教区報

主教コラム - 2018年の記事

ほそ道から 第9回「居場所としての教会」

 10月22日(月)から25日(木)までの4日間、李 贊熙司祭・赤坂有司常置委員長と共に大韓聖公会テジョン教区をお訪ねしてきました。

 

 今回の訪問の目的は、9年間にわたって宣教協働者として東北教区で働いてくださっている李贊煕司祭を快く派遣してくださったことへの御礼と、両教区の今後の交流について意見を交換することでした。

 

 

大韓聖公会大田教区主教座聖堂

大韓聖公会大田教区主教座聖堂

 両教区の今後の交流について、ユ・ナクジュン主教様は、現在は教区間の交流だけれども、将来的には教会間の交流や人的交流が望ましい、との見解を示されました。そして最初は青少年の交流とかから始めるとよいのではないかとのことでした。それについては、明確なお答えはできませんでしたが、来年度以降、東北教区としても具体的な交流を計画できればと思います。

 

 さて、このような協議のほか、ユ主教様は私たちに社会宣教の実際を見せてくださいました。「ナヌメチップの家」と呼ばれる働きですが、一つは登校拒否等になっている中高生の支援活動。もう一つは繁華街にある市の青少年センターで、高校生以上の青年男女にたまり場を提供する働きです。これらはいずれも短期または長期の宿泊も可能で、つらい思いをしている彼らが安心して居ることのできる支援をしているそうです。

 

 

 

教会というのは、ある意味で「居場所」かもしれませんね。様々な場から集められた私たちが、御言葉と聖餐に養われ、この交わりの中に居ていいんだよ、と言っていただきました。それは私たちにとって、「安心して居ることのできる居場所」です。

 

 

 この一週間、あまり他の人とお話しする機会のなかった方が、「元気だった?」と声を掛け合い、気兼ねなくおしゃべりができる場、思いを分かち合える場、そんなホッとできる場でありたいと思います。

 

教区主教 あけぼの2018年12月号

ほそ道から 第8回「教会って何?」

 9月16日(日)から17日(月)の2日間、若松諸聖徒教会を会場に宣教部主催の教区修養会が開催されました。今年の修養会のテーマは「教会って何?」という、私たちの原点を探るものでした。
 

 

 お気づきになっておられる方もおられると思いますが、今の祈祷書の「教会問答」は「教会とは何ですか」という問いから始まります。それに対して前の文語の祈祷書(1959年祈祷書)の公会問答は、「あなたの教名は何といいますか」で始まっていました。
 

 これは大きな違いです。といいますのは、『1959年祈祷書』では教会(公会)は自明のことと考えていたようで、私と神様との関係に重点を置いていました。それに対して今の祈祷書は「教会とは何か」という問に対して、「主イエス・キリストにあって神に生きるすべての人の集まりで、神の家族、キリストの体」と答えます。私と神様との関係はもちろん大切ですが、その私は、キリストを頭とする肢体であり、キリストの体である教会を構成する大切な一人なのです。つまり個としての私は教会共同体の構成メンバーでもあるのです。
 

 

 

教会って何? 「部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」

(コリントの信徒への手紙Ⅰ 12・25~27)

 

 

 修養会の詳しい報告は『あけぼの』紙上でもあると思いますが、参加者は5つのグループに分かれて、「教会とは何か?どのような場なのか?」ということについて、作業手順に従って思いや考えを分かち合いました。
 

 結論が出たわけではありませんし、今後の課題なのですが、少なくとも教会は、「互いに配慮しあい、共に苦しみ、共に喜ぶ共同体」でありたいと思います。

 

教区主教 あけぼの2018年11月号

ほそ道から 第7回「経験したことのない?」

 今年は「今まで経験したことのない〇〇」という枕詞が、大雨や台風、地震などの自然災害を形容する言葉として使われています。確かに今までは9月に入ると、「二百十日」とか「二百二十日」といって、台風の季節を迎えていました。

 

 1959年に愛知県と三重県に甚大な被害をもたらせた伊勢湾台風の時には、寝ていた部屋の蛍光灯が点滅しながら揺れて、とても怖かったことを思い出します。潮岬に上陸した時も930mbだったそうですから、その大きさは想像を絶するものでした。しかし、その3年後の1961年9月に高知県室戸岬に上陸した第2室戸台風は925mbだったそうで、昭和30年頃から40年にかけては、結構毎年のように大きな台風が上陸しています。
そうしますと、「今まで経験したことのない〇〇」という枕詞は、余り正確な表現ではないことになります。とはいえ、この表現は2012年6月に気象庁が用い出したのだそうで、「重大な災害が差し迫っている場合に一層の警戒を呼びかけるため、使用される表現」なのだそうです。

 

 

 ということは、どのような大災害であっても、私たちは忘れてしまう存在であることを前提としているのです。確かに6月に行なわれた「第1回被災地巡りツアー」で名取市閖上の日和山を訪れたとき、慰霊碑と記された石碑が横たえられていました。その一つに過去の津波のことが刻まれていたのですが、ほとんど省みられることはなかっ

被災地巡りランチツアー

震災慰霊碑「芽生の塔」

たそうです。震災慰霊碑「芽生の塔」へ移動し、祈りを捧げました。この芽生の塔の先端の高さは8.4m、押し寄せた津波の高さになっています。

 

 もちろん私たちは、経験したすべてのことを記憶に留めておけるわけではありません。忘れられるから生きていけるという側面もあるでしょう。けれども私たちの人生・信仰にとって、忘れてはならないことを、しっかり意識して生きていくことが大切なのではないでしょうか。

 

教区主教 あけぼの2018年10月号

ほそ道から 第6回「掲示板」

 7月21日(土)、宣教部主催の「高齢者福祉について学ぶ会」が主教座聖堂ビンステッド主教記念ホールで開催され、私も参加しました。この集いは、信徒の高齢化とお独り暮らしの高齢者増加の中で、高齢者の方々と教会(信徒・教役者)がどのような関係を築いていけるのか、どのようなサポートができるのかについて学ぶどいうものでした。

 

 講師に具体的なお話を聞いた後、グループごとに分かち合いの時を持ちました。その時「教会の掲示板って大切なのよね。礼拝後の案内が聞き取りにくいこともあるし」そんな声にハッとしました。

 

 確かにどこの教会に行っても、玄関ホール付近に「掲示板」があります。でも私たちは、どれくらいこの掲示板に目を向けているでしょうか。礼拝出席簿に名前を書く、週報や月報をいただく、挨拶を交わす。礼拝前(礼拝後もそうかもしれませんが)はすることが多くて、そこまで目が向いていないかもしれません。

 

 このように、教会の中であまり目立たず、ひっそりと玄関ホール付近に佇んでいるのが「掲示板」なのです。

 

 

 ところでこの「掲示板」、教会法ではなく「宗教法人法」というこの世の法律によって設置が義務付けられています。だから玄関ホールでなく教会事務所にあっても良いのです。けれども掲示板は、教会が信徒や関係者の方々に公式にお知らせする公文書を掲示する(10日間)道具なので、みんなの目に一番触れる所がいいということになります。

 

 教会の総会や教会委員選挙の公示、公告、教区から出された公示(教区会・聖職按手・人事異動など)、『教務所通信』や献金依頼のポスターなどあらゆる公のお知らせがここに掲示されます。

 

 掲示板には「十字架」のような霊的な意味はありませんが、私たちが教会生活を送る上で、大切な道具です。チラッと見てください。

教区主教

あけぼの2018年9月号

ほそ道から 第5回「痛みを共に担うには」

6月24日(日)、礼拝堂聖別一周年を迎えた磯山聖ヨハネ教会を巡回しました。加藤主教様を始め信徒の皆さんと感謝の聖餐式をお献げした後、午後は祈りの庭での短い黙想、そして祈りの庭から海に向かって車で3分の所にある、磯山展望緑地に移動しました。

 

ここには、磯山の信徒の方々をはじめとする埒浜地区有志の方々の寄付によって、歌碑が建立されていました。碑には歌人の本多俊子さんが詠まれた、次のような歌が刻まれています。

 

磯山の
  枯れ葦原乃 津波跡
     舞ひていとほし
            鎮魂の雪

 

いろいろな哀しみが漂う、声にすると涙もこぼれそうな、そんな歌でした。

 

阪神・淡路大震災から23年、東日本大震災から7年。それ以降、どれだけの自然災害が起こり、多くの人々の命が失われ、傷つかれたことでしょうか。昨年から今年だけでも、九州北部豪雨や大阪北部地震、先日の西日本豪雨など、「想定外」という言葉が色あせるほどの災害が頻発しています。わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。

 

神様にかたどって創られた人間に委ねられた任務、神様が極めて良いものとして創造された世界の管理責任(創世記第1章)を、人間が御心に適うように果たしているだろうか? それが問われているように思えてなりません。

 

神戸教区では倉敷と広島にボランティアセンターを立ち上げ、近くボランティアの募集を始めるそうです。それに参加することも私たちの任務の果たし方でしょう。参加できなくても、日々の祈りをもって支える、それも大切な働き、任務の果たし方だと思います。私たちが自分のできるやり方で、痛みを共に担うことができますように。

教区主教

あけぼの2018年8月号