教区報

主教コラム - 2020年の記事

礼拝堂探検隊 第11回「オルガン-②」

16世紀に頂点を極めたパイプ・オルガンは、ピューリタン(清教徒)革命が起こった17世紀半ばの英国で、受難の時代を迎えます。

 

ピューリタンは、王制と共に主教制・祈祷書による礼拝を廃止し、ステンドグラスや石造りの祭壇、祭服・祭具と共に数多くのオルガンを破壊しました。オルガンは真の信仰にとって有害だと考えたからです。その後、ピューリタン革命は20年で挫折し、それに伴って17世紀後半には、再び教会でパイプ・オルガンの音色が響き渡りました。

 

 

東北教区の多くの教会で用いられているオルガンは「リード・オルガン」です。写真は弘前昇天教会にある米国のB. SHONINGER(B・ショニンガー)社製オルガンで、1882年頃のものです。19世紀半ばにフランスで実用化されたこの種のオルガンは、しばしば「足踏みオルガン」と呼ばれています。美しい音を出すためには、ペダルをゆっくり、深く、音が揺れないよう交互に踏むことが大切だそうです。

 

オルガンは、私たちが心から神様を賛美する礼拝に奉仕するためにあります。また私たちの心を静かに落ち着かせ、あるいは元気づける役割りもあります。時々、礼拝堂の正面に巨大なパイプが鎮座している教会を見かけることがありますが、主役はあくまでも神様であり、準主役はその神様に感謝賛美を献げる私たちの心なのです。その意味では私たちもオルガンも、共に神様に仕える存在であることを心に留めたいと思います。

 

 

(教区主教)

 

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礼拝堂探検隊 第10回「オルガン-①」

 

今回は「オルガン」です。会衆席の後に置かれている教会も多いと思いますが、仙台基督教会では会衆席の一番前に置かれています。またオルガンには様々な種類(パイプ・オルガン、リード・オルガン、電子オルガン等)がありますが、東北教区では先代の主教座聖堂に小型のパイプ・オルガンが設置されていたことを覚えておられる方も多いと思います。

 

 

パイプ・オルガンの歴史は古く、人類が誕生した時から既に類似の楽器の存在が認められるそうです。オルガンの語源はギリシャ語の「オルガノン」で「道具・器官」という意味でしたが、次第に楽器一般を指し、ついには「オルガン」そのものを指すようになりました。

 

 

西方教会におけるその最も古い記録は、フランク王国のピピン(8世紀・カール大帝の父)にビザンチン帝国から寄贈されたというものだそうです。英国のウインチェスター大聖堂に巨大なオルガンが設置されたという記録もあり、修道院の聖務日課(聖公会では「聖務時祷」と呼ぶ1日8回行われていた礼拝)を歌う練習に使われていました。そして時代を経るに従って複雑精巧になり、様々な音色を演奏できるようになりました。

 

 

16世紀には各国の教会に、各々の礼拝にふさわしいオルガンが設置されました。宗教改革で会衆が積極的に礼拝に参加するようになりますと、賛美歌・聖歌の伴奏として、また礼拝の前奏・後奏に用いられ、J・S・バッハでその頂点を極めることになったのです。〈つづく〉

 

(教区主教)

礼拝堂探検隊 第9回「聖歌表示板」

 

チャンセルに上がる前に目に入るのは「聖歌表示板」。この正式名称は分かりませんが、その日の礼拝で歌う聖歌の番号を知らせる道具です。形は教会によってさまざま、最新式では電光掲示板式のものもあります。

 

聖歌番号を知らせるという意味では、別になくてもよいかも知れません。聖歌番号は週報に印刷してありますし、歌う直前には司式者やサーバーが番号を告げるのですから。

 

しかし教会は目の不自由な方、耳の不自由な方にも開かれています。高齢の信徒の方々が増えるにつれて、今の聖歌集では重過ぎるという声もありますし、アナウンスの声が聞こえにくくなったという方もおられるでしょう。

 

 

そこで教会によっては、パソコンとプロジェクターなどを用意して、少しでも見やすくなるような工夫をしているところもあります。また一人一人の人に音が聞こえるように、会衆席に小さな個人用スピーカーを着けているところもあるそうです。あるいは手話通訳者がおられる所もあります。「聖歌表示板」はその中でも、最も古くから愛用されている「会衆をサポートする道具」なのかもしれません。

 

それともう一つ、この表示板は聖歌番号だけでなく、その主日の名称も示しています。これは今がどのような時(神様の時―カイロス)かを知らせているのです。

 

いずれにせよ、福音はすべての人に開かれています。神様はすべての人に福音がとどくことを望んでおられます。そのために私たちのできること、神様の宣教の業に奉仕できることを見出していきたいものです。

 

(教区主教)

礼拝堂探検隊 第8回「聖書台・説教壇ー②」

文語祈祷書時代には、なぜ祭壇用祈祷書(福音書)を左側に移動し、そこから読まれたのでしょうか。

 

これには諸説ありますが、初期の西方教会で、キリストの福音が地中海側(南側、即ち右側)から異民族の住んでいた大陸内部(北側、即ち左側)に宣教されていく有様を現しているそうです。現在ではしばしば福音書は会衆席の真ん中で朗読されます。これは、世界の中で福音が宣言されることを意味しています。
そのことから考えますと、聖書台から聖書が朗読されるということは、神様の御言葉が世界に向かって宣言されるということであり、それを聞く私達は御言葉に養われることを意味します。

 

また説教壇が左側(福音書側)にあるということは、説教とは現在の状況の中で説教者の口を通して語られる御言葉(福音)の解き明かしだということです。本当にそうなっていれば良いのですが。

 

 

さて、これらに共通することが一つあります。それは聖書も説教も、そのどちらもが「聴く」ものであるという点です。誰もが聖書を読めるようになったのはたかだか五百年。それまで聖書は読むものではなく聴くものでした。「聴」という字は、耳を大にして、十方四方に心を配って聴く姿勢だそうです。

 

その意味で聖書日課朗読者は聖堂の一番後にいる人にも届くような読み方に心掛け、私達は礼拝の中で御言葉を「聴くこと」に徹しますと、今までとは別の響きで聴けるのではないでしょうか。
 

教区主教

 

 

 

 

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礼拝堂探検隊 第7回「聖書台・説教壇ー①」

今回は会衆席の奥、チャンセル(内陣・祭壇や司式者席等がある一段高くなっている所)から少し会衆席の方に張り出している聖書台と説教壇を見てみましょう。

 

その前に、チャンセル(chancel)とはラテン語のcancellus カンチェルス に由来する言葉で、「格子戸」と言う意味です。それはネイブ(身廊・会衆席部分)とチャンセル(内陣)の境に格子戸があったことからきているそうです。この「格子戸」は日本聖公会ではほとんど見られませんが、山形聖ペテロ教会と北関東教区の日光真光教会に残っていました。

 

さて、多くの教会では聖書台は祭壇に向かって右側、説教壇は左側に置かれています。また現在の山形聖ペテロ教会のように、聖書台と説教壇の機能を兼ねた聖書台が、中央に置かれている教会もあります。

 

伝統的には祭壇に向って右側を使徒書側(Epistle side)と呼び、左側を福音書側(Gospel side)と呼びます。

 

 

朝夕の礼拝をはじめとする諸礼拝で、聖書は一般的に右側の聖書台で朗読されます。しかし、文語祈祷書の聖餐式では、右側の聖書台で使徒書が読まれた後、昇階唱か聖歌を歌っている間に、サーバーが祭壇用祈祷書を恭しく左側に移動させていました。その後、司祭は祭壇中央から左側に移動し、そこで会衆の方を向いて福音書を拝読していました。(つづく)

 

 

教区主教

 

 

 

 

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