教区報

教区報「あけぼの」

あけぼの2021年8月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「マグロの赤字」

 

 

endoそこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受け取ると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19:29-30)

 

 

「損をして得取れ」ということわざがあります。一時的には損をしても、将来的に大きな利益となって返ってくるように考えなさい、という意味です。日本中、どこのお寿司屋さんに入っても、必ず置いてあるネタはマグロの赤身です。ネタ切れでない限り、食べられないということはないでしょう。実際に、他のネタが無い場合は仕方ないと受け入れられても、マグロのないお寿司屋さんはあまり想像できないものです。しかし、どのお寿司屋さんでも原価率を考えた場合、売れれば売れるほど赤字になることが多いのもこのマグロであると言われています。お店の顔でもあるマグロはケチな仕入れなどできず、また、多くのお客さんが食べることから、値段も上げにくいのです。結果、お寿司屋さんは赤字のマグロを出し続け、他のネタで利益を生み出していくのです。

 

 

イエスさまの生き方を見ますと、決して器用な生き方をされていないことがわかります。もっとわがままに、損得を意識されて、ご自分のことを優先されたらと思うのですが、むしろ、周りからの批判や迫害を一手に引き受け、挙げ句の果てには、十字架の死をすべての人々のために担われ、一番大きな「命」をも、失われます。しかし、その損失ばかりの地上での歩みには、神様の壮大なご計画である人類の救済という豊かで大きな恵みが結び付けられています。

 

教会にとって、損とはなんでしょうか。教会の財源が減ってしまうようなことを言うのでしょうか。得とはなんでしょうか。教会に人があふれるような事態を言うのでしょうか。損とか得などとそんな世俗的な考えはキリスト教の信仰にそもそもふさわしくないとお考えになられる方も少なくはないと思います。しかし、どこの教会も、教区も現実的な問題として、こうしたことは、無視できない状況にあることは確かです。ただ、損なことにしても得なことにしても、大切なのは、それが神様の御心にかなっているかどうかということなのです。もう少し具体的に言いますと、目先の得に捉われて、10年、20年先の教会の維持を見られていますか、ということです。

 

 

現在、東北教区は十和田湖畔の国立公園にあるヴァイアル山荘の建て替えという大きなプロジェクトを進めています。今、この財政難で先行きの見えない大変な時期に、これは、傍目から見ると、無理をしているとしか思えないようなプロジェクトです。しかし、東北教区は、一見赤字を抱えそうなこのプロジェクトに豊かな、恵みと希望であふれている未来を見ています。

 

時間と力と知恵を注ぎ、常に神様の御心を求め、100年以上も紡がれてきたこの歴史的財産の中に、神様の栄光が現されることを信じて疑わないのです。

 

苦しい今この時だからこそ悲観せず、前向きに将来に目を向け、苦しい逆境の中で10年先とは言わず、100年先のための宣教の種を今、一緒に蒔いてまいりたいと思います。

 

 

八戸聖ルカ教会 副牧師 司祭 テモテ 遠藤 洋介

 

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