お知らせ

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5月10日・復活節第5主日 説教を掲載いたしました

先日オンラインで開催された常置委員会にて、新型コロナウィルスによる礼拝休止期間について、聖職常置委員より毎週説教をお届けすることが決定されました。
今回は5月10日・復活節第5主日の説教を掲載いたします。

 


 

5月10日 復活節第5主日
青森聖アンデレ教会牧師 司祭 長谷川清純

 

寛容な世界を求めて

 

主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ
わたしの言葉と思いが御心にかないますように アーメン

 

 

ヨハネによる福音書14:1-14

 
東北教区信徒の皆様、おはようございます。

 

さて、ただ今世界的なコロナ危機に直面し、人類がこれにどのように対処していくかが問われています。私は今回の状況に陥った当初、2011年の東日本大震災時に引き戻された感覚を持ちました。東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故が発生した当時へフラッシュバックしたのでした。そこには、4つの類似が起こってきたからです。

 

1.突然引き起こった、そして非日常化した。
2.一地域に限定されない、全世界大である。
3.相手(放射性物質とウイルス)は目に見えない、匂いがしない。
4.先行きが読めない、不安が覆う。

 

それでも、大震災発生後何が生じたか。「絆」「一人ではない」メッセージ、大勢のボランティアとの出会い。人びとの思いやる心が寄せ集まって、被災された人たちは寂しさを脱していった、そういう光景を私はつぶさにこの目で確かに見てきました。それは得がたい人の心の温かみの経験でした。人と人のつながりは逞しく、励まし、生きる力になりました。

 

ところで今は、私たちはこれまでの常識、価値観を広く見直す必要に迫られています。たとえば、絆とか繋がりではなく「ソーシャル・デスタンス 離れて!」、来て見てくださいではなくて「ここには来ないで!」、顔を見せてではなくて「マスクして」。確かに今はそうしなくてはならず、医療崩壊を招かないために全面的に協力しなければなりません。

 

教会とは「エクレシア」ですから、「神様に招かれた者たちの集まり」だと理解しています。しかし、教区では3月29日から教会に集うのを休止しています。信仰者が集えないのです。それで果たしてエクレシアでしょうか。教会において人びとは手を取り合い、見つめ合い、語り合い、食事を共にして真に親しい交わりを重ねてきました。しかし、それは厳に自粛しなければなりません。主の平和の仕草でもある握手やハグ、平和のキッスは厳に避けなければなりません。このように、これまでの生活習慣やマナー、あるいは経済活動、労働スタイル、買い物の仕方等々多くの場面で抑制が求められています。

 

自粛が推し進められている間、海外旅行はもちろん出入国禁止、国境閉鎖ですから各国が鎖国しています。グローバリゼーションは終わりです。世界は一つではなく孤立させられています。聖公会は、世界中に広がる様々な国々の独立性を尊重し、多様性を認め、違いの中で一致する教会です。このような事態に直面したアングリカン・コミュニオンからは「教会は閉じていますが、それは建物だけの話し。何故ならわたしたちは一つの体=私たちが教会ですから、その私たちがいるところこそは教会そのものです」という趣旨のメッセージがHPに掲載されています。

 

そのように、私たちの存在意義を、存在価値をこういうときだからこそ確認し合い、改めて意識付けしたいものです。仙台基督教会主日聖餐式をライブ配信したところ、病人は、病床にて画面で礼拝に参加でき大喜びと聞きました。これは一つの大きな転換です。今後、体力的に集えない信徒たちのサポートツールとして定着するでしょう。PC、スマホで信徒に限らず広く視聴されているようです。

 

米国のミネソタ大学の研究所CIDRAPは、コロナ危機の世界的な解決には2年以上かかると予測しました。この研究は、2年後にもワクチンは完成していないとし、人類の60%が感染して免疫を得て世界的な集団免疫が形成されるまで2年以上かかると予測しています。1ヶ月前には政府からは「長期戦を覚悟」という発言がありましたが、5月2日、元厚労省医系技官で医師の木村もりよ氏は「『1カ月、2カ月頑張って自粛すれば収束する』と盛んに言われていますが、それは間違い、嘘です。この闘いが長期化するのは明らか。」と語っています。(5月4日、田中宇の「国際ニュース解説」から)

 

ここ数日前からは「コロナと共存」という単語も出始めました。まさにコロナの日常化まで、遠い道程かもしれません。その間、自粛要請の影響によって収入を絶たれた生活困窮者を自殺に追い込まないように財政支援を行い、人びとの生活維持を優先させなければなりません。今後、感染流行と沈静化が繰り返される可能性が否定できず、集団免疫とワクチン完成までの間、私たちは不安定で不自由な毎日、不安な心理状態、ストレスが続くでしょう。

 

 

 

主イエスは、おっしゃいました。「心を不安にしてはならない。神に信頼して歩み、わたしに信頼して歩みを起こしなさい。」(ヨハネ伝14:1 本田哲郎神父訳聖書「小さくされた人びとのための福音」より)イエスは命をもたらす道をしめし真実である故に、私たちはイエスの生き方を調べ、学び、倣い、そうしてイエスのみ跡を踏む生き方をあくまでも追究する人生を選び取りたいものです。

 

4月15日東奥日報朝刊に掲載された法政大学教授水野和雄氏の評論で、「コロナ感染拡大の事態で、近代の理念を持ち出しても解決にはならないどころか事態は悪化する。・・・『より速く、より遠く』に、が進歩だと信じて疑わない人間の行動にウイルスがついて回る。21世紀の行動原理は『より近く、よりゆっくり』で、理念は『寛容』でなければならない。」と書いていました。

 

まさにイエス様ご自身が寛容のお方であられたのですから、人を活き活き生かす方、永遠のいのち、時代の先駆者でした。そのイエス様に信頼して、私たちは今こそ寛容を心とし、身に着け、そうしてめげずに倦むことなくの精神を持って、歩み出して参りたいと思います。その皆様の歩みに神様のお導きとお守りがありますようにお祈り申し上げます。

 

 

 父と子と聖霊のみ名によって アーメン