教区報
主教コラム - 昨日も今日も、またの記事
「昨日も今日も、また」2025年6月

4月23日、聖クリストファ幼稚園で誕生礼拝をしました。31年前、長男と長女が通った幼稚園で母校に帰ったような懐かしい感覚になりました。縦割りクラスの園児さんたちはまるで大人数の兄弟姉妹で生命力にあふれていて、私の魂が再生させられます。子どもたちから常に希望をもらいます。
4月12日、バルナバ小林聡師の主教按手式・大阪教区主教就任式に参列し、説教をさせていただきとても光栄でした。約400人の会衆は大きな大きな喜びに包まれました。大勢の子どもたちや青年たちが参列していて、陪餐のとき笑顔と神妙な物腰で祝福を受けていました。その光景に、私は明るい教区の未来を見ていました。
3月30日午後、奉仕のススメPart8が仙台基督教会を会場にしてハイブリッド形式で開かれました。加藤博道主教と弘前昇天教会信徒の畠山秀文さんがスピーカーをされ、オンラインで結ばれた各教会と個人の約90人が参加しました。チームミニストリーの意味や実践へのアプローチを模索する時となり、宣教と牧会を信徒と教役者がチームを組む、あるいは地域における協働の有り様を皆で考えました。これを機会にもっともっと主の御用をする働きを考えていきたいと思いました。
4月の教区関係逝去者は20名でジョン・マキム主教、司祭11名、執事2名、伝道師3名、宣教師3名です。加藤主教がよく話されましたが、教区には豊富な奉仕者たちが大勢揃って働かれておりました。すでに帰天された秋田や仙台の何人かの高齢信徒たちから、青年時代に牧師と路傍伝道に駆り出された経験を伺ったことがあります。あまり聞かれなくなった「伝道」が基本であると再認識させられている昨今です。私たちにとって「種蒔き」が本質です。「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」(コヘレトの言葉11:1)
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年10月

8月8日夜、入所先の介護施設の一室で、可愛い娘3人に看取られながら、妻の母が老衰で息を引き取りました。90歳でした。
37年前、和歌山県新宮市の自宅で、おそらく早くに亡くした夫を偲びながら、長女との結婚をお許しいただいた義母でした。牧師とその妻とは皆目見当がつかなかったはずです。まさか東北にまで行くなんて想定外だったでしょう。1991年3月、母は1歳と2歳の孫二人の引っ越しで、まだ寒さの厳しい会津若松まで来てくれ有難いことでした。
2021年になって、母と次女との自宅暮らしが覚束ないと身内から連絡が入り、青森聖アンデレ教会委員会に相談の上、5月に「青森に行こう!」と飛行機に乗せて牧師館に居を移しました。エアコンを設置、暖房を整えていただいた教会の皆様には本当に感謝しかありません。母は軽いアルツハイマー型認知症との検査結果でしたが、信徒のお医者さんにかかれて安心し、デイサービスを利用して日々にこやかに暮らしていました。
2024年4月、仙台聖フランシス教会牧師館に引っ越し、青森時代のようにデイサービスを受けていましたが、次第に衰えはじめ、食事もだんだん取れなくなり、今年1月誤嚥性肺炎で3日間入院、2月脱水症状を発症し50日間の24時間付き添い入院、退院後は在宅医療で過ごし、最後の39日間はショートステイをして介護施設におりました。
在宅療養中、兵庫県で働いている三女が4月から3カ月介護休暇を取って一緒に生活し、仕事復帰後も往来を繰り返していましたが、再来した日の夜に三姉妹たちが揃っている中での最期になりました。穏やかで静かなお別れでした。
主教になった私の紫シャツ姿に、母はいつも必ずニヤニヤしては、「赤いよ~」と言って嬉しがっていたのがいつまでも残っています。それは今、母からの激励・応援の声のように響いています。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年9月

4月の大阪教区主教按手式に続き、7月5日九州教区主教按手式ならびに九州教区主教就任式が挙行されて、マルコ柴本孝夫新主教が誕生しました。私が柴本主教で一番に思い浮かぶのは支援車両です。
2011年3月11日東日本大震災後に日本聖公会が立ち上げた被災者支援「いっしょに歩こう!プロジェクト」では、活動のため複数台の車両を必要とし、沖縄教区からは新車同然の10人乗りワゴン車が提供されました。ワゴン車は沖縄から九州に輸送後、当時の柴本司祭と九州教区信徒の山本尚生さんが陸路丸々2日間掛け本州縦断、仙台まで運転して来てくださったのです!これだけでも凄いお働きでした。
車のボディには、聖公会の日本宣教開始とされている米国聖公会リギンズ宣教師とウイリアムス主教が長崎に上陸した1859年より13年前の1846年に、イギリスの琉球伝道団から「ベッテルハイム」という医師の宣教師が那覇に来て、迫害の中で8年間伝道していたその人の名が印字されていました。「沖縄」のナンバープレートの車に、スタッフは「うちなんちゃー」の愛称を付けて愛用しました。
緊急救援物資を北は釜石から南は小名浜まで運び、被災された方々をお乗せしてのお茶会や買い物ツアーにお出かけをし、全国から来たボランティアたちの輸送や訪問者の送迎など、13年間多くの場面で大活躍した車両でした。
昨年の能登半島地震後うちなんちゃー号は京都教区災害対策室に移譲され「京都」ナンバーで使用されています。私は京都教区主教館前に駐車しているその車を目撃し、感無量でした。柴本主教さんたちの行為は、こうして次から次へとバトンタッチされて、奉仕の継承がなされているのです。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私は日本聖公会の宣教の歴史と継承、全体性と一体性、教区間協働の象徴としてのうちなんちゃー号に希望の光を感じます。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2023年8月
先月、主教就任後一ヶ月余、本当に目まぐるしい日々でしたと書きましたが、二ヶ月目ももっとでした。この間、お二人の方が天の主の御許に召されました。八戸聖ルカ教会と青森聖アンデレ教会で、6月26日から29日まで4日間連続の葬儀となりました。
ヨハネ佐藤真実司祭は6月24日ご逝去されて、26日通夜の祈り、27日葬送式が八戸聖ルカ教会にて営まれました。真実司祭は70歳定年退職の前年2008年4月に、2度目となる八戸聖ルカ教会に赴任されました。退職後は嘱託聖職で2016年まで務められ、その後2年は礼拝協力をされていました。
真実司祭が退職後を暮らし、奉仕する場所として八戸を選ばれたのは、もちろん愛着があったからでしょうし、なによりも信徒の皆さんと一緒にいたかったとの思いが強かったからではなかったかなと推察します。つまり八戸聖ルカ教会は司祭に愛された教会です。
他方、信徒たちもまた司祭を敬愛されていました。葬儀を営むに当たり、20人弱の信徒の皆様方がほうんとうにご尽力をされました。全員が最善を尽くしご奉仕されておりました。例えば通夜の祈りの前に、祭壇を覆い尽くしているスタンド花の並び方一つにしても記にされて動かしていました。受付や司会等々役目を分担している各人が、気温が高くなってとても暑い中で汗を拭きながらも、心を込めて取り組まれているのを見て、私は感謝でございました。2011年3月23日に、最愛のお連れ合いの百合子さんに先立たれ、晩年には闘病生活となった司祭を見守り支えられた信徒のみなさまには本当に頭が下がります。心からの感謝しかありません。
教役者の終の住処は人それぞれでしょうが、もしあまりご迷惑をかけずに、愛する人たち礼拝と侵攻の語らいで暮らせたら、最高に幸せなことだと思わされたのでした。
<p style=”text-align: right;”> (教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年8月

6月15日(日)、京都教区の京都伝道区合同礼拝・合同堅信式が主教座聖堂聖アグネス教会で催され、管理主教である私が司式説教を執り行いました。受領者は洗礼堅信1名、堅信6名の計7名で、9歳お二人、10歳、15歳、47歳、55歳、80歳の方々でした。親、子、孫といった年代で、それだけで一つの家族を見ているようでした。教会別では下鴨、桃山、聖アグネス、京都復活の4教会でした。
聖堂は約200人の会衆で一杯になり、大きなお恵みにあずかりました。コロナ禍で中断していた合同礼拝が復活されて、皆さんとても喜び嬉しくて、思いっきりの声で歌い賛美し、満面の笑みで主の平和の挨拶を交わして、礼拝後にはこんなに晴れやかな気持ちになったのは実に久しぶりだと、あちこちで感激の言葉が聞かれました。
中でも、礼拝後に堅信受領者が一人ずつ挨拶されたところで、10歳の子の「今日は僕のために集まってくれてありがとう!」との発言には、みんなの温かい笑い声が溢れました。私もプレゼントを手渡しながら「私たちは勿論、あなたのためにここに集まりましたよ」と返答し再び歓声と拍手が聖堂内に響き渡りました。主に感謝です!
私は、京都で過ごしていた時以来、実に34年ぶりにお会いする人たちもいて、懐かしいお顔を見ながら信仰に結ばれて、主に在る交わりにあるのは有難いことと実感しました。同時にこの場に来ることが叶わなかった人たちもおられると思うと、その人たちに神様のお支えとお守り、祝福がありますようにと祈ります。
「神の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マタイ3:35)洗礼堅信された信徒たちも、そこに集った人たちも、様々な理由で来られなかった人たちも全員が主の家族です。神のみ心を常に追い求め、力を尽くして神様の愛にお応えしてまいれるようにと、神よりのお導きを祈るものです。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2023年10月

秋田県は、7月14日から記録的大雨に襲われました。秋田市では、家屋浸水が約7千棟にのぼり、過去最多の被害に遭いました。少し時間が経過してからの詳報によると、秋田聖救主教会と聖使幼稚園の建物に被害はありませんでしたが、信徒宅1棟が水没、1棟が床上浸水、5棟が床下浸水、車両2台水没、また幼稚園児宅1棟の浸水被害が伝えられました。私は秋田に2度赴任し計8年牧会していましたから、とても心配しています。被災された皆様に心からのお見舞いを申し上げます。痛手を受けても復旧に汗し、回復に向かっている中での酷暑は、精神的なダメージが大きかったのではないかと案じています。神さまの慰めとお力づけが与えられますように祈ります。募金や救援活動を教区単位ではしません。各教会において募金等のご協力をしていただければ幸いです。
盛岡で開催された東北教区保育連盟主催第49回保育者大会に全員出席した教役者たちは、続けて夏の教役者会を開きました。北海道教区笹森田鶴主教を講師に迎えて、北海道教区紹介とチーム北国報告を分かち合い、繋温泉の宿に1泊して交流を深めました。2日目は、教役者たちが日頃抱えている課題を出し合い共有し意見交換する貴重な時間を持ちました。コロナ禍になってからこのようにじっくりと対面での教役者会は開かれておらず、4年振りの開催で教役者たちの心が弾んでおりました。やはり、一つの場所で顔と顔を面と向かわせ語り合うのは楽しいものです。宿の主夫婦の振る舞いにも大いに笑わされて、リフレッシュされました。感謝でした。
8月中旬から新型コロナウイルス感染が拡大して第8波のピーク時を凌ぐ勢いです。気を緩めずに、改めて教会の礼拝と活動を適宜判断する慎重さが求められています。
<p style=”text-align: right;”> (教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年11月

長い長い猛暑、酷暑の今夏でした。暑すぎるという理由で、例年は8月に開いている仙台聖フランシス教会日曜学校恒例の「夏の学校」は、9月27日(土)に時期をずらして「秋の学校」と名称も変更しての開催となりました。
参加者は年長児から中学1年生まで35人、聖クリストファ幼稚園の在園児と卒園生です。
スタッフは先生や老若信徒の12人で、準備や運営、ご奉仕に感謝でした。
プログラムは礼拝、自己紹介、聖書の話、カレーライス作り、ゲーム、十字架のキーホルダー作りと盛りだくさんな内容でした。子どもたちは疲れを知らず、思いっきり楽しんでいました。誰もが生まれた時から知っている友だち、仲間、兄弟姉妹のように和んでいて驚きでした。
今回のテーマソングは「主イエスとともに 歩きましょう どこまでも いつも」で礼拝と聖書の時間に、私は2枚の絵画をお見せしました。何せ幼稚園児さんから中学1年生までと幅広いので、視覚に訴えたのです。
1枚は、主イエスとメナスさんが並んで描かれている「友情のイコン」です。どちらがイエス様でしょう?とクイズにし、正解は背後の円光で内側に十字が描かれているほうですと解説しますと、なるほどと納得の様子。イエス様の右手がメナスさんの肩に回されていると説明しますと、二人はお友だちなんだとみんなにっこりでした。
2枚目は、ロバート ツンドの『エマオへの道』(1877年頃作品)です。この絵画が、聖クリストファ幼稚園の廊下の一角に飾られていたのを知らなかった私はビックリして利用したのです。しかもこの額縁は青葉静修館にあったもので、深い神様のお導きに感動しながらルカ24章13〜35節で、ご復活のイエス様が二人のお弟子さんと同行しているように、私たちとともに歩んでおられるのを想像して、子ども賛美歌「エマオの道を 旅ゆくふたり」を皆で歌いました。
(教区主教)
