教区報

主教コラム - 礼拝堂探検隊の記事

礼拝堂探検隊 第20回「祈祷書」

 

今回は「祭壇用祈祷書」です。とはいっても皆さんがお使いの祈祷書と中身は同じで大きいだけですが。

 

 

祈祷書は英語でThe Book of Common Prayer(ザ ブック オブ コモン プレイヤー)と言い、「共同の祈りのための本」という意味です。お祈りや礼拝式文が文書化されるのは3世紀になってからのようですが、今の祈祷書のように一冊本ではなく、礼拝の種類ごとに様々なものがありました。

 

例えば、中世には聖餐式と堅信式を同時に行う時には最低でも「ミサ典書」と「司教用定式書」が必要でした。ですから礼拝によって聖職は何種類もの礼拝書を操らねばならず、また当時の礼拝用書は非常に高価で、信徒用のものはなかったようです。

 

しかし宗教改革は信徒を、聖職が執り行う「聖なるドラマ」の観客から、聖職と共に礼拝を献げる者に変えました。また活版印刷術の発明は書物の大量出版と低価格化を実現しました。

 

 

1549年、英国聖公会大主教T・クランマーは中世の諸礼拝式文を一冊の本にまとめました。それが約470年にわたって、世界の諸聖公会で用いられている祈祷書の最初のものです。

 

クランマーは祈祷書作成にあたって、①複雑な礼拝を単純化する、②会衆が積極的に参加できる礼拝、③自国語による礼拝、④初代教会の慣習の回復、⑤聖書に基づいた礼拝用書にする、の5点を大切にしました。

 

祈祷書は時代の中で何度も改訂されてきましたが、このクランマーの基本方針は忠実に守られています。私たちは至宝の祈り集である祈祷書を大切にし、信仰生活を送りたいと思います。

 

 

(教区主教)

 

 

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礼拝堂探検隊 第5回「聖堂ー①」

聖堂入口脇にある洗礼盤をちらりと見て、洗礼の約束を思い起こした私たちは、聖堂の中に入っていきます。

 

その前に、聖堂の全体像を見てみましょう。もっとも、初代教会の頃、キリスト者は特別な集会場所をもっていませんでした。聖パウロの頃は比較的大きな家を持っていた信徒宅が主日に礼拝場所として提供されたようです。また、迫害時代には信徒宅以外に、こっそりと人目につかない場所に集まっていたようで、ローマのカタコンベ(地下墓地)は有名です。

 

 

しかし、313年のミラノの勅令によってキリスト教が公認されると、特定の礼拝場所として聖堂が建てられるようになりました。これらはバシリカ様式と呼ばれますが、当時のローマの法廷などの建物が、そのまま教会建築に応用されたようです。

 

その後、時代と共に建築様式はビザンティン、ロマネスク、ゴシックなどと移り変わっていきますが、その基本はバシリカ様式にあるようです。聖公会の多くの聖堂もこの様式を基本にしていて、その最も単純な形が右の構造です。

 

①は祭壇が置かれているサンクチュアリー sanctuary(至聖所)、②は朝夕の礼拝が行われるチャンセル chancel(聖所または内陣)、③はネイヴnave(身廊)と呼ばれる会衆席の場所です。

 

聖堂は原則として祭壇のある部分が東方になるように建てられました。そこで祭壇のある方を「東(Liturgical East リタージカル イースト)」と呼びます。聖堂が実際には東西方向に建っていない場合でも、祭壇のある方を「東」と呼び、その反対方向を「西」と呼ぶのが慣例です。ですから祭壇の方を向くことを「東面する」と言います。

 

教区主教

 

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礼拝堂探検隊 第21回「チャリス・パテン」

今回は聖餐式の時に聖別されたぶどう酒を入れるチャリスと、パン(ウエファース)を入れるパテンです。金または銀で作られていますが、それは酸による腐食を防ぐためだそうです。

 

 

初期の時代のパテン(paten 聖皿)は、会衆から献げられた大きなパンを受けるためにかなりの大きさだったようです。しかし中世中期になりますと、パン(聖体)が種なしの薄いものになった関係で、パテンも小さくなったようです。

 

初期の時代のチャリス(Chalice 聖杯) はガラス製が一般的でしたが、ほかの素材(木製など)を使うこともありました。チャリスの最も古い形は、カタコンベに描かれているもので、二つの取っ手がついた、柄(ステム)のないボウル状だったそうです。

 

4世紀に入ると金製や銀製が一般的になり、それに宝石などを嵌めたものも作られました。もっとも9世紀頃までは陶磁器や木製のものもあったそうです。映画の「インディー・ジョーンズ 最後の聖戦」で登場した聖杯も木製でしたが、宗教改革者ツヴィングリも木製のものを使ったそうです。現在のような形になったのは14世紀だそうです。

 

 

最後の晩餐の記事のように、聖別されたぶどう酒は一つの杯より飲むのが正当とされています。なぜなら主イエスは「皆、この杯から飲みなさい」(マタイ26:27)と言われたからです。プロテスタント教会で個人用のカップを用いる所がありますが、主として衛生的見地から19世紀に米国で始められたものです。しかしこれでは「分ち合う」という意味を弱めてしまうと言う批判もあります。

 

 

(教区主教)

 

 

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