教区報

教区報「あけぼの」

クリスマスメッセージ「クリスマスはいつ?」2016年1月号

巻頭言カット実際に、いったい何時イエス様がお生まれになったのかは、分からないようです。「この時期には羊飼いは野宿しない」などと聞かされると困ってしまいますが、4世紀初め頃になってようやくローマで12月25日と定められたのだそうです。

 
2015年9月号巻頭で聖ヨハネ祭について述べたときは夏至でしたが、クリスマスは冬至に関係しています。今年の冬至は12月22日、2016年は12月21日となっていますが、紀元前46年にカエサル(シーザー)が制定したユリウス暦の冬至は12月25日でした。

 
1年で一番昼間の時間が短い冬至のとき、死んでしまうのかと思われた太陽が、この日を境にだんだんと光の量を増して復活して来るので、長い冬の後に春が来る、その最初の兆しとしてこの太陽神のお祭が各地で祝われていました。

 
12月25日にローマで祝われていたこの祭をキリスト教徒は真の太陽であるイエス様の誕生の日として祝うようになりました。

 
当時、この直前の約1週間12月17日~24日は、農耕の神様サトゥルヌスを記念するサトゥルナリアと呼ばれる祭が行なわれていました。奴隷たちは一時的に開放され、宴楽とバカ騒ぎの中で人々は日々を快楽と歓喜に浸って過ごしていました。

 
迫害の歴史とも重なり、キリスト教徒は異教徒の祭の間、特別な記念行事をすることなく、むしろ避けていたようです。

 
そしてペルシャ人やローマ人の好む悪習慣として誕生日を祝うこと自体が、キリスト教の伝統の中には受け入れがたいものでした。教父オリゲネスは「‥‥唯一罪人だけがこのような誕生の機会に喜びの宴を催すのである。」(オリゲネス『レビ記講話』8・3)とさえ述べています。

 
さて昼間の時間が長くなり始めると言っても実感できるようになるのは1月6日頃です。1月6日をアレキサンドリアでは、ゼウスの娘コレーによるアイオーン(時間の神)誕生の日として祝っていました。また1月6日前夜はナイル川の水が特別な力を持つと信じられ、古代エジプト神話のオシリス神にささげられた日でもありました。

 
この地で1月6日(ないしは10日)にバシレイデス派と呼ばれるグノーシス主義の人々がイエス様の洗礼を祝っていました。「これは私の愛する子」と告げられた瞬間に人間イエスが神なるキリストとなったのだと教えていましたから、正統信仰の人々はイエス様が誕生したときに、神の言葉(言)としてのキリストがこの世に来られたのだから、誕生こそ祝うべきだとして1月5日から6日にかけての夜に降誕を祝うようになりました。

 
歴史の中で最初に祝われていたのは1月6日でした。今、顕現日として祝われているこの日にイエス様の誕生が祝われていたのです。東方正教会では今でもこの伝統を受け継いでいます。

 
やがて日付が12月25日に移されてからも、1月6日を博士たちが幼子を訪問した日として保存しました。イタリアに行きますとクリスマスの飾りが1月6日の顕現日まで飾られています。“12 days of Christmas(クリスマスの12日)”という歌も作られているのをご存知でしょう。

 
初代教会ではむしろ避けていた誕生祝いを積極的に祝う今日、死の恐怖から救われる「真の太陽」であるイエス様の誕生が大切なのだと、心から感謝して祝わなければと思います。

 

司祭 フランシス 中山 茂