教区報
教区報「あけぼの」
「忘れない 私たちの経験を無駄にしないために」2014年7月号
2011年3月11日の東日本大震災の発生から3年3ヵ月が過ぎました。この震災によって最愛のご親族を失われたご家族のため、また、今なお行方の分からない方々のご家族をはじめ、東京電力福島第一原子力発電所事故により故郷を追われた方々、被災された全ての方々に、心から主のみ守りをお祈り申し上げます。
東北教区では去る2014年3月11日に東日本大震災3周年にあたり盛岡聖公会、仙台基督教会、福島聖ステパノ教会、釜石神愛教会において、また、各地の教会で礼拝が捧げられました。そして、地震発生の午後2時46分の時刻に合わせて黙想の一時を得ました。
東日本大震災3周年記念礼拝には多くの方々が集い祈りを捧げましたが、それぞれがあのいまわしく忘れることのできなくなった「3月11日」を思い起こされたことでしょう。震災で犠牲となった皆さんのために、また、この世の不条理に疑問を抱きつつ神様のみ力を求め、そして遅々として進まない復興の中にあっても希望を願い求める祈りが捧げられました。
2011年の大斎始日から2日後の3月11日、私は仙台基督教会の牧師として勤務中でしたが、1週間前に患った感染性胃腸炎からようやく回復し、仕事への復帰を喜んでいました。その日は、午後3時に松島にほど近い利府町での約束があり、当時神学校入学前の渡部拓聖職候補生を伴って、仙台基督教会を午後2時に車で出発いたしました。利府町は、海にも近く、後から考えてみますとわざわざ震源の近くへと向かっていたのでした。海に向かって車を走らせていた途中、晴れているにも拘わらず、遠く海の方に帯状の黒雲が横に拡がっているのが見え、二人で「不吉さ」を感じた瞬間、大地は大きく揺れ動き、前を走る車が宙に浮くのが見えました。それが私にとっての「東日本大震災」の始まりとなり、その瞬間、すべての予定や生活、思いがリセットされ、刻々と伝えられる被災地の状況に心揺さぶられる日々へと突入したのでした。発災後、祈りを捧げることの他に何をしたらよいのかわからず、時間だけが過ぎていく中、大震災発生から3日後、旧東北教区会館ホールの入口に教区主教によって「東北教区災害対策本部(仮)」の看板が掲げられて我に返りました。そして皆で手を取り合い、輪になって祈ったとき、復活の主が部屋にこもっていた弟子たちの真中に立って、聖霊の息吹を吹きかけられたのと同じ経験によって皆の力が結集され、教会・教区による支援活動が始まったと思っています。
その後、周知の通り2011年5月末に「日本聖公会いっしょに歩こう!プロジェクト」が設置され、働きが整えられていきましたが、大震災発生から約2ヵ月を要したことになります。「いっしょに歩こう!プロジェクト」の活動やスローガン・方針は本当にすばらしいものでした。残念ながらこの働きは2年をもって終えましたが、その精神は「だいじに・東北」に受け継がれ、そして発災後3年が過ぎた今も私たち一人一人に、発災直後と同じく日々「何ができるのか」が問われています。同時に私たちは何時何処で大災害が起きてもおかしくないといわれる国に住んでいますので、今回の経験(例えば組織図やスローガン・活動方針等)が大きな宝として残されて今後にぜひ生かされ、そして有事にこそ教会の働きは急ぎ求められ、必要とされることを忘れずにいたいと思います。
あけぼの 2014年7月号より
司祭 ヤコブ 林 国秀