教区報

主教コラム

「昨日も今日も、また」2025年9月

 

4月の大阪教区主教按手式に続き、7月5日九州教区主教按手式ならびに九州教区主教就任式が挙行されて、マルコ柴本孝夫新主教が誕生しました。私が柴本主教で一番に思い浮かぶのは支援車両です。
2011年3月11日東日本大震災後に日本聖公会が立ち上げた被災者支援「いっしょに歩こう!プロジェクト」では、活動のため複数台の車両を必要とし、沖縄教区からは新車同然の10人乗りワゴン車が提供されました。ワゴン車は沖縄から九州に輸送後、当時の柴本司祭と九州教区信徒の山本尚生さんが陸路丸々2日間掛け本州縦断、仙台まで運転して来てくださったのです!これだけでも凄いお働きでした。
車のボディには、聖公会の日本宣教開始とされている米国聖公会リギンズ宣教師とウイリアムス主教が長崎に上陸した1859年より13年前の1846年に、イギリスの琉球伝道団から「ベッテルハイム」という医師の宣教師が那覇に来て、迫害の中で8年間伝道していたその人の名が印字されていました。「沖縄」のナンバープレートの車に、スタッフは「うちなんちゃー」の愛称を付けて愛用しました。
緊急救援物資を北は釜石から南は小名浜まで運び、被災された方々をお乗せしてのお茶会や買い物ツアーにお出かけをし、全国から来たボランティアたちの輸送や訪問者の送迎など、13年間多くの場面で大活躍した車両でした。
昨年の能登半島地震後うちなんちゃー号は京都教区災害対策室に移譲され「京都」ナンバーで使用されています。私は京都教区主教館前に駐車しているその車を目撃し、感無量でした。柴本主教さんたちの行為は、こうして次から次へとバトンタッチされて、奉仕の継承がなされているのです。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私は日本聖公会の宣教の歴史と継承、全体性と一体性、教区間協働の象徴としてのうちなんちゃー号に希望の光を感じます。

 

 

(教区主教)

 

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「昨日も今日も、また」2025年8月

 

6月15日(日)、京都教区の京都伝道区合同礼拝・合同堅信式が主教座聖堂聖アグネス教会で催され、管理主教である私が司式説教を執り行いました。受領者は洗礼堅信1名、堅信6名の計7名で、9歳お二人、10歳、15歳、47歳、55歳、80歳の方々でした。親、子、孫といった年代で、それだけで一つの家族を見ているようでした。教会別では下鴨、桃山、聖アグネス、京都復活の4教会でした。

 

聖堂は約200人の会衆で一杯になり、大きなお恵みにあずかりました。コロナ禍で中断していた合同礼拝が復活されて、皆さんとても喜び嬉しくて、思いっきりの声で歌い賛美し、満面の笑みで主の平和の挨拶を交わして、礼拝後にはこんなに晴れやかな気持ちになったのは実に久しぶりだと、あちこちで感激の言葉が聞かれました。

 
中でも、礼拝後に堅信受領者が一人ずつ挨拶されたところで、10歳の子の「今日は僕のために集まってくれてありがとう!」との発言には、みんなの温かい笑い声が溢れました。私もプレゼントを手渡しながら「私たちは勿論、あなたのためにここに集まりましたよ」と返答し再び歓声と拍手が聖堂内に響き渡りました。主に感謝です!

 

 

私は、京都で過ごしていた時以来、実に34年ぶりにお会いする人たちもいて、懐かしいお顔を見ながら信仰に結ばれて、主に在る交わりにあるのは有難いことと実感しました。同時にこの場に来ることが叶わなかった人たちもおられると思うと、その人たちに神様のお支えとお守り、祝福がありますようにと祈ります。

 

 「神の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マタイ3:35)洗礼堅信された信徒たちも、そこに集った人たちも、様々な理由で来られなかった人たちも全員が主の家族です。神のみ心を常に追い求め、力を尽くして神様の愛にお応えしてまいれるようにと、神よりのお導きを祈るものです。

 

 

(教区主教)

 

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「昨日も今日も、また」2025年7月

 

東北教区北海道教区合同教役者会が5月26日~28日、北海道教区の担当で開かれました。今回の主要テーマは、新教区設立に向けての現状と課題で、参加者はチーム北国メンバーから現状を聞き感想や意見を2日間語り合い、一歩も二歩も前向きに指向されたと思います。

 

二日目、私はアイヌ文化センター「白老ウポポイ民族象徴空間」を見学する機会を得ました。国立アイヌ民族博物館では陳列物を見ながらアイヌの歴史と文化、言語に少し触れました。歴史コーナーにはジョン・バチラー、バチラー八重子、金成マツの名前が登場し書籍が置かれ、ビデオ紹介もありました。チーム北国から発行された絵本「北のあけぼの―さあ、光を灯そう―」を思い浮かべてmここに居たかという感じでした。

 

広谷和史司祭さんの講演記録「アイヌモシリに生きる―人間の静かな大地」で、言語学者の金田一京助が近代の教会(旭川の教会の前身」を訪ねたことがきっかけで、知里幸恵がカムイ・ユーカラを筆録し、彼女が19歳3か月の若さで死去後、その教会に平取から赴任していた伯母の金成マツが仕事を受け継ぎ、23年間に記したアイヌ語が大学ノート1万ページに及んでいたこと、知里幸恵編「アイヌ神揺集」の序文にこう書かれていると紹介しています。

 

「愛する私たちの先祖が起き伏す日頃、互いの意を通ずるために用いた多くの言語、言い古し、遺し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、滅び湯行く弱きものと共に消えうせてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい、名残惜しいことでございます。」

 

そうなのです、言葉は命なのです。「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった。」(ヨハネ伝1:3-4)北の大地で私は、万有のことばに出会っていました。

 

 

(教区主教)

 

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