教区報

教区報「あけぼの」

あけぼの2025年5月号

巻頭言 東日本大震災14周年記念の祈り 説教「希望のイエス」

 

 

2011年3月11日は、私たちが未来永劫忘れられない記憶となっています。否そうでなければならないのです。

 

 

先日大船渡市で山火事が発生しました。三陸町綾里は、この130年間で3度津波被害に遭われました。1896年明治三陸大津波、1933年昭和三陸津波、2011年東日本大震災では最大40.1mの巨大津波が襲来し27名が亡くなりました。それで高台に家を再建した方々が、今度は山火事に襲われています。「二重苦」「二重の辛苦」と言われますが、私は「三重苦」だと思います。それは焼失した家の隣に火災を免れた家が無傷で建っているからです。残酷な風景です。やるせない気持ちになります。

 

東日本大震災のあとには、このように苦しんだ人たちは30万人、いやそれ以上おりました。漁師の佐藤清吾さんもその一人です。大震災で最愛の妻とお孫さんを亡くされました。私が清吾さんと出会った時、清吾さんは打ちのめされ生きる力を失っていました。私たちや多くのボランティアさんたちが一生懸命話したり、お手伝いしたりする中で、次第にこれではいかん、とやる気を取り戻せた、皆さんのお蔭ですと感謝され笑顔の清吾さんが復活しました。

 

2月15日、私は石巻市北上町十三浜大室にある災害復興住宅団地の、6年前に新築された清吾さんの自宅~、原発のない世界を求めるZoom Cafeをオンライン中継しました。30年も前から一人で「脱原発」をしているのは、漁師の仕事ができなくなる、生活を奪われる、海・地球環境を汚染する、何よりも魚や人間の生命を将来的に滅ぼすからだ、という、人が生きる、暮らす上での大問題、大障害だからダメだ、という明確な確信があるからだと、1941年生まれの83歳が語られたのは非常にインパクトがありました。

 

3月9日、13年間水曜喫茶に手作りパウンドケーキを送ってくれた柳城女子大学の先生方や卒業生たちと現役生たち一行が、磯山聖ヨハネ教会に来られました。その朝、水曜喫茶の仲間・佐々木恒子さんの訃報を聞かされて私は言葉を失いました。東京電力第一原子力発電所の爆発で拡散した放射性物質の汚染から避難された浪江町、南相馬の人たちの応急仮設住宅での水曜喫茶に初めから顔を出していた恒子さんでした。

 

私は、彼女の口から無念の言葉を一度だけ直接聞かされました。彼女の家は、大震災数年前に新築したばかりでしたのに避難を余儀なくされ住まわれなくなり「私はとっても悔しいの、腹立つの、もう戻られないし、なんもできんの」と強い語気でした。それでも、2022年原発のない世界を求める習慣でインタビュー・ビデオ出演した時、「本当に私らに良くしてもらって、有難い、有難い」と感謝を口にしました。88歳の死はいわゆる震災関連死、故郷を追われた人の死だと思います。本日、震災関連死を含めて東日本大震災の死者は22,000人を超えています。

 

 

様々な自然災害で亡くなられたすべての方々、世界中で起きている紛争や戦争の犠牲者の魂の平安のために祈りましょう。今現在、言うに言われぬ苦しみや悲しみを背負う人たちに、神様の豊かな慰めと、人々の寄り添いと思いやりが届きますように祈りましょう。私たちの励ましと拠り処にする聖句。「希望が失望に終わることはありません。」(ローマ5:5)
 

 

教区主教 フランシス 長谷川 清純

 

 

 

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あけぼの2025年4月号

巻頭言 イースターメッセージ「復活の朝」

 

 

イースターおめでとうございます。ご復活の主の祝福が皆様にありますように!

 

 

金曜日に十字架に掛けられて息を引き取られたイエス様は、アリマタヤ出身のヨセフとニコデモがユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んで、その日のうちに慌ただしく墓に葬られました。何故ならユダヤ人の安息日、つまり土曜の前日であり、11人の弟子たちはユダヤ人を恐れ隠れてしまったからです。マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、一緒にいた他の女たちは、ご遺体に丁寧に接し、手厚く葬りの用意をしたかったけれども叶いませんでした。

 

2日を過ごし、週の初めの明け方早くになりました。安息日が明けるのを待ちかねて早々に、朝まだ早くに墓に出向いて、せめて香料をお塗りしよう、せめて亡骸を目にして触り、お別れをしたいという気持ちでいっぱいでした。ところが、ご遺体を目にすることができない戸惑いと、打ちのめされた感じで途方に暮れました。

 

その時、神さまからのお声が聞こえてきました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」

 

これは、最も重要なメッセージであり、またイエス様の生前のお言葉です。彼女らはイエス様の言葉を思い出しました。人はそのお方が語られた数々の言葉を思い出します。その中でも一番強く深く残っている言葉があり、それが宝物です。

 

 

14年前の東日本大震災巨大津波によって大勢の方が流されて行方不明になりました。突然、何の前触れもなく身内の身体が取り去られたのです。目の前から消されたのです。愛する人を失った方々は、深い、大きな嘆きを経験しました。時間が空しく過ぎることも経験しました。今日まで、愛する人の魂の平安を祈ることしかできなくそれは、それは長い、長い時間を過ごしておられます。大震災後1ヵ月、2ヵ月、3ヵ月、半年、1年、そして14年が経ちました。

 

やがて被災者の中には、あの人を決して忘れないこと、世を去られた人のいのちを忘れないこと、そのいのちの分まで大事に生きること、それが遺された者がなすべきことだと考え、自分を納得させる方もおられます。山元町にある、震災で園児と職員を失ったふじ幼稚園園長先生はそう考えて、嘆きを生きる力に変え、回復して前を向いて園を再開し、保育を進めています。

 

 

復活とは「そこにとどまらない、そこに縛られない、キリスト・イエスの言葉を思い起こす」ことです。かつてイエス様が約束されたように、復活の主はあなたがたの現実生活の中に必ずや共にいてくださいます。ご復活の主は、いつも共にそして永遠にいてくださいます。「なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ。」

 

主イエス様のみ言葉を胸に抱き、ここから歩み出して行きましょう。主にある皆さんとともに新しい朝、復活の朝に目覚めてまいりましょう。栄光に輝くイエスさまの光に照らされて、光を見つめながら導かれてまいりましょう。
 

 

教区主教 フランシス 長谷川 清純

 

 

 

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あけぼの2025年3月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「人は誰かのために泣くことが出来る」

 

 

14年前の3月11日、あの地震が発生した時に、当時神学校への入学を控えていた私は、指導司祭と共に車を運転しておりました。そして時計の針が14時46分を指したとき、突然の大きな揺れと共に、目の前の渡ろうとしていた橋が蛇のようにうねるという衝撃的な映像が目に飛び込んできたのです。慌てて来た道を引き返した私たちは、何とか難を逃れることが出来ましたが、その道すがら見える割れたガラス、倒れた壁、一瞬にして崩壊した日常を目の前に、えもいわれぬ恐怖を感じたことを、今でも覚えています。

 

その後私自身も色々と大変な思いもそれなりにしましたが、それよりも印象的に残っているのが、自分が行く先々で目にした人々の優しさと強さでありました。水の配給に行けばお年寄りのお手伝いをする青年、他人同士で物資を分け合う姿が見られる所もあれば、ボランティアで訪ねた先では、ご自身も大切な人を亡くされているにもかかわらず、他の悲しむ人に寄り添い、その人のために働く人もいたのです。

 

 

聖書には「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12章15節)という聖句があります。これは私たち人間が他者と一緒に愛を持って生活するために必要な指針であり、簡単に言えば人と「共感」する力の大切さを説いているのだろうと思います。しかし人と人とが、それも全くの他人同士が「共感」するということは、それはとても大変なことでもあるのだろうと思います。ましてそれが、自分自身も悲しみや苦しみといった苦難の中にいる時であればなおさらです。しかしながら14年前のあの時、大変な状況にあったはずの東日本の地では、この共感する力が溢れていたと思うのです。誰もが悲しみを共有し、しかし一方で本当に些細な喜びを分かち合い、それを希望にしていた。それが生きることへの、復興への原動力になっていたと思います。

 

しかし今はどうなのでしょうか。もちろん14年が経過した今でも、被災地へ寄り添い共感し、活動を続けている人々が大勢います。私たちの教会だってそうであると思います。でも一方で、日々の報道では14年前の「悲しみ」にはあまり触れられなくなってきている。復興の「喜ばしい」ニュースはこぞって伝えますが、「未だ苦しみや悲しみの内にいる人々の声」は聞こえにくくなっているように思えてなりません。

 

であるからこそ、私たちは今こそ「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」ことが出来る共同体であること、そんなイエスの弟子の在り方を思い起こす必要があるのです。これは何も東日本大震災に限った話ではなく、やはり私たちの教会は世界の「声なき声」を聴き、共感することが出来なければならないのです。

 

そしてそんな「誰かの声を聴いて共感すること」ということは、大それた何かをするということではなく。それこそどんなに小さなことでも共に喜び、そして悲しみを抱えている人と一緒に泣くということに帰結するでしょう。

 

 

震災から14年経ったこと被災の地にある教会共同体として、イエスのみ跡を踏む者として、私たちが何を成していけるのか。誰の声を聴き、誰と共に喜び泣いていくのかを、今この時だからこそ祈り、考えていければと思います。

 

そしていつか、全ての悲しみが喜びへと変わることも、祈ってまいりたいと思います。

 

 

秋田聖救主教会牧師 司祭 パウロ 渡部 拓

 

 

 

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