉として使われています。確かに今までは9月に入ると、「二百十日」とか「二百二十日」といって、台風の季節を迎えていました。
1959年に愛知県と三重県に甚大な被害をもたらせた伊勢湾台風の時には、寝ていた部屋の蛍光灯が点滅しながら揺れて、とても怖かったことを思い出します。潮岬に上陸した時も930mbだったそうですから、その大きさは想像を絶するものでした。しかし、その3年後の1961年9月に高知県室戸岬に上陸した第2室戸台風は925mbだったそうで、昭和30年頃から40年にかけては、結構毎年のように大きな台風が上陸しています。
そうしますと、「今まで経験したことのない〇〇」という枕詞は、余り正確な表現ではないことになります。とはいえ、この表現は2012年6月に気象庁が用い出したのだそうで、「重大な災害が差し迫っている場合に一層の警戒を呼びかけるため、使用される表現」なのだそうです。
ということは、どのような大災害であっても、私たちは忘れてしまう存在であることを前提としているのです。確かに6月に行なわれた「第1回被災地巡りツアー」で名取市閖上の日和山を訪れたとき、慰霊碑と記された石碑が横たえられていました。その一つに過去の津波のことが刻まれていたのですが、ほとんど省みられることはなかっ
たそうです。震災慰霊碑「芽生の塔」へ移動し、祈りを捧げました。この芽生の塔の先端の高さは8.4m、押し寄せた津波の高さになっています。
もちろん私たちは、経験したすべてのことを記憶に留めておけるわけではありません。忘れられるから生きていけるという側面もあるでしょう。けれども私たちの人生・信仰にとって、忘れてはならないことを、しっかり意識して生きていくことが大切なのではないでしょうか。
教区主教 あけぼの2018年10月号