教区報

教区報「あけぼの」 - メッセージの記事

あけぼの2024年3月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「教誨師の働きを通して思うこと」

 

 

私が盛岡聖公会の牧師に就任してから、岩手県にある二つの矯正施設、盛岡少年刑務所並びに盛岡少年院において教誨師活動を続けております。これは、1948年に当時の牧師であった村上秀久司祭教誨師としての働きを始められたことが始まりでそれ以降、歴代の牧師(笹森伸兒司祭、佐藤真実司祭、村上達夫司祭(当時)、佐藤忠男司祭(当時)、中山茂司祭、林国秀司祭)が受け継いできています。

 

前任の林司祭より引き継がせていただいた時は正直不安でした。何せ「刑務所」を訪れたことはこれまでになく、「どのような場所であるのか」「また受刑者とどう向き合い何を話せば良いのだろうか」が全く想像つかなかったからです。

 

加えて当時は新型コロナウイルス感染症真っ只中であったため、私のように新人を対象とした「新人研修」もオンラインでの開催となり、元来行われていた他の教誨師の皆さんとの情報意見交換などが全く出来ませんでしたので、ますますその気持ちは大きくなっていました。

 

そのため少しでも不安を解消したかったのd、前任の林司祭や同じ盛岡市で教誨師をされている日本基督教団の牧師さんに相談にのっていただきました。お二人からは「不安だとは思いますが聖書のみ言葉を信頼して、そして越山司祭の生きた言葉をお話しすれば良いと思いますよ」と助言を頂き、少し気持ちが楽になりました。借り物の言葉ではなく自分の言葉で相手と向き合っていくという「あなた」と「わたし」の関係こそ、主イエスが大切にされたことです。

 

 

そのようなことがあった後に、初めての教誨師としての日を迎えました。用意されていた部屋には一人の受刑者の方が待っておられました。短く自己紹介をしてから一緒に聖書を読み、お話しをしました。

 

大変緊張しましたが、私自身のこれまでの苦しかった経験を語り、そんな時に聖書のみ言葉が自分を支えてくれたことを一生懸命に語りました。話し終わってから感想を聴いてみると「牧師さんもいろいろな経験をされているのですね。少しほっとしました」という声を伺い、私自身も内心安心したしたことを覚えています。

 

 

このように相手に思いが届くという経験は嬉しいものですよね。それ以降、第一火曜日の夕方に盛岡少年刑務所に出向き、盛岡少年院には年に1~2回出向いてお話をさせていただいております。毎回毎回試行錯誤の繰り返しですが、受刑者の皆さんには熱心に聖書のみ言葉に耳を傾けてくださいます。

 

受刑者の方はそれぞれ罪を犯して刑務所に収容されて刑期を過ごしています。そして、その犯してしまった罪を悔やみ、再出発したいと願っておられます。刑務所の職員の方も皆それを心から願い、日々向き合っておられます。教誨師として私が大切にしていることは「み言葉の力を信頼する」ということです。み言葉を通して主イエス様が彼らの心に触れ、彼らに生きる希望を与えてくださることを信じて教誨師活動を続けて参りたいと思います。

 

教誨師活動は私個人ではなく盛岡聖公会の働き、キリストの教会の大切な働きであると思います。どうかお祈りの内にお覚えください。

 

 

盛岡聖公会 牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也

 

 

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あけぼの2024年2月号

巻頭言 新年メッセージ 「ガリラヤの地」

 

 

新年明けましておめでとうございます。先月号にクリスマスメッセージが載りましたから、一ヵ月遅れですが今号で新年の御挨拶を申し上げます。

 

しかしながら、元旦夕刻に能登半島地震が発生、2日夕方には羽田空港航空機衝突炎上事故が続き、心痛む、重たい気分の新年となりました。特に能登半島では強い余震が頻発し、日を追うごとに被害の大きさ、深刻さが報道されています。

 

それにしても、当初情報が少なく被害の実態や救援活動の状況が分かりませんでしたから、本当に心細くいたたまれない思いでした。情報が無いというのは人々を不安にさせます。

 

2011年の東日本大震災後被災者支援の先頭に立たれた加藤博道主教は、ある日のメッセージで私たちに「想像力」を要求しました。すなわち、被災地でない地域・遠くにいる人たちは普段どおり生活している訳だけれども、今、被災地にいる・避難所にいる人たちはとっても寒いだろう、腹を空かせているだろう、淋しいだろう、泣いているだろう、痛んでいるだろう、と想像してください、と私たちを諭しました。

 

被災された知らない人たちのことを思うのは難しいことです。しかし身近に関係する要因があれば、思うことが少し可能になります。あおの土地に行ったことがあるとか、そこはあんな風景だったとか、友人があそこにいるとかです。

 

震災後やや時間が経過して、一般人たちが全国から、海外から被災地に来られ、ボランティアをしました。その人たちは、自分の目で見、肌で感じ取ったので、想像しなくても被災された人たちに想いを寄せられました。その時から彼ら彼女らは、被災された方々の隣人になりました。

 

 

マーガレット・パワーズさんの「あしあとFoot prints」という詩で、「私の人生でいちばんつらく、悲しい時」砂の上に残されたあしあとが一つしかなかった、何故と問うと「主は、ささやかれた。『わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に、あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた』」と謳います。

 

人生苦難に喘いでいる最中に、イエス様がその人をおんぶしておられる、という最高に有難い真実が、殊更に大きなお恵みが、とてつもなく深い慈愛が告白されています。

 

 

         (岩木山)

2011年、私は震災後一カ月ほど現地を駆け巡って、ご復活の主イエスが言われた「あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」、「恐れることはない。きょうだいたちにガリラヤへ行くように」とのお言葉を正に聞かせていただきました。

 

それ故、私たちと常にご一緒におられる主に、私たちが神から遣わされているここ東北というガリラヤでお目にかかれるというものです。私たちと共におられて、苦難の時に背負って歩いてくださり、歩んでくださる主を見つめましょう。今、私たち信仰者は、能登半島地震の被災地にいる皆さまや、ガザの人たちや世界中で被害を受けている人たちの状況・心境を想像してお祈りで繋がりましょう。想像力を持って粘り強く、辛抱強く祈り続けましょう。

 

 

教区主教 主教 フランシス 長谷川 清純

 

 

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あけぼの2024年1月号

巻頭言 クリスマスメッセージ 「静寂の中に響く声」

 

 

決して専門家ではありませんが、先ずは俳句の句から。

 

「古池や 蛙飛び込む 水の音」という芭蕉の句。ここで味わうべきは、「水の音」と表現されているものの、実は無音、静寂、沈黙と言っても過言ではありません。水の音によって響いた沈黙の世界の余韻、これがこの句の本来の味わいだと言われます。

 

あるいは、「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」に至っては、もっと鮮明に音の背後にある沈黙の世界を浮かび上がらせています。蝉の声は静けさどころではありません。しかし「静けさ」ではなく「閑けさ」と呼んで深閑と静まりかえる寺のその閑けさを、岩にしみ入る蝉の声から聴いた、というのがこの句のもつ趣なのでしょう。つまり、強音の背後に隠れた負の世界を感じる芭蕉の感性がそこにあると言えます。

 

こうした俳句の世界にも見られる「負」に対する感性が薄れてきて、結果、現代人が無音に弱くなってきた、現代は無音や沈黙の世界が失われつつある、そう評するあるオーディオ評論家のコメントに、だから大きく頷きました。同時に、そのような音に関する現状が、音の世界だけではなく、強音に引きずられて弱音を聞き取れないという「精神構造」をも生み出しているのかもしれない、そんなことも思わされます。声なき声を聞き取ることができない、強い主張をする人に押し切られてしまう会議などです。

 

 

さて、この「深い沈黙」「無音の静寂」の世界の大切さを心に留めながら、思い出したい場面、それが最初のクリスマスの夜です。私たちはこの場面を、クリスマス・クリブや聖画を通して、映像的には案外容易に思い巡らすことができるのかもしれません。しかし「劇/絵/画像」でなく、これを音の世界でイメージしてみるとどうでしょうか?

 

そこにはやはり、「深い沈黙」「無音の静寂」の世界があったのだと思うのです。馬小屋のみならず、クリスマスに纏わる様々なシーン、すなわち聖母マリアが天使からみ告げを受けたときも、羊飼いたちがみ告げを受けたときも、クリスマスに纏わる場面はどれも、深い静寂の世界があり、だからこそ天使の声が響いたのだと。詩編に「語ることもなく、言葉もなく その声は聞こえない。その声は全地に その言葉は世界の果てにまで及んだ」(詩編19:4-5)とある通りで、まさにそれが世界で最初のクリスマスだったと思うのです。星が昼間の明るさの中で見えないように、希望と言う名の光、あるいは音は、暗闇や静寂があってこそ心に響いてくるのだと。

 

クリスマス、私たちは目に見える明るさや心を躍らせる音にばかり心を奪われていないでしょうか。政治家は信用ならない、経済の先行きは不透明、戦争は起こる、私生活においても悩みや不安が残念ながらある…確かに今世界はそんな状態です。しかしこういうときこそ、実はキリストの光の眩しさが、静寂に染み通るキリストの声が、私たちの心に力をもって届くときでもあることを信じていたい、そう思います。

 

すると必ずや、「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」という天使の声が聞こえてくるのだと思います。今年のクリスマス、その声をご一緒に聴くことができますようにと祈りつつ。

 

 

仙台基督教会牧師 司祭 ヨハネ 八木 正言

 

 

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あけぼの2023年6月号

巻頭言 新主教メッセージ 「ご挨拶」

 

 

4月22日、公会の主教に聖別されました大きな大きなお恵みを感謝し、神さまを賛美いたします。みなさまには、ご臨証ご加祷また沢山のお祝いを賜り有り難うございました。

 

主教按手式約1ヵ月前、北海道北斗市にある厳律シトー会・灯台の聖母トラピスト大修道院で、3日間リトリートの時を過ごし、その後も私は修道士たちの祈りに支えられて立っていられると、根拠もなしに信じています。按手式では、聖公会と他教派の全国の信徒、聖職のみなさんの祈りの力で、この私が保たれているのだと強く確信させられました。これまで、聖餐式の代祷で、首座主教さまや教区主教さまのお名前を読み上げて祈ってきたように、私の名前も同じように唱えていただきますよう切にお願い致します。

 

 

さて現在、私たち日本聖公会は重大な地点に立っています。それは、宣教に関わる、伝道教区制導入による教区再編という喫緊の対応を迫られているからです。今回、東北教区が主教選出に至ったのは大きな決断でした。数少ない教役者からの選出です。それ故、各人がその後の牧会で疲労して倒れないような工夫、いわゆるチームミニストリーの確立と、信徒の奉仕をプラスするトータルミニストリーの発展が鍵を握っています。

 

東日本宣教協働区である東京教区、北関東教区、北海道教区と東北教区の4教区の協働体制の、その前段階となる北海道と東北の2教区間における宣教協働を進めなければなりません。その足がかりとしてすでに、昨年の両教区の教区会で共通の議案「東北教区・北海道教区宣教協働タスクフォース設置の件」を議決して、本年3月から動き始めています。

 

本協働体の名称は「チーム北国」といいます。チーム北国の会合開催地は1ヵ月毎に札幌と仙台を行き来することにしています。お互いの本拠地に訪ね合うのは、お互いを知るのに適しているでしょう。

 

両教区が所有してきた信仰の財産、宝、例えば幼稚園や保育園の幼児教育、キリスト教保育を実践してきていること、一個一個の教会間の距離は遠くても信仰で固く結ばれていること、長い辛い厳しい冬をやり過ごし復活の新しいいのちを待つ辛抱強さ等々沢山あります。

 

加えて、2011年の東日本大震災後は、被災者支援に両教区は人材派遣交流をして協働した実績を共有しています。もちろん全教区協力が今日まで継続しています。被災者との「いっしょに歩こう!」はいつまでも続く教区の重要な宣教の一つです。

 

過疎化の著しい東北と北海道が、持続可能な教区と教会に変革していくというこれ以上ない困難ではあるけれども、非常に歴史的な使命を私たちは神さまから委託されているのです。私は現在65歳です。チーム北国では、宣教協働区の一つの形の出現を5年後に想定しています。神さまがしつらえたかのようで、私の定年退職の年になります。それまで「私の軛(くびき)は負いやすく、私の荷は軽い」との慰めの言葉に、私は全く頼って参ります。私たちは、北海道教区と東北教区の将来のため一致・協働し祈り続けて行ければ誠に幸せです。

 

 

主よ、どうか、我と日本聖公会が行く道を守り導き、主の僕として御心にかないますように アーメン

 

 

第9代東北教区主教 主教 フランシス 長谷川 清純

 

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あけぼの2023年4月号

巻頭言 イースターメッセージ 主の復活は全てを結び直す」

 

 

キリスト教における「復活」とは、もちろん主イエス・キリストの十字架の詩と葬り、そして復活と昇天によって完成された、人間の「罪の死」からの解放を指す言葉であり、私たちを罪から救い出し、永遠の命へと導いてくれる神様の恵みです。そしてそれは、女性たちが「恐れながらも大いに喜び~弟子たちに知らせるために走って行った」(マタイ28:8)とあるように、人間を絶望から希望へと「復活」させてくださる恵みでもあります。

 

そんな大いなる恵みである主の復活ですが、すでに3年を過ぎた新型コロナウイルス感染症という未曾有の事態、あるいは1年前から起きているウクライナへのロシアによる軍事侵攻を目の当たりにして生きている私には、これらの恵みに加えて「全ての分断を結び直す」という復活の恵みも神様に与えられていると感じてならないのです。

 

 

世界は今現在様々な「分断」に溢れています。ウイルスは人々の顔に「マスク」という分断をもたらし、人の笑顔を見えにくくしてしまいました。またこの事態は、以前から進んでいた人々の「電脳空間」への依存を加速させ、本来人が直接出会うことで感じる温もりや喜怒哀楽といった人の心の間に「分断」を作り出し、心ない言葉の暴力を平気で世界に発信出来てしまう人間を増やしてしまいました。加えて1年前に始まってしまったウクライナ侵攻は文字通り世界を「分断」しました。

 

しかしこのような「分断」ばかりの世界にあっても、やはり希望は主イエス・キリストにこそあるとも感じられるのです。2023年の1月に久しぶりに開催できた「中高生プログラム」においては、教会に集い笑顔で未来を語り合う、子どもたちの姿を見ることが出来ました。またこの3年間、今まで通りとはいかない中でも、やはりイエス様を中心として集う日々の礼拝には信仰と祈りの輪が実現していましたし、そこにある「人と人」「人と神様」の繋がりは、確かなものとして存在していたからです。

 

 

これらのともすれば当たり前にも思えることが、今の世界で「復活」させなければならない「分断を超えて結び直すべきもの」であるのだと思います。そしてその中心にはイエス様がおられるのだと、私は確信しているのです。

 

そしてこの事実は私たちに、今のこのような世界にあっても、私たちは決して絶望することも、その必要も無いことを教えてくれます。何故ならこの未曾有の事態が広がる世界にあっても、主の復活の恵みは確かに働いているからです。確かに目に見える部分では、以前よりも後退してしまったと感じられる部分もあるかもしれません。しかし逆に言えば、私たちはイエス様が教えるように「最後まで耐え忍ぶ者」(マタイ24:13)として、今この時立ててもいるのだと思います。

 

だからこそ私たちはこの主の復活を祝うこの時に、ますます力づけられて、「今の世界に不必要な分断を無くして全てを結ぶ、神様の復活の奇跡が、確かに教会にある」ということを、少しずつでも広げていこうではありませんか。またこの4月には、新主教の按手・就任という、教区としてのまさに「新しい命」の歩みが始まろうとしているのですから。

 

 

福島聖ステパノ教会牧師 司祭 パウロ 渡部 拓

 

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あけぼの2023年3月号

巻頭言 東日本大震災メッセージ 「がれきを拾う」

 

 

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」
(ルカ16:10)

 

阪神淡路大震災から28年が経ち、まもなく東日本大震災からは7年、西日本豪雨からは5年がそれぞれ経過しようとしています。それ以外にも日本全国で規模や被害の大きさはそれぞれですが、自然災害が起きています。

 

私は阪神淡路大震災も東日本大震災も被災はおろか、ボランティアの経験もありませんでした。私のボランティアの初めては熊本地震の時でした。当時は熊本城が被害に遭ったことなどがよく報道されていましたが、主な被災地域は益城町という小さな集落でした。梅雨時期ということもあり、大雨の中、倒壊した自宅横に張ったテントの中で生活している人などにお声がけして手作りのおかずを持って訪問しました。晴れの日には肌を刺すような日差しの中、ブロック塀を撤去し、土のう袋に詰める作業や被災したお寺のがれきを運ぶ作業をさせていただきました。たった3週間の短い期間でのボランティアでしたが、教会の中だけでは出来ない学びの多い経験でした。

 

その2年後、山陽を中心とした西日本豪雨災害が発生し、私はボランティアセンターのスタッフに任命されました。社会福祉協議会の指示のもと、土砂のかき出しやがれきの撤去作業をさせていただきました。

 

 

ボランティアには色々な思いを持って皆さん来られます。熊本地震では、熊本城の修復に関われると意気込んで来られた方もよくおられました。西日本豪雨では、ニュースで連日報道されていた被害の大きな地域に行けると思って来られた方もおられました。社会福祉協議会を通さないで別の被災地域に行こうとされる方もおられました。被災地で自分の行なっているNPO法人の活動を宣伝する方もおられました。トラックや重機を借りて作業したいという方や、避難所に行って被災して困っている人と交流したいと言われる方もおられました。ボランティア精神にあふれた熱意ある善意は実に多種多様で、本当に色々な思いを抱えてボランティアに来られているんだなと感じました。

 

しかし、実際にボランティアに出来ることは限られています。土砂崩れが起きたばかりの危険な場所へは行けませんし、全壊しそうな建物には近づけません。道具も作業時間も限られ、細かく地道で疲弊する作業が連日続きます。什器や大きな道具を使った派手な作業は行政などから委託された業者の方がされます。避難所などへは医療従事者の方々が行かれます。私たちが出来ることは、お祈りとひたすら0がれきを拾う手作業などだけです。それに対して、不満を持つ方もやはりおられたことを記憶しています。

 

しかし、そのがれき一つを拾うことからボランティアは始まります。足元に落ちているがれきに目を向けられず、大きな目標や理想のボランティア像ばかりを目指しても、被災者の本当の気持ちには寄り添えないのです。

 

起こってほしくはないですが、おそらくいつか災害は起こるかと思います。その時に私がどのような立場にいるのかわかりません。しかし、目立たなくていい。大きなことができなくていい。静かな祈りと共に足元の小さながれきを拾うことを大切にできたらと思います。

 

 

八戸聖ルカ教会副牧師 司祭 テモテ 遠藤洋介

 

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あけぼの2023年2月号

巻頭言 新年メッセージ 「声をかける」

 

 

2020年から始まった新型コロナ感染症の影響は、ついに4年目に入ってしまいました。それに加えて昨年の2月からはロシアのウクライナ侵攻という、90年前の世界にタイム・スリップしたのかと思わせるようなできごとが起こりました。それは今もなお多くの弱い立場にいる人々を、苦しみと悲しみの淵に追いやり続けています。

 

どうぞ皆様、新型コロナで療養しておられる方々、戦火にさらされて苦しんでおられるウクライナの方々のことを憶えて、お祈りくださいますようお願いいたします。

 

 

「男だろ!!」から「信じてるぞ」

 

今年も箱根駅伝を見ておりました。昨年は青山学院大学監督の「スマイル、スマイル」について書きましたが、今年は駒澤大学の大八木監督の掛け声が気になってしまいました。

 

彼が走っている選手に「男だろ!!」と檄を飛ばして話題になったことはご存じかと思います。ところが今年は、今までとは違う掛け声が多かったように思いました。

 

その掛け声とは、「お前ならできる!!信じてるぞ」です。このように変わった理由を大八木氏は、あるインタビューで次のように述べていました。

 

「私の一方通行でした。厳しかったし、学生は私に何も言えなかったと思う。」以前とは違い選手の意向を聞くようになり、そうすると積極的に声も掛けるようになります。「話し合ってやらなくちゃ。自分から話を聞こうと。自分も変わらないと」。

 

 

イエスさまの声かけ

 

イエス様は、既に二千年前から私たちに声をかけてくださっています。

 

「徴税人ザアカイ」の物語(ルカ19・1~10)は、イエス様の方から声をかけられたお話しです。ザアカイはエリコの町においでになったイエス様をひと目でも見たいと思っていたのですが、群衆に遮られて見ることができませんでした。ザアカイは徴税人の頭だったため、群衆からは罪人のみならずローマの手先と考えられて、誰もが背が低い彼を配慮しようとはしなかったのです。そこでザアカイは先回りしていちじく桑の木に登ってイエス様のお姿を見ようとします。そんなザアカイにイエス様は木の上を見上げ、「急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と声をかけられるのです。ザアカイは本当に嬉しかったと思います。

 

またイエス様は対話を通しても、声かけをしてくださいます。「カナンの女の信仰」(マタイ15・21~28)では、初めは何もお答えになりませんが、「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と応える彼女との対話を通して、「あなたの願いどおりになるように」と声をかけてくださるのです。

 

 

私たちは誰に

 

私たちもイエス様に倣って「声をかけ」たいと思います。今年は、そして今年も、教会の礼拝においでになった方々、特に初めて礼拝においでになった方に「優しく一声、おかけ」できればと思います。

 

「おはようございます」の一声が、「ようこそいらっしゃいました」の一声が、自分も認識され、受け入れられていると感じていただけるなら、心の中で嬉しく感じていただけるなら、すてきですよね。

 

ご一緒にそのような教会を目指したいと思います。

 

 

教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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あけぼの2023年1月号

巻頭言 クリスマス・メッセージ 「心に花咲く、クリスマス~越冬つばめとなった教会~」

 

 

先月行われた教区会において、新庄聖マルコ教会、鶴岡聖公会、室根聖ナタナエル教会の他教会との合併に関する議案が可決されました。このことは、霊的にはこれらの教会が合併先の教会とともに歩みを始めることであり、決して消滅ではないと理解されています。

 

私事になりますが、鶴岡聖公会には1994年から2000年までの6年間奉仕させていただきましたので、特別な思いが募ります。当時私どもの子どもたちが幼い頃だったこともあり、冬の大雪の中にあっても、また信徒の皆さんと和気あいあいと過ごし、楽しい思い出で溢れています。ある年のクリスマスには、子どもたちも含めて皆でお友だちや知人を招待し、礼拝堂が一杯になるほど賑やかになったこともありました。思いがけず多くの人々で溢れ、祝会の食事が間に合わず、慌てたこともありました。1995年の阪神淡路大震災の時には、当時教会で扱っていた庄内特産の漬物「しなべきゅうり」を被災地に届ける運動なども行われました。また、仙台基督教会聖歌隊の訪問など、どれも懐かしい出来事です。

 

また、新庄聖マルコ教会にあっては1982年に行われた伝説の「青年の集い・ワークキャンプ」などを思い出すにつれ、その場所に教会がなくなってしまうことを思うと「心がしぼみ」、悲しみが増してまいります。また信徒の皆さんの寂しく悲しい思いは想像に難くありません。

 

 

このような思いの募る中、先日歌手の森昌子さんの歌う「ヒュルリ、ヒュルリララ」が心に残る「越冬つばめ」を作詞された石原信一さんの講演を聴く機会が与えられました。石原さんは会津の出身で、長く東京在住ですが、ずっと若松諸聖徒教会の信徒で、母上は若松聖愛幼稚園の先生でいらした方です。その中で「越冬つばめ」の制作秘話を紹介され、越冬つばめは、実際に見たことはないが「生れ育った会津の家のこたつの中にいました。」と語られました。それは、幼い頃母親が読んでくれた「幸福の王子」(アイルランド出身のオスカー・ワイルド作)に登場する「つばめ」だというのです。

 

「幸福の王子」のお話は、とある町の中心部の高く立つ灯の上に、若くして亡くなり、しかも不思議なことに自我を持った王子の像が立っていて、あちこちを飛び回って様々な話をしてくれるつばめと共に、苦労や悲しみの中にある人々のために像に飾られている宝石や体を覆っている金箔を分け与え、みすぼらしい姿になっていくお話です。つばめは一刻も早く南に渡らなければならないのに、王子像と運命を共にする覚悟を決め、王子に仕えます。王子は宝石でできた目さえも差出し、つばめもとうとう像の足元で力尽きます。その後、像は何も知らない人々によって溶かされ、像の鉛の心臓とつばめの死骸だけが残ります。天国では、地上の様子を見ていた神が、天使に「この街で最も尊いものを二つ持ってきなさい」と命じ、遣わします。天使はゴミの中から王子の鉛の心臓と、つばめの死骸を取り上げて献げ、神は天使を褒めたという話です。

 

 

クリスマスを迎える時、越冬つばめの姿と天上にささげられた教会が重ね合わせられ、私のしぼめる心に、ようやく一輪の花が咲くのを覚えました。心から皆さまにクリスマスのお祝いを申し上げます。

 

 

郡山聖ペテロ聖パウロ教会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

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あけぼの2022年4月号

巻頭言 イースターメッセージ 「おはよう、喜びなさい」

 

 

イエス様が十字架の上で死なれてから3日目の朝、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ、ヨハナなどの女性たちが、イエス様のご遺体が葬られた墓まで出かけて行きました。彼女たちは、悲しみをはるかに越えたショックを受けていたのですが、訪れた墓でそれ以上の衝撃を受けることになったのです。

 

1つは墓の前に座っていた天使が「イエス様は墓の中におられない。復活なさったのだ。弟子たちに復活されたことを知らせなさい」という意味のことを告げたのです。そればかりか、今度はイエス様が彼女たちの行く手に現れ、「おはよう」と言われたのです。確かに早朝ですから「おはよう」かもしれませんが、この状況の中でいくらイエス様でも「おはよう」はないんじゃないかと思われませんか。

 

この「おはよう」と訳されているカイローという言葉は、「平和を祈る」という挨拶言葉で、「喜ぶ」とか「喜び祝う」とも訳せる言葉です。例えばルカ伝で、失われた1匹の羊を見つけ出した羊飼いが、村の人々に「一緒に喜んでください」と言った、あの「喜び」と同じ言葉なのです。

 

そうしますと、このイエス様の「おはよう」は単なる朝の挨拶ではなく、「喜び祝いなさい」という意味なのではないでしょうか。では彼女たちは、そして私たちは、何を喜び祝えばよいのでしょうか。

 

 

その1つは、ご復活の最初の証人として選ばれた彼女たち、意味不明な天使の言葉を弟子たちに伝えに行こうとしていた彼女たちの行く手にイエス様が立っておられて「おはよう、喜び祝いなさい」と言われたことです。つまり悲しみと混乱の内にある人々の前に、イエス様は先回りして待っていてくださったのです。

 

もう1つの喜びは、この後イエス様が彼女たちに「行って、わたしのきょうだいたちにガリラヤに行くように言いなさい」と言われたことです。イエス様が言われる「わたしのきょうだいたち」とは、「弟子たち」のことでしょう。その弟子たちとは、宣教の初めからイエス様に召し出されていたにも拘わらず、勘違いばかりでイエス様のことが分かっていなかった弟子たち。「今夜、あなたがたは私につまずく」とイエス様に言われて、ペトロをはじめ全員が声をそろえて、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と大見得を切ったあの弟子たち。イエス様が逮捕された途端、蜘蛛の子を散らすように逃げ去り「イエスなど知らない」と自己保身のためにイエス様を見捨てたあの弟子たちのことです。そのような弟子たちですら、ご復活のイエス様は、「わたしのきょうだいたち」と呼んでくださるのです。

 

 

この「おはよう、喜びなさい」というイエス様の呼びかけは、2000年前の出来事であるだけでなく、今、この時にイエス様を「主」と呼ぶ私たちに対する呼びかけでもあります。いつ、どんな時にも、ことに私たちが悲しみや混乱のうちにあるときに、イエス様は私たちに先立って待っていてくださり、「喜びなさい」と慰めの言葉をかけてくださるのです。そして、このような私たちをも受け入れて、「わたしのきょうだいたち」と呼びかけてくださるのです。

 

このイエス様が、今日よみがえられたことを、心から喜び、お祝いしたいと思います。

 

 

教区主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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あけぼの2022年3月号

巻頭言 東日本大震災の日に寄せて 「来て、見なさい」ヨハネによる福音書1章46節

 

 

コロナ禍になって3年目を迎えてしまい、様々な制約がある中で残念と思うことのひとつに、被災地訪問ができなくなったということがわたしにはあります。

 

石巻市大川小学校モニュメント「Angel of Hope」

山形に勤務していた時に信徒のみなさんの賛同を得て、2013年の新地町、石巻訪問から始まり、宿泊を伴う遠出計画は成りませんでしたが、土曜日や祝日に日帰りで回れる仙台市沿岸部、名取市閖上、女川町、南三陸町などを、年に春・秋の2回を目標に訪問させていただきました。

 

ご一緒くださった信徒の方からは「ニュースで見て大変なことだと涙が流れたが、実際に来てみると、画面だけでは伝わらないものを感じることができる。ただ行くだけなんて申し訳ないことかと感じていたが、来て良かった。」と感想をいただきました。

 

また、私自身が「いっしょに歩こう!プロジェクト」や「だいじに東北」の働きにかかわらせていただいたおかげで、多少なりとも現地での案内をすることができたことも感謝でした。そんな中で明らかに地元の人間ではないと見える集団に、毎回声をかけてくださる地元の方がいたこともうれしいことでした。山形から訪問させていただいていることを告げると「ほんとによく来てくださいました。ありがとう。」と言われて恐縮してしまいました。どの方とも良い出会いで、それこそニュースでは伝えきれない体験や思いをうかがうことができて、これも現地まで足を運ばないと体験できないことでした。

 

秋田に移動となり、釜石や気仙沼は片道約3時間の行程で、行けないことはないかななどと考えていたのですが、実現できないまま2年の月日が経ってしまいました。

 

3月11日が近づき、それを覚える礼拝は、今年も残念ながら各地に分散してのものとなりましたが、秋田では警戒レベルがさらに上がるとの予想が出ており、何とか3月までには安心できるレベルになっていることを祈っています。

 

 

そんなことを思いながら、何となく聖公会手帳をぱらぱらとめくっていてあることに気が付きました。教会の手帳ですから当然のことですが、公会の祝祭日が載っており、そのほか国民の祝日、広島・長崎原爆の日、聖書日課表の次にある「日記」には、ひな祭りや友引まで書かれているのに、3月11日の欄には(春期聖職按手節)の記載があるだけです。一般のカレンダーも手元にある分については特に記載はありません。ほかにも大災害と呼ばれるものは、年を追うごとに、残念ながら増えてくることでしょう。「それを載せるのならこれも」と難しいこともあるかもしれないのですが、日本聖公会のみならず、世界の聖公会が祈りと持てる力を上げて支援した東日本大震災、その日3月11日は、「いっしょに歩く」ことの象徴として日本聖公会の手帳とカレンダーに載せて記憶しても良いのではないかなと思いました。2011年以降に生まれた子どもたちは小学校の高学年になっています。この出来事を知らない人たちが年を追うごとに増えていくのでしょう。だからこそ、これからも教会は「3月11日・東日本大震災の日」を記憶し、何が起こり、わたしたちはどう動いたのか、その経験をどのように生かしているのか、今何をすべきなのかをあかし続けていきたいものだと思います。

 

秋田聖救主教会牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福

 

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あけぼの2022年2月号

巻頭言 新年メッセージ 「みんな笑顔で、微笑んで」

 

 

2020年、2021年と2年間に渡って、今まで私たちが経験したことのなかった教会生活を送ることになった新型コロナウイルス感染症。昨年の10月中旬には東北教区内でも一週間の新規感染者数計が二桁まで減少し、少しほっとしておりましたら、新しい年を迎えた途端、また一気に三桁まで増加しております。

 

新年早々、暗そうな話題から入って申し訳ありませんが、どうぞ皆様、お身体にお気をつけくださいますようお祈りいたします。

 

 

✠スマイル、スマイル✠

 

私は走るのはあまり得意ではないのですが、駅伝、特に箱根駅伝を見るのをとても楽しみにしています。

 

ということで今年も1月2日は主日礼拝の時間を除いて、2日はスタートの時間からテレビの前に座って見ておりました。そうしましたら、選手の後ろを走る車の中から聞こえる監督の掛け声が、例年とはだいぶ違うことに気がつきました。

 

それは優勝した青山学院大学の監督の声が、前を走る選手に「スマイル、スマイル」と呼びかけているのです。必死で走っている選手からすれば、スマイルどころじゃないだろうと思うのですが、その呼びかけを聞いた選手の厳しい表情が一瞬とはいえ、ふっと緩むのです。肩の力がスッと抜ける、足取りが軽くなる。笑うこと、笑顔は人の気持ちや行動を変えるのですね。

 

 

✠意外と少ない笑い✠

 

へぇーっと思って、聖書は「笑い」をどのように取り上げているのか調べてみました。するとたまたまへぇー!!という結果でした。人間の「笑い」や「微笑」という言葉を調べてみますと、旧約と新約を合わせて36箇所あります。しかしその内、「あざ笑う」など否定的な意味の笑いが約4分の3を占めているのです。

 

良い意味での「笑い」は、例えばアブラハムとサラに息子が与えられた時、「その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい」(創17:19)とか「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」(創21:6)などがあります。新約ではルカ6:21の「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」だけですから、少し不思議な気がします。

 

イエス様が笑っておられる場面も見当たりませんが、イエス様はしばしば譬え話の中で「一緒に喜ぶ」と言われています。私たちも喜ぶ時には自然と「ほほえみ」がもれてきますから、これがイエス様の「笑い」かもしれません。

 

 

✠心からの笑顔で✠

 

今のような時代だからこそ、私たちには「笑顔」が必要なんだと思います。笑顔・スマイルどころではないかもしれませんが、だからこそ意識的に口角を上げて笑顔を作ることで、心も身体もリラックスするのではないでしょうか。「笑顔・笑い」は免疫力も上げるそうですから。

 

そういった意味で、今年は、笑顔でいたいと思います。教会の礼拝においでになった方々、特に緊張しつつ初めて礼拝においでになった方を「笑顔」でお迎えしたいものです。そしてその方々がお帰りになる時は、「笑顔」でお帰りになられると、とてもすてきですね。

 

ご一緒にそのような教会を目指していきたいと思います。
 

 

教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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あけぼの2022年1月号

巻頭言 クリスマスメッセージ 「個の物語から普遍の物語からクリスマスの出来事~」

 

 

クリスマスは今では世界中の人がお祝いをするお祭りです。しかし、世界での最初のクリスマスは極めて限定的でした。ある時代、ある特定の場所での小さな出来事でした。

 

ある時代とはいつか。それは「キリニウスがシリア州の総督であったあった時」(ルカ2:2)です。シリア州とはガリラヤ地方~サマリヤ~ユダヤまでの地域で、そこにはガリラヤ湖、ヨルダン川、死海があります。そしてイエス様がお育ちになったナザレ、お生まれになったベツレヘム、そしてイエス様の地上でのご生涯の目的地であったエルサレムもこのシリア州です。その地域を治めていたのがキリニウスという総督でした。さらにそのシリアはローマ帝国の支配下にあり、その時のローマ皇帝がアウグストゥスだったのです。

 

そして、ある場所とはどこか。それは「ユダヤのベツレヘムというダビデの町」(ルカ2:4)です。この状況の中にイエス様はお生まれになったのです。

 

 

私たちはアウグストゥス、キリニウスという名前をさほど心に留めることはないのではないでしょうか。 聖書は場所、人の名前がたくさん出てきます。カタカナですので読みづらい名前や地域がたくさん出てきて大変ですが……。

 

具体的な名前が登場するのには意味があります。それは神様のご計画は神の国を完成させること、すべての人の平和の実現にあり、そのご計画はぼんやりとしているのではなく、極めて具体的なのです。

 

イエス様の誕生も昔々あるところにイエス様がお生まれになりましたというのではなく、具体的な時代、具体的な場所が聖書に示されているのはそのためです。

 

 

個の物語がすべての人の物語(普遍的な物語)へとなっていくことを私たちは聖書を通して知ることが出来ます。きわめて個人的な出来事がいつしか多くの人の出来事になっていく。たった一人で始めたことが少しずつ紡がれて大きくなっていくことを私たちは経験したり、聞いたりしていると思います。

 

「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。」(ルカ2:11)

 

極めて具体的な喜びの知らせだと思いませんか。

 

「今日」「ダビデの町」そして「あなたがたのために」救い主がお生まれになったのです。

 

最初にも申しましたが、クリスマスの出来事は小さな小さな出来事でした。貧しい羊飼いへと告げられた出来事が今や世界中の人たちが知る出来事になっていったのです。

 

「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)とあります。

 

 

私たちが出来ることはそんなに多くありません。日々それぞれが生きている現場で出会う人、経験する出来事と向き合って心を込めて一生懸命生きていく。それはもしかすれば誰も知らないことが多いのかもしれません。それが時に重荷や虚しさになることもあると思います。でも安心してください。その心を込めて一生懸命生きた小さな行為はイエス様にしてくれたことなのです。私たち一人一人の物語を神様は祝福してくださっていることを信じたいと思います。クリスマスおめでとうございます。

 

 

盛岡聖公会 牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也

 

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