教区報
主教コラム - 昨日も今日も、またの記事
「昨日も今日も、また」2024年12月

今年は韓国に3回も行かせていただき、なんという恵みでしょう。5月大田主教座聖堂聖別式、9月ソウル教区主教按手式、10月日韓聖公会宣教協働40周年記念大会で済州島を訪ねたわけです。大会には日本聖公会から45名、大韓聖公会から32名、プラスACC総主事とカンタベリー大主教主席補佐官らの特別参加があって総勢80名が集まり、3泊4日のプログラムで行われました。東北からは青年2名と、李贊熙司祭です。1人の青年はハングルが流暢で、青年たちとのおしゃべりを楽しんで快活だったことに、未来への希望を感じました。
大会テーマは「和解」で、2日目は終日日韓の現場からの声を聴き合い、分かち合いました。私は「自然との和解」
の部で、原発のない世界を求めている活動報告をさせてもらい、発題後共感する人たちに握手を求められ感激でした。
参加者たちは2度オンラインで事前学習をして大会に臨んでいます。それがとても役立ちました。日韓宣教協働の
歴史と済州島の2つの歴史を学んだのです。1945年8月15日以降、アメリカ軍事政府から約5年間、済州島民は虐殺と処刑の迫害を受けた歴史を私は初めて知りました。「4・3事件」と呼ばれています。3日は済州4・3平和公園に出かけ犠牲者追悼礼拝を献げ祈り、平和記念館を見学し、戦跡フィールドワークしました。私は沖縄が重なってきて、たいへん心痛み気持ちが重くなりました。その後、昨年礼拝堂聖別式が行われた済州友情教会に隣接して建てられた「済州日韓友情の家」の祝福式が、両首座主教の朴東信(パクドンシン)主教と上原榮正主教の共同司式により挙行されたのは目に見える和解と友好のしるしです。
友情の家は宿泊施設で日本聖公会の方には2025年中無料で貸し出されます。和解と平和、風と聖霊の島を旅する際はご利用できます。申し込みは長谷川まで。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年2月

昨年11月17日、仙台聖フランシス教会での主日聖餐式で「誕生感謝の祈り」を執り行いました。仙台市にお住いの札幌聖ミカエル教会信徒ご夫妻に、10月初めての赤ちゃんが誕生しました。札幌から父親のご両親も
駆けつけ家族揃って感謝を献げられました。式の間赤ちゃんの元気よい泣き声が聖堂内狭しと響き渡って、会衆は清々しく幸せな気持ちに包まれました。神様からの賜物の大きさを想い、赤子の成長と家庭の平安のため、また3人の親子に豊かな祝福をお祈りいたしました。
12月、青森聖アンデレ教会と弘前昇天教会の2教会と、聖マリア幼稚園、聖アルバン幼稚園、聖ヤコブ幼稚園そして明星幼稚園の4園で礼拝とクリスマス会を持ちました。少々あった疲労よりもお恵みのラッシュで神的な栄養をたっぷり頂いて心は健康です。
降誕日、弘前での聖餐式に自分の教会で礼拝ができなかった青森の信徒たちが勢い立ってレンタカーに乗り、11名が出席してさながら合同礼拝でした。祝会は昇天教会の皆さんが豪勢なオードブルを用意されて歓談に花が咲き、予期せぬ温かな信徒の交わりが展開されて感謝な一日でした。
今冬の青森は50年で3度目の記録的な大雪で、12月に積雪1m超えは滅多にない現象です。私が青森聖アンデレ教会に異動した2020年の冬がその1回で、赴任1年目に豪雪の大歓迎を受け、雪国の洗礼を受けたのを思い出しました。北の国では当たり前のことで特別驚くものではないですが、除排雪や寒さを忍耐し暮らすのは大変です。そういう環境に慣れ親しみ、何かで楽しまなければやはり辛いだけになってしまいます。
暗くホワイトな午後に園児さんたちが演じる聖劇は、神様の愛のぬくもりとキリストの光を強烈に感じさせるものでした。子どもたち、保護者さんたちと先生方に神様の祝福がいっぱいありますようにお祈りいたしました。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年4月

1月、2月も管理教会がある青森と弘前を往復しましたが、今年の大雪にはひどく影響を受け、悩まされました。奥羽本線運転見合わせが何度もあって、1月4日は八戸の聖餐式後弘前に行くために駅に向かうと、無理との
こと。思案していると仙台行新幹線にキャンセルが出たというので、予定を変更し弘前は諦めました。信徒もこの大雪では交通も安全も脅かされると教会委員で相談の上、礼拝を休止としました。
2月5日から7日は西日本が寒波と大雪の中で、熊本を会場に主教会。帰路予約していた伊丹空港経由仙台着を断念し羽田空港に変更、東京駅から新幹線で帰宅。
2月19日、前日チーム北国会議の札幌から青森空港への飛行が怪しく、急遽札幌から新函館北斗を経由し新幹線で青森へ。翌日、奥羽本線運転見合わせで鉄道では弘前に行けず。スマホ検索して新ルートを発見、青森空港経由でリムジンバスを乗り継いで弘前に到着。
20日帰路、運転再開で電車に乗るも北常盤駅でポイントを切替できず約2時間停車。代行バスで新青森駅へ。
3時間遅れで帰宅。 足止めを食らった時、目的地に辿り着くのに頭を柔軟にします。計画や予定に縛られず、変更を躊躇しない、それが打開の秘訣かと貴重な体験を積みました。ラインホルド・ニーバーの祈り「変えられる
ものを変える勇気」が少し解りました、感謝です。
有我忠幸聖職候補生が聖公会神学院の「特任聖職・特別オンライン講座」1年間の受講を終了しました。次のステップに進みます。4月からは国分敬子さん(郡山)と白鳥五大さん(青森)のお二人が「信徒の奉仕・召命コースオンライン講座」を受講します。諸経費は研学資金で援助します。二人とも信徒奉事者です。
東北教区の信徒奉事者47人は日本聖公会で3番目に多い人数。信徒の奉仕の働きの広がりを願う中、今まさにチームミニストリーを推進しようとしている我が東北教区に弾みが付くと、私はとても喜んでいます。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年7月

東北教区北海道教区合同教役者会が5月26日~28日、北海道教区の担当で開かれました。今回の主要テーマは、新教区設立に向けての現状と課題で、参加者はチーム北国メンバーから現状を聞き感想や意見を2日間語り合い、一歩も二歩も前向きに指向されたと思います。
二日目、私はアイヌ文化センター「白老ウポポイ民族象徴空間」を見学する機会を得ました。国立アイヌ民族博物館では陳列物を見ながらアイヌの歴史と文化、言語に少し触れました。歴史コーナーにはジョン・バチラー、バチラー八重子、金成マツの名前が登場し書籍が置かれ、ビデオ紹介もありました。チーム北国から発行された絵本「北のあけぼの―さあ、光を灯そう―」を思い浮かべてmここに居たかという感じでした。
広谷和史司祭さんの講演記録「アイヌモシリに生きる―人間の静かな大地」で、言語学者の金田一京助が近代の教会(旭川の教会の前身」を訪ねたことがきっかけで、知里幸恵がカムイ・ユーカラを筆録し、彼女が19歳3か月の若さで死去後、その教会に平取から赴任していた伯母の金成マツが仕事を受け継ぎ、23年間に記したアイヌ語が大学ノート1万ページに及んでいたこと、知里幸恵編「アイヌ神揺集」の序文にこう書かれていると紹介しています。
「愛する私たちの先祖が起き伏す日頃、互いの意を通ずるために用いた多くの言語、言い古し、遺し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、滅び湯行く弱きものと共に消えうせてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい、名残惜しいことでございます。」
そうなのです、言葉は命なのです。「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった。」(ヨハネ伝1:3-4)北の大地で私は、万有のことばに出会っていました。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年6月

4月23日、聖クリストファ幼稚園で誕生礼拝をしました。31年前、長男と長女が通った幼稚園で母校に帰ったような懐かしい感覚になりました。縦割りクラスの園児さんたちはまるで大人数の兄弟姉妹で生命力にあふれていて、私の魂が再生させられます。子どもたちから常に希望をもらいます。
4月12日、バルナバ小林聡師の主教按手式・大阪教区主教就任式に参列し、説教をさせていただきとても光栄でした。約400人の会衆は大きな大きな喜びに包まれました。大勢の子どもたちや青年たちが参列していて、陪餐のとき笑顔と神妙な物腰で祝福を受けていました。その光景に、私は明るい教区の未来を見ていました。
3月30日午後、奉仕のススメPart8が仙台基督教会を会場にしてハイブリッド形式で開かれました。加藤博道主教と弘前昇天教会信徒の畠山秀文さんがスピーカーをされ、オンラインで結ばれた各教会と個人の約90人が参加しました。チームミニストリーの意味や実践へのアプローチを模索する時となり、宣教と牧会を信徒と教役者がチームを組む、あるいは地域における協働の有り様を皆で考えました。これを機会にもっともっと主の御用をする働きを考えていきたいと思いました。
4月の教区関係逝去者は20名でジョン・マキム主教、司祭11名、執事2名、伝道師3名、宣教師3名です。加藤主教がよく話されましたが、教区には豊富な奉仕者たちが大勢揃って働かれておりました。すでに帰天された秋田や仙台の何人かの高齢信徒たちから、青年時代に牧師と路傍伝道に駆り出された経験を伺ったことがあります。あまり聞かれなくなった「伝道」が基本であると再認識させられている昨今です。私たちにとって「種蒔き」が本質です。「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」(コヘレトの言葉11:1)
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年10月

8月8日夜、入所先の介護施設の一室で、可愛い娘3人に看取られながら、妻の母が老衰で息を引き取りました。90歳でした。
37年前、和歌山県新宮市の自宅で、おそらく早くに亡くした夫を偲びながら、長女との結婚をお許しいただいた義母でした。牧師とその妻とは皆目見当がつかなかったはずです。まさか東北にまで行くなんて想定外だったでしょう。1991年3月、母は1歳と2歳の孫二人の引っ越しで、まだ寒さの厳しい会津若松まで来てくれ有難いことでした。
2021年になって、母と次女との自宅暮らしが覚束ないと身内から連絡が入り、青森聖アンデレ教会委員会に相談の上、5月に「青森に行こう!」と飛行機に乗せて牧師館に居を移しました。エアコンを設置、暖房を整えていただいた教会の皆様には本当に感謝しかありません。母は軽いアルツハイマー型認知症との検査結果でしたが、信徒のお医者さんにかかれて安心し、デイサービスを利用して日々にこやかに暮らしていました。
2024年4月、仙台聖フランシス教会牧師館に引っ越し、青森時代のようにデイサービスを受けていましたが、次第に衰えはじめ、食事もだんだん取れなくなり、今年1月誤嚥性肺炎で3日間入院、2月脱水症状を発症し50日間の24時間付き添い入院、退院後は在宅医療で過ごし、最後の39日間はショートステイをして介護施設におりました。
在宅療養中、兵庫県で働いている三女が4月から3カ月介護休暇を取って一緒に生活し、仕事復帰後も往来を繰り返していましたが、再来した日の夜に三姉妹たちが揃っている中での最期になりました。穏やかで静かなお別れでした。
主教になった私の紫シャツ姿に、母はいつも必ずニヤニヤしては、「赤いよ~」と言って嬉しがっていたのがいつまでも残っています。それは今、母からの激励・応援の声のように響いています。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年9月

4月の大阪教区主教按手式に続き、7月5日九州教区主教按手式ならびに九州教区主教就任式が挙行されて、マルコ柴本孝夫新主教が誕生しました。私が柴本主教で一番に思い浮かぶのは支援車両です。
2011年3月11日東日本大震災後に日本聖公会が立ち上げた被災者支援「いっしょに歩こう!プロジェクト」では、活動のため複数台の車両を必要とし、沖縄教区からは新車同然の10人乗りワゴン車が提供されました。ワゴン車は沖縄から九州に輸送後、当時の柴本司祭と九州教区信徒の山本尚生さんが陸路丸々2日間掛け本州縦断、仙台まで運転して来てくださったのです!これだけでも凄いお働きでした。
車のボディには、聖公会の日本宣教開始とされている米国聖公会リギンズ宣教師とウイリアムス主教が長崎に上陸した1859年より13年前の1846年に、イギリスの琉球伝道団から「ベッテルハイム」という医師の宣教師が那覇に来て、迫害の中で8年間伝道していたその人の名が印字されていました。「沖縄」のナンバープレートの車に、スタッフは「うちなんちゃー」の愛称を付けて愛用しました。
緊急救援物資を北は釜石から南は小名浜まで運び、被災された方々をお乗せしてのお茶会や買い物ツアーにお出かけをし、全国から来たボランティアたちの輸送や訪問者の送迎など、13年間多くの場面で大活躍した車両でした。
昨年の能登半島地震後うちなんちゃー号は京都教区災害対策室に移譲され「京都」ナンバーで使用されています。私は京都教区主教館前に駐車しているその車を目撃し、感無量でした。柴本主教さんたちの行為は、こうして次から次へとバトンタッチされて、奉仕の継承がなされているのです。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私は日本聖公会の宣教の歴史と継承、全体性と一体性、教区間協働の象徴としてのうちなんちゃー号に希望の光を感じます。
(教区主教)
