教区報
教区報「あけぼの」
あけぼの2022年4月号
巻頭言 イースターメッセージ 「おはよう、喜びなさい」
イエス様が十字架の上で死なれてから3日目の朝、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ、ヨハナなどの女性たちが、イエス様のご遺体が葬られた墓まで出かけて行きました。彼女たちは、悲しみをはるかに越えたショックを受けていたのですが、訪れた墓でそれ以上の衝撃を受けることになったのです。
1つは墓の前に座っていた天使が「イエス様は墓の中におられない。復活なさったのだ。弟子たちに復活されたことを知らせなさい」という意味のことを告げたのです。そればかりか、今度はイエス様が彼女たちの行く手に現れ、「おはよう」と言われたのです。確かに早朝ですから「おはよう」かもしれませんが、この状況の中でいくらイエス様でも「おはよう」はないんじゃないかと思われませんか。
この「おはよう」と訳されているカイローという言葉は、「平和を祈る」という挨拶言葉で、「喜ぶ」とか「喜び祝う」とも訳せる言葉です。例えばルカ伝で、失われた1匹の羊を見つけ出した羊飼いが、村の人々に「一緒に喜んでください」と言った、あの「喜び」と同じ言葉なのです。
そうしますと、このイエス様の「おはよう」は単なる朝の挨拶ではなく、「喜び祝いなさい」という意味なのではないでしょうか。では彼女たちは、そして私たちは、何を喜び祝えばよいのでしょうか。
その1つは、ご復活の最初の証人として選ばれた彼女たち、意味不明な天使の言葉を弟子たちに伝えに行こうとしていた彼女たちの行く手にイエス様が立っておられて「おはよう、喜び祝いなさい」と言われたことです。つまり悲しみと混乱の内にある人々の前に、イエス様は先回りして待っていてくださったのです。
もう1つの喜びは、この後イエス様が彼女たちに「行って、わたしのきょうだいたちにガリラヤに行くように言いなさい」と言われたことです。イエス様が言われる「わたしのきょうだいたち」とは、「弟子たち」のことでしょう。その弟子たちとは、宣教の初めからイエス様に召し出されていたにも拘わらず、勘違いばかりでイエス様のことが分かっていなかった弟子たち。「今夜、あなたがたは私につまずく」とイエス様に言われて、ペトロをはじめ全員が声をそろえて、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と大見得を切ったあの弟子たち。イエス様が逮捕された途端、蜘蛛の子を散らすように逃げ去り「イエスなど知らない」と自己保身のためにイエス様を見捨てたあの弟子たちのことです。そのような弟子たちですら、ご復活のイエス様は、「わたしのきょうだいたち」と呼んでくださるのです。
この「おはよう、喜びなさい」というイエス様の呼びかけは、2000年前の出来事であるだけでなく、今、この時にイエス様を「主」と呼ぶ私たちに対する呼びかけでもあります。いつ、どんな時にも、ことに私たちが悲しみや混乱のうちにあるときに、イエス様は私たちに先立って待っていてくださり、「喜びなさい」と慰めの言葉をかけてくださるのです。そして、このような私たちをも受け入れて、「わたしのきょうだいたち」と呼びかけてくださるのです。
このイエス様が、今日よみがえられたことを、心から喜び、お祝いしたいと思います。
教区主教 ヨハネ 吉田 雅人