教区報
教区報「あけぼの」- 2025年の記事
あけぼの2025年12月号
巻頭言 「クリスマスメッセージ」
東北教区の信徒・聖職の皆様に主の御降誕のお祝いを申し上げます。
福島県いわき市で生まれ、弘前、盛岡、仙台と大学卒業まで東北教区の皆様には大変お世話になりました。各地で信仰生活をご一緒したことを大変懐かしく思い出しております。今、チーム北国として二教区の宣教協働と新教区設立に向けてご一緒しておりますこと、また初めての「あけぼの」への寄稿を通して東北教区の皆様とお近づきの機会を得ておりますことをとても嬉しく思っております。

The Holy Family on the Flight into Egypt. Woodcut engraving after a drawing by Julius Schnorr von Carolsfeld (German painter, 1794 – 1872), published 1877.
マタイによる福音書によると、ベツレヘムで主イエスがお生まれになったとき、東方から博士たちが来て、ユダヤ人の王として生まれた方の居場所を尋ねました。それを聞いたヘロデ王は不安を覚え、学者たちを集めて調べさせ、博士たちをベツレヘムへと送り出します。博士たちは星に導かれて幼子イエスの家にたどり着き、礼拝をささげますが、ヘロデのもとへは戻らず、別の道を通って自国へ帰りました。
その頃、ヨセフは夢で「ヘロデが幼子を殺そうとしている」とのお告げを受けます。ヨセフは夜のうちにマリアと幼子を連れ、エジプトへと逃れました。
ベツレヘムからガザを経てエジプトに至る道のりは、およそ400キロ以上。産後間もない母と幼子との旅は、命がけの旅だったに違いありません。当時エジプトはローマの属州でしたから、厳密には国境を越えるわけではありませんが、3人にとってそれは「命をつなぐための避難」でした。
やがて博士たちに裏切られたことを知ったヘロデ王は激怒し、ベツレヘムとその周辺にいる2歳以下の男の子を一人残らず殺すよう命じました。
マタイは、この惨劇を預言者エレミヤの言葉でこう記しています。
「ラマで声が聞こえた。激しく泣き、嘆く声が。ラケルはその子らのゆえに泣き、慰められることを拒んだ。子らがもういないのだから。」
ラマはヤコブの妻ラケルの墓のある場所です。エレミヤは、捕虜としてバビロンへ連れて行かれる人々を、墓の中からラケルが泣き叫びながら見ている姿として描きました。マタイは、このラケルの涙を、ヘロデ王に子どもを奪われた母たちの嘆きと重ねます。そして、殺された子どもたちと主イエスは、決して遠い存在ではなかったはずです。
主イエスは、権力者の都合によって命を奪われる人々の中におられます。
主イエスは、子を失い、悲しみに泣き叫ぶ母たちの腕の中におられます。
クリスマスの物語は、今も世界の至るところで―とりわけ、その物語の舞台であったパレスチナの地において―逃げ惑い、殺されていく人々の中にキリストがおられることを、私たちに静かに告げ知らせています。クリスマスとは、遠い過去の出来事を祝う日ではなく、いまも苦しむ人々のうちにおられる主の声に耳を傾ける日です。
北海道教区主教 主教 マリア・グレイス 笹森田鶴
あけぼの2025年11月号
巻頭言 東北の信徒への手紙 「小さな群れよ恐れるな」
私がチャプレンを務めるある幼稚園では、卒園式の時に卒園児一人ひとりが自分の好きな聖書のみ言葉を、みんなの前で発表するということが行われています。昨年の卒園式では「わたしは良い羊飼いである」「キリストに結ばれて歩みなさい」「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」「キリストはわたしたちの平和であります。」など一人ひとりが大きく透き通った声で発表し、聴く者の心に染み渡ります。当初、子どもには難しい言葉を無理に暗記させているのではないかと思ったりもしたのですが、そうではなく、子どもたちが純粋に神様からの言葉であると受け止めていることが、発表する姿勢から伝わります。まさにそれは天からの声として、大人たちの疲れた、憂いに満ちた心に届き、清められています。
ところで今、教会では主日の礼拝出席者が数名という小さな教会が多くなって、献金の減少で今後大丈夫なのかとか信徒の高齢化とうような将来を憂う声をよく耳にします。確かに教会の将来は、現実を見つめると心配なことばかりです。これは聖公会に限ったことではないようです。私どもの教会の礼拝に時々近隣の他教派の教会の信徒の方がいらっしゃいますが、小さな教会ゆえ定住牧師がおらず、主日礼拝は月に1、2度なので、礼拝がないときに成功会にいらっしゃるというのです。でもその小さな教会は、くじけることなく何としても牧師先生を自分たちの教会に招きたいと願い、神様の力を信じて祈り続け、いよいよ決心し、牧師館を建築する計画を立てられたというのです。そしてその原動力となっているのが「小さな群れよ、恐れるな」というみ言葉だという話をされ、感銘深くその話をお聞きしました。主イエスの福音は「神の国は小さい者、貧しい者にこそ来る」ことが真髄です。
主イエスは、あるとき子どもを真ん中に立たせ、「子どものようになる人が天国で一番偉いのだ。」と教えました。大きいこと、数が多いことが価値あることと考えますが、主は小さい者こそ最も偉いと教えます。主イエスの弟子たちは小さい群れでしたし、そのことを恐れていました。しかし、主は「小さい群よ、恐れるな」と教え、さらに「恐れるな、私は共にいる」と励まし、どんな苦しい状況にあろうと「神は共におられる。恐れるな」と繰り返し語りかけられました。主が「小さい群よ」と呼びかけられているのは、もちろん神は一人ひとりと共におられますが、同時に二人、三人という小さい群にも共におられ、すなわち「二人、または、三人が渡しの名によって祈る所、集まる所に私もその中にいる」と励まされます。
初代教会は、厳しい迫害の中になる小さな群れで、迫害に耐えられず、誘惑に負け背教した人たちもいました。そのような厳しい状況にあって、この主の言葉は、どれほど大きな励ましと希望の言葉になったことでしょう。そして現代の私たちの教会も小さな群れです。しかし、ここにこそ主が共におられ、ここに神の御心があらわれ、神の国、天国を先取りしています。今、聖公会のある小さな教会も新たな礼拝堂を与えられることを望み、「小さい群よ、恐れるな」の声を聴き、そのみ言葉に励まされ、希望を抱き歩みを進めています。どうか応援とお祈りをお願いいたします。
郡山聖ペテロ聖パウロ教会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀
あけぼの2025年10月号
巻頭言 東北の信徒への手紙 「『私』を受け入れてくださる主イエスの愛」
教区報2024年3月号の巻頭言で私が日頃関わらせていただいている教誨師の活動について書かせていただきました。8月28日(木)から29日(金)まで、法務省で開催された「教誨師中央研修会」に参加してきました。
この研修会は、教誨師として委嘱されてから5年未満で、中央研修会に出席経験のない教誨師を対象としております。私は5年前に委嘱されましたが、コロナ禍もあり、しばらく研修会が休止されていたので参加することが出来ずにおりました。今回は機会を得て大変良い学びのときが与えられました。全国から研修生とスタッフ関係者合わせて約100名、教宗派は仏教、神社本庁、天理教、キリスト教です。プログラムは基調講演とグループに分かれての討議の二本柱でした。私のグループ討議のテーマは「被収容者(受刑者)の再犯を防ぐために教誨活動で何が出来るか」でした。被収容者の中には、罪を犯した自覚がなく、自暴自棄になっている方もいるという話も伺いました。そのような方とどのように向き合っていけばよいのか皆さん悩んでおられ、「ただひたすら聴く」「雑談をする」「褒める」「とにかく対話をする」といった日頃の教誨活動を紹介していただきました。罪の自覚がない方の話もまずはひたすら聴き、徹底的に向き合っていくことによって、少しずつ自らが犯してしまった罪の重さに気づき自覚していかれた方もいたそうです。教誨活動においても「傾聴」がいかに大切なことであるかを思い出しました。2024年東北教区宣教協議会からは「神のみ声に、人々の声に、そして世界の声に耳を傾けよう~となりびととなるために~」と呼びかけが出され、教区では今年は「聴くこと」を大切にいきましょうという働きかけが展開されています。そして、この「聴くこと」はキリスト教に限らず、仏教、神道、天理教も共通していることを知り、日本聖公会の方向性は間違っていないと再認識することが出来ました。中央研修会でも聖公会の取り組みを紹介し、皆さんが共感してくださいました。
被収容者の方の多くは普段は自分の話をすることはあまりなく、話もこちらから一方的に話すことがどうしても多いのですが、それはこれまでの人生の中で話を聴いてもらったという経験に乏しいことに起因しているようです。「お前の話など聞く価値がない」「聴く時間は無駄」などと人格を否定され、暴言、暴力を受ける環境の中で、自分は生きていても意味がない、誰からも必要とされていないと心を閉ざし、自暴自棄になって罪を犯してしまった方が多いのです。私たちは自分の存在を誰かに認めてもらいたい、「私はここにいます」という心の切なる叫びを聴いて欲しいという思いは誰しもが持っていると思います。聖書に記されている主イエスと出会った人々もみなそうでした。天台宗の僧侶の方が「縁さえ整えば人は誰しもが罪を犯す」と仰っていました。本当にそうだなと思います。私たちは神の御心に背くという現在を持ってこの世に生を受けていることを、日々自覚しなければならないと覆います。しかし、主イエスはそんな私たちのもとへ寄り添い、留まり、「私」のすべてを受け入れてくださるのです。私は今後の教誨活動を行う時に、聖書の教え、主イエスの愛を話す時間も大切にしながら、被収容者の話に耳を傾けることを大切にしていきたいと思います。
盛岡聖公会 牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也
あけぼの2025年9月号
巻頭言 東北の信徒への手紙 「野菜売りのおばさん。」
これはまだ教会で暮らしていた頃の、ある夏の思い出。
チリリン・チリリンと鳴るドアベルの音を追いかけるように「お早うございま~す」と、野菜売りのおばさんの声。台所にいた妻が、すかさず「ハ~イ」と応えて、パタパタパタと廊下を小走りに走ります。いつもの我が家のドラマの始まりです。
今朝も小柄で陽気な野菜売りのおばさんが、自分の畑で育てた旬の野菜をリヤカーに積んで、1人で引いてきてくれました。近くに八百屋さんがないので大助かりです。昨日会ったばかりなのに、野菜売りのおばさんと妻は、積もる話でもあるのか、リヤカーを間に挟んでのおしゃべりが楽しげに弾んでいます。その笑い声に惹かれて私もリヤカーに近づくと「あら、旦那さん。お早うございます。今日も絶好調ですよね。」と、私のセリフを先取りして言ってくれたおばさんは「旦那さん、葉生姜ありますよ。うす切りにして味噌漬けにすれば、お昼には食べられますよ。さっぱりしておいしいから。鉄分もあるからさ。」と思いやりと笑顔がタッグを組んで漕ぎ三与久開店するのに感心していると、「ところで旦那さん。お宅の人数は何人です?」とおばさんが聞いてきます。私は「夫婦と娘の3人ですが。」と答えると、エプロンのポケットから取り出した赤い表紙の手帳に何やらメモをしているので、「おばさん、どうしたの。」と聞くと、「今年はおいしいトウモロコシがたくさんできたもんだから、日頃お世話になっている町内のお得意さんに1人1本ずつプレゼントしたいと思ってね。それで人数を聞いたんです。明日、トウモロコシ持ってきます。」
翌朝、チリリン・チリリンドアベルが鳴り、「お早うございま~す。」と張りのある野菜売りのおばさんの声。「旦那さん、約束のトウモロコシ持ってきたんよ。」と言いながら、リヤカーに積んできた大きな竹籠の中を探していましたが、やがて「ありました、ありましたよ。」と額の汗を拭きながらの、おばさんの声。手渡されたビニールの袋には、何と黒色のマジックペンで「キリスト」と書かれていました。「おばさん、私はキリストじゃないよ。」と言うと、「佐藤さんはこの辺りには多いもんですから、キリストと書いておけば間違いっこないからね。」と、明解国語辞典。そういうことだったのかと納得してビニールの袋の中を見ると、トウモロコシが4本見えたので「おばさん、うちは3人家族だから1本多いよ。」と言うと、「なんの、なんの。間違いじゃないよ。お宅にはキリストさまがいらっしゃるでしょうか。1本はキリストさまと一緒に召し上がれ。」と言ってくれた、おばさんの笑顔がうれしい。それまで、私の家族は3人とばかり思っていましたが「お宅には、キリストさまがいらっしゃるでしょう。」の、野菜売りのおばさんの声に、主はいつも共におられることを気付かされた次第でした。
「おばさん、今日はトウモロコシをありがとう。」「なんも、なんも。こちらこそさ。明日またきます」とおたがいの感謝の言葉が行き交います。野菜を乗せたリヤカーの重みを残しながら、1歩ずつ、ゆっくりゆっくり前へ進んでいくおばさんを町角に見えなくなるまで見送りながら「主がその手をとらえていてくださる。」(詩編37編24節)の思いが、からだいっぱいに広がってまいりました。
元東北教区主教 主教 ヨハネ 佐藤 忠男
あけぼの2025年8月号
巻頭言 東北の信徒への手紙 「人のゆえに地を呪うことはもう二度としない。」(創8:21)
最近あまりテレビを見なくなってきましたが、これは必ず見ようと思う番組のひとつにNHK地域局発番組「限界集落住んでみた(仙台局制作)」があります。ディレクターが限界集落と呼ばれる地域に1ヵ月間滞在し、住民と交わり、その地域の生活を体験するという内容です。先日の番組は宮城県伊具郡丸森町筆甫地区北山集落からのものでした。町の中心部からは、かなり離れた山間の地域です。取材者は地区の公民館や集会所に間借りし、自炊しながら生活します。そこに「ちゃんと食べてるか?」と差し入れに来てくれる地元の方々にほっこりさせられますが、どこの集落でも共通する話題は過疎化のことです。「自分たちはここで生まれ育ち、ここが好きだから離れるつもりはないけれど、若い人たちには住みにくいんだろうな。」と寂しく笑う人たちの姿はどこの集落にも共通したものがありますが、次の一言にハッとしました。「それでもな、ほんとはもっと人がいたはずなんだ。それがあの放射能の事故で……帰ってこない人も多いな。」確かに原発事故の当初には丸森町の一部にも避難指示が出ていたことを思い出しました。原発事故の被災地というと福島県浜通りが思い浮かびますが、飛散させられた放射性物質が人間が引いた県境で止まってくれるはずもなく、ここも原子力災害被災地だったのです。
わたしは東日本大震災以降被災地訪問が可能になったところには教会のメンバーを誘ったり、個人的に出かけたりしていましたが、ここ数年あまり行くことができていません。福島に勤務していながら浜通りにも行っていません。もちろん街中に入ることもできない時期がありましたが、現在主要道路はほぼ通行可能になり、わずかながら人も戻ってきています。行くだけ行ってみようかと思い立ちました。
浪江町役場周辺では人通りも多く、街頭の線量計もそれほど高い数値を示していません。しかしそこに至る山間部の道路上では除染はされているのでしょうが1.00(μSv/hでしょうか?)近くかそれ以上を示しています。道路わきには避難以降住民が戻っていないことを思わせる草生した住宅が点在しています。それにどこかの集落に続きそうな脇道には「帰還困難区域につき通行止め」の標識が何か所も設置されています。ある程度戸数がある集落では除染がなされ、生活されている人もおられるようですが、ここでも小さな者は見捨てられてしまっているのでしょう。誰もが完ぺきな除染などできるわけがないと思っていたでしょうが「すべて除染する」と国は言っていなかったか、と悶々としながら大熊町に入ると、国道沿いでも原発近くでは線量計が「2.00」以上を示していました。「まだ終わってなどいないのだ」と改めて思い知らされました。地震や津波は、仕方がないとは言えませんが、防ぐことはできません。でもその時に命を守る努力、備えをすることはできます。
原発も防災に努めていたのでしょう。しかし万が一の時のリスクは軽く見ていたとしか思えないのです。放出された放射性物質のひとつセシウム137の半減期は30年。何もしなければ「帰還困難」はまだ続くのです。こんなことが複数箇所で起こったら、考えるだけで恐怖しかありません。@資源のない日本は原発も使わなければいけない。温暖化抑制にもなる」そんな声が大きくなっています。今だけの便利のためにその声に流されるのか、将来を見据えて否と言えるのか。不便も貧しさも受け入れることができるのか。それが私にも突き付けられています。
福島聖ステパノ教会 牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福
