教区報
主教コラム
欅並木から 第10回「待ちつつ急ぎつつ」
「善は急げ」という言葉はよく知られています。しかし教会というところは、どうもそうではない、むしろ「善は急がない」くらいであるようです。何よりも現代の教会は信徒全体の合意形成に時間をかけていきます。主教や司祭の「鶴の一声」で物事が進むというようなことはまずありませんし、わたし自身あってはならないと思っています。
一方で、そのスピードの遅さが人を傷つけてしまう場合もあるでしょう。「対応の遅さ」、最近よく聞く言葉でいえば「危機管理能力」「スピード感のある対応力」。事柄によっては本当にそういうことも必要で、やはり教会のあり方としてディレンマを感じるところです。その見極め、スピード感のある対応をすべきなのか、じっくりと構えるべきなのか、もしかしたらそれは、主教や司祭の仕事、牧会の重要な課題なのかも知れません。
オウム真理教事件の時、作家の井上ひさしと司馬遼太郎が対談で、オウムの宗教はせせこましい(早く終末を来たらせようとしてサリンをまいた)、それに対してカトリックはやはりゆったりしている、長い目で見ている、というようなことを語り合っていました。わたし等も、教会の歴史、例えば礼拝のことを話す時、「何世紀の教会は」「中世の教会は」というようなことを平気で言います。何百年という単位が、簡単に括られてします(本当は不正確だと思いますが)。ある意味では、日本聖公会の歴史も、後には「日本の初期の教会は」と言われるのかも知れません。
だから、日々あくせく努力しなくても良いとは言いません。しかし一方では、百年や数百年、長い目で見ることも、宗教というものの眼差しなのだろうと思います。ブルームハルト父子というドイツの神学者の本の名前『待ちつつ急ぎつつ』。皆様はいかがでしょうか?
教区主教
あけぼの 2015年6月号