教区報
教区報「あけぼの」
あけぼの2020年3月号
東日本大震災 メッセージ 「国破れて山河あり 山河破れて」
2019年に96歳で逝去された日本文学者・文芸評論家として知られるドナルド・キーン氏のテレビ番組を観ていました(NHK「あの人に会いたい」)。東日本大震災以後に日本に帰化したことでも知られています。番組の中の言葉から。
「国破れて山河あり」という言葉がある(中国の詩人・杜甫)。しかし、この大震災を経験した今、山河も破れてしまうことをわたしたちは知ってしまった。そのあとに残るのは何か、それは「言葉」「文学」であると。そういう内容でした。文学者として「文学が残る」というのは理解できますが、わたしはそれを聞きながら、やはり「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」という『イザヤ書」の言葉を思い起こさずにはいられませんでした。確かに山は崩れ、河は流れを変えてしまうことが起きています。美しい田園風景もかさ上げされ、よく言えばきれいに、別な言い方をすればとても無機質にアスファルト舗装された風景が見渡す限り東北の太平洋岸に広がっています。「山河も破れる」のです。詩編にも「地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも」という言葉が見られます。しかしそれは「わたしたちは決して恐れない」という信仰告白と結ばれているのですが。
残る言葉とはどういう言葉なのでしょう。この経験を語り継ぐ訥々とした一人一人の言葉なのか、祈りなのか、聖書の言葉、信仰の言葉かも知れません。この大震災以降に、記録的な文書から物語、思想的な書物まで実に多くの言葉、文字が書かれ、「震災関連本」という言い方さえされています。
一つ具体的に言えば、現在被災地各地でさかんに行われている「語り部」の活動もあるでしょう。震災当時子どもであった現在の中高生たち等、若い人も語り継ぐことに取り組んでいます。言葉で伝えることも決して簡単ではないでしょう。かさ上げされ整地されたアスファルトの広がりを見ながら、そこにあった自然と人々の生活、そしてそれを一瞬で奪い去った出来事を思い巡らすことは容易ではありません。しかしそれでも被災地各地で整えられている記念の碑や震災遺構、そこで展開されているもろもろの働きには、ぜひこれからも触れていただきたいと思います。
大震災発生から9年目の日を迎えます。そして10年目の日へとまた向かっていきます。政府主催の記念式典も10年で区切りをつけると伝えられています。しかし10年は一つの節目であっても「区切り」をつけてはならないと思います。むしろ思いを新たに、ただし東日本大震災だけでなく、その後今日に至るまで発生し続けた各地での災害、日本全体の問題である原発事故のこと、エネルギー問題をはじめわたしたちの、そして日本の生き方のことをさらに深く思い巡らす旅が始まらなければならないと思うのです。本当にわたしたちは次の世代に何を伝えるのか、良いものを残すことが出来るのか、危機的なところにわたしたちは立っています。
主教 ヨハネ 加藤博道(磯山聖ヨハネ教会牧師)