教区報

主教コラム - 礼拝堂探検隊の記事

礼拝堂探検隊 第22回「クリーデンス・テーブル」

 

祭壇の左側(東面の時は右側)に置いてある小さなテーブルのことを「クリーデンス・テーブル(credence table)」と呼びます。

 

教会では、聖餐式に用いるパン・ぶどう酒などを用意しておくテーブルのことを指しますが、クリーデンスという英語は、「信用・信頼」という意味で、ラテン語のクレド(credo 私は信じます)が語源だそうです。もともとは味見や試食のための食物を置いたサイドテーブルを指す言葉だったようです。

 

 

 

さて、このテーブルの上に置かれるパン(信徒用のウェファース)を入れる容器を「ブレッド・ボックス(bread box)」と呼び、読んで字のごとく「パン箱」です。またぶどう酒と水を入れる容器のことを「クルエット(cruet)」と呼びますが、これも単なる「小さな水差し」という意味です。ちなみにブレッド・ボックスの右側にあるのは、ラバボ・タオル(lavabo towel)とラバボ・ボール(lavabo bowl)です。ラバボとは「洗手」という意味です。

 

つまり、クリーデンス・テーブルも含めて、その上に置かれる各々の容器は特別なものではなく、ごく一般的・日常的なものであることが分かります。

 

ですから大切なことは、それらの容器に入れられたもの、つまりパンとぶどう酒と水が献げられ、感謝聖別の祈り・聖霊を求める祈りのうちに、キリストの御体と御血とされ、私たちを養ってくださるということではないでしょうか。また私たちの日常性が、祈りと聖霊の働きを通して聖なるものとされるということでもあると思います。

 

その意味で、それらを用意する机が「クリーデンス(私は信じます)テーブル」と呼ばれるのは、奥深い意味があるように思いますが、いかがでしょうか。 

 

 

(教区主教)

 

 

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礼拝堂探検隊 第7回「聖書台・説教壇ー①」

今回は会衆席の奥、チャンセル(内陣・祭壇や司式者席等がある一段高くなっている所)から少し会衆席の方に張り出している聖書台と説教壇を見てみましょう。

 

その前に、チャンセル(chancel)とはラテン語のcancellus カンチェルス に由来する言葉で、「格子戸」と言う意味です。それはネイブ(身廊・会衆席部分)とチャンセル(内陣)の境に格子戸があったことからきているそうです。この「格子戸」は日本聖公会ではほとんど見られませんが、山形聖ペテロ教会と北関東教区の日光真光教会に残っていました。

 

さて、多くの教会では聖書台は祭壇に向かって右側、説教壇は左側に置かれています。また現在の山形聖ペテロ教会のように、聖書台と説教壇の機能を兼ねた聖書台が、中央に置かれている教会もあります。

 

伝統的には祭壇に向って右側を使徒書側(Epistle side)と呼び、左側を福音書側(Gospel side)と呼びます。

 

 

朝夕の礼拝をはじめとする諸礼拝で、聖書は一般的に右側の聖書台で朗読されます。しかし、文語祈祷書の聖餐式では、右側の聖書台で使徒書が読まれた後、昇階唱か聖歌を歌っている間に、サーバーが祭壇用祈祷書を恭しく左側に移動させていました。その後、司祭は祭壇中央から左側に移動し、そこで会衆の方を向いて福音書を拝読していました。(つづく)

 

 

教区主教

 

 

 

 

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礼拝堂探検隊 第23回「サンクトゥス・ベル」

 

聖餐式の途中、司祭が感謝聖別の祈りを唱えている静寂の中で、突然チリンチリンチリンとベルが鳴り始めて驚かれたことはありませんか。

 

あのベルのことを、私たちは「サンクトゥス・ベル sanc-tus bell 聖なるかなの鐘」と呼んでいますが、それ以外にも「セイクリング・ベル sacring bell 神聖な鐘」とか「オールター・ベル Alter bell 祭壇の鐘」という言い方もあるそうです。

 

このベルをサーバーが何のために鳴らすのかといいますと、「聖餐式の中の特定の瞬間を強調し、会衆の注意を喚起するため」なのです。「サンクトゥス・ベル」と呼ばれるのは、一同で唱える「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神 主の栄光は天地に満つ」の「聖なるかな」のところで3回鳴らすからで、この習慣は十五世紀からだそうです。

 

もう一か所は、司祭が「主イエスは渡される夜」で始まる聖餐制定語を唱える時で、「わたしを記念するため、このように行いなさい」と言って一礼した後、パンを高く掲げ、それをパテン(聖皿)に置いた後一礼する動作(ぶどう酒の時も同じ。この動作をエレベーションと言います)の時に、3回ずつ鳴らします。この習慣は十二世紀に始まったと言われています。

 

このような習慣は、中世の礼拝で用いられた言葉がラテン語だったため、一般の人々には何を祈っているのか理解できなかったので、「ここは大事だよ」ということを知らせるためだったのでしょう。

 

ほかにも聖餐制定後を唱える直前とか、司祭が陪餐した後、信徒が祭壇の前に進むことができる時を示すために鳴らすこともあるようです。

 

 

(教区主教)

 

 

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