教区報
教区報「あけぼの」
あけぼの2025年6月号
巻頭言 東北の信徒への手紙 「希望の中で喜びを感じる信仰人」
まず、5ヵ月間の休職から戻って皆さんと一緒に信仰生活ができるようになったことを神様に感謝します。皆さんのお祈りの力で母も元気になり、家族みんなが良い時間を持つことができました。もう一度、東北教区教役者、信徒皆さんに心から感謝します。
ローマの信徒への手紙12章12節に「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」と記されています。この言葉を単に見てみると、ああ~願いについてのみ言葉、または苦難に関するみ言葉なんだと思いますが、詳しく見ると、このみ言葉も愛の実践について説明していることが分かります。
愛を説明しているコリントの信徒への手紙一13章7節で、愛は「すべてを望み」と言われています。希望とコリントの信徒への手紙一13章の願いは同じ言葉です。「希望の中で楽しく」という言葉を別の言葉で表現すれば、「私たちが希望を持っている限り楽しくしよう」と表現できるはずです。
私たちには希望があるということです。その希望がある限り楽しさの他はないということです。その希望を眺める喜びで兄弟姉妹を愛するように、ということです。希望は、神様が私たちの人生に与えられた最も偉大な約束からきたのです。この希望は、将来的にもう少し良いことがあるような希望をいうことではありません。この希望は、永遠の国に対する希望を語ることです。
使徒パウロはこの希望について、コリントの信徒への手紙一15章51節~52節であまりにも詳細に説明しています。「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。」
使徒パウロは復活したイエスに会った人です。使徒パウロは、復活されたイエス様がおられる天国に行って、その世界を見てきた人です。そのパウロが聖霊の感動を受けたことと合わせて、聖書を通してこのように伝えています。「私たちがすべて死ぬわけではありませんでした。永遠の世界があった。イエス様を信じて従う私たちは死んだ後もまた生きることになりました。それもそのような身体で再び生きるのではなく、永遠に病気でも、死ぬこともないそのような体で永遠に生きることになる…。」
そのような希望が私たちにあるということです。その希望がある限り、私たちは喜んで楽しくなるしかないということです。このような大きな希望を私たちに与えられた神様の恵みに感謝し、その恵みを与えられた神様を愛し、その恵みの中で一緒に生きていく兄弟姉妹を愛さなければなりません。
この世には、神様を知らずに人生を送る多くの人々がいおます。彼らはいつも不安の中で人生を生きているのです。彼らは明日が保証されていないので、今日を生きるために努力しています。一日でももっと楽に暮らすために、一にでももっとよく食べて幸せになるために身をかがめることが、神様を知らない人々の人生です。
愛する東北教区信徒の皆さん!希望の中で楽しんでください。苦難の中でも我慢してください。愛のためにいつも祈ってください。
弘前昇天教会牧師 司祭 ドミニコ 李 贊煕