教区報

教区報「あけぼの」- 2023年の記事

あけぼの2023年2月号

巻頭言 新年メッセージ 「声をかける」

 

 

2020年から始まった新型コロナ感染症の影響は、ついに4年目に入ってしまいました。それに加えて昨年の2月からはロシアのウクライナ侵攻という、90年前の世界にタイム・スリップしたのかと思わせるようなできごとが起こりました。それは今もなお多くの弱い立場にいる人々を、苦しみと悲しみの淵に追いやり続けています。

 

どうぞ皆様、新型コロナで療養しておられる方々、戦火にさらされて苦しんでおられるウクライナの方々のことを憶えて、お祈りくださいますようお願いいたします。

 

 

「男だろ!!」から「信じてるぞ」

 

今年も箱根駅伝を見ておりました。昨年は青山学院大学監督の「スマイル、スマイル」について書きましたが、今年は駒澤大学の大八木監督の掛け声が気になってしまいました。

 

彼が走っている選手に「男だろ!!」と檄を飛ばして話題になったことはご存じかと思います。ところが今年は、今までとは違う掛け声が多かったように思いました。

 

その掛け声とは、「お前ならできる!!信じてるぞ」です。このように変わった理由を大八木氏は、あるインタビューで次のように述べていました。

 

「私の一方通行でした。厳しかったし、学生は私に何も言えなかったと思う。」以前とは違い選手の意向を聞くようになり、そうすると積極的に声も掛けるようになります。「話し合ってやらなくちゃ。自分から話を聞こうと。自分も変わらないと」。

 

 

イエスさまの声かけ

 

イエス様は、既に二千年前から私たちに声をかけてくださっています。

 

「徴税人ザアカイ」の物語(ルカ19・1~10)は、イエス様の方から声をかけられたお話しです。ザアカイはエリコの町においでになったイエス様をひと目でも見たいと思っていたのですが、群衆に遮られて見ることができませんでした。ザアカイは徴税人の頭だったため、群衆からは罪人のみならずローマの手先と考えられて、誰もが背が低い彼を配慮しようとはしなかったのです。そこでザアカイは先回りしていちじく桑の木に登ってイエス様のお姿を見ようとします。そんなザアカイにイエス様は木の上を見上げ、「急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と声をかけられるのです。ザアカイは本当に嬉しかったと思います。

 

またイエス様は対話を通しても、声かけをしてくださいます。「カナンの女の信仰」(マタイ15・21~28)では、初めは何もお答えになりませんが、「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と応える彼女との対話を通して、「あなたの願いどおりになるように」と声をかけてくださるのです。

 

 

私たちは誰に

 

私たちもイエス様に倣って「声をかけ」たいと思います。今年は、そして今年も、教会の礼拝においでになった方々、特に初めて礼拝においでになった方に「優しく一声、おかけ」できればと思います。

 

「おはようございます」の一声が、「ようこそいらっしゃいました」の一声が、自分も認識され、受け入れられていると感じていただけるなら、心の中で嬉しく感じていただけるなら、すてきですよね。

 

ご一緒にそのような教会を目指したいと思います。

 

 

教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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あけぼの2023年1月号

巻頭言 クリスマス・メッセージ 「心に花咲く、クリスマス~越冬つばめとなった教会~」

 

 

先月行われた教区会において、新庄聖マルコ教会、鶴岡聖公会、室根聖ナタナエル教会の他教会との合併に関する議案が可決されました。このことは、霊的にはこれらの教会が合併先の教会とともに歩みを始めることであり、決して消滅ではないと理解されています。

 

私事になりますが、鶴岡聖公会には1994年から2000年までの6年間奉仕させていただきましたので、特別な思いが募ります。当時私どもの子どもたちが幼い頃だったこともあり、冬の大雪の中にあっても、また信徒の皆さんと和気あいあいと過ごし、楽しい思い出で溢れています。ある年のクリスマスには、子どもたちも含めて皆でお友だちや知人を招待し、礼拝堂が一杯になるほど賑やかになったこともありました。思いがけず多くの人々で溢れ、祝会の食事が間に合わず、慌てたこともありました。1995年の阪神淡路大震災の時には、当時教会で扱っていた庄内特産の漬物「しなべきゅうり」を被災地に届ける運動なども行われました。また、仙台基督教会聖歌隊の訪問など、どれも懐かしい出来事です。

 

また、新庄聖マルコ教会にあっては1982年に行われた伝説の「青年の集い・ワークキャンプ」などを思い出すにつれ、その場所に教会がなくなってしまうことを思うと「心がしぼみ」、悲しみが増してまいります。また信徒の皆さんの寂しく悲しい思いは想像に難くありません。

 

 

このような思いの募る中、先日歌手の森昌子さんの歌う「ヒュルリ、ヒュルリララ」が心に残る「越冬つばめ」を作詞された石原信一さんの講演を聴く機会が与えられました。石原さんは会津の出身で、長く東京在住ですが、ずっと若松諸聖徒教会の信徒で、母上は若松聖愛幼稚園の先生でいらした方です。その中で「越冬つばめ」の制作秘話を紹介され、越冬つばめは、実際に見たことはないが「生れ育った会津の家のこたつの中にいました。」と語られました。それは、幼い頃母親が読んでくれた「幸福の王子」(アイルランド出身のオスカー・ワイルド作)に登場する「つばめ」だというのです。

 

「幸福の王子」のお話は、とある町の中心部の高く立つ灯の上に、若くして亡くなり、しかも不思議なことに自我を持った王子の像が立っていて、あちこちを飛び回って様々な話をしてくれるつばめと共に、苦労や悲しみの中にある人々のために像に飾られている宝石や体を覆っている金箔を分け与え、みすぼらしい姿になっていくお話です。つばめは一刻も早く南に渡らなければならないのに、王子像と運命を共にする覚悟を決め、王子に仕えます。王子は宝石でできた目さえも差出し、つばめもとうとう像の足元で力尽きます。その後、像は何も知らない人々によって溶かされ、像の鉛の心臓とつばめの死骸だけが残ります。天国では、地上の様子を見ていた神が、天使に「この街で最も尊いものを二つ持ってきなさい」と命じ、遣わします。天使はゴミの中から王子の鉛の心臓と、つばめの死骸を取り上げて献げ、神は天使を褒めたという話です。

 

 

クリスマスを迎える時、越冬つばめの姿と天上にささげられた教会が重ね合わせられ、私のしぼめる心に、ようやく一輪の花が咲くのを覚えました。心から皆さまにクリスマスのお祝いを申し上げます。

 

 

郡山聖ペテロ聖パウロ教会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

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