教区報

教区報「あけぼの」

「教会のやるべきこと」2014年9月号

 東日本大震災が発生したときは、大館幼稚園のお別れ会の日でした。そろそろ盛岡に帰ろうとしていた矢先に、地震が起こり、いつまでも揺れるので気味が悪かったです。管理教会の大館聖パウロ教会の天井から吊るされた電灯が、横に大きく揺れていたのが印象的でした。

 

 少し待てば平常に戻るだろうと、高速バス停に行くと「運休」とありました。時間はかかるが今回はJRで戻ろうと思い、東大館駅に行くと「復旧の見込みがいつになるかわからない」ということでした。だんだんといつもとは事情が違うことがわかり、帰る手段がないので、そのまま牧師館に泊まりました。

 

 先生方が味噌汁を作ってくださり、当面食べるインスタント食品を差し入れてくれました。目の前のコンビニに行くとたくさんの人がいて、あっという間に品薄になり、驚きました。皆の家には備蓄があるのだろうにと不思議に思いました。

 

 停電の中、火を弱くして自然対流でストーブを焚き、ロウソクの火で一夜を過ごしました。ラジオが各地での惨状を伝えていましたが、にわかには信じられない内容でした。 電気は大館市中心部から間もなく復旧しましたが、いつまでも交通機関が復旧しないので、戸枝正樹兄が自動車で一般道を通り八幡平IC付近まで送ってくださり、盛岡の教会車で曽根勇司兄に迎えに来ていただきようやく盛岡にもどることができました。そのときはまだガソリンが入手困難だとは分からず、貴重なガソリンを使って送ってもらい有難かったです。

 

 盛岡への帰途、松の幹が何本も途中で折れているのが見え、異常な光景でした。 盛岡はブロック塀に亀裂が入り、洗礼盤が移動し、会館の壁が一部崩落し、亀裂が入っていました。幼稚園の床が歪み、ホールと保育室の間の接合部の亀裂が広がり、礼拝堂の塔と階段の接合部も広がり、水道管の漏水があり…抜本的な解決には建て直すしかないとはっきりわかり、1億5千万円という途方もない金額の前になすすべがありませんでした。甚大な被害を受けていたのですが、沿岸部の被害があまりにひどいので、かき消されてしまったようです。

 

 2週間ほど後支援物資を車に積んでようやく釜石に行き、泥に埋まった異様な臭気の中、大槌の瓦礫に埋まった街まで行きました。途中の鵜住居(うのすまい)にいたっては住居跡の基礎の土台を残すだけで、一瞬にして生活を奪われた言い得ない悲しみの光景を、それから何度も見ることとなりました。

 

恐山の震災鎮魂碑 間もなく仁王幼稚園に東松島からお子さんが転園してきました。お父様は病院の先生で皆を避難させ、最後に逃げる際に被災して津波に流されて亡くなったそうです。その子を目の前にして、私はノアの箱舟の話ができなくなりました。それまで得意な話だったのですが、流されて命を失った人が悪い人だったとは言えないのです。反対にそれまで不得意だったガリラヤ湖の上を歩くイエス様の話が大事な話となりました。神様は自然界に起きる出来事の上におられる方なのだと。

 

 むつ会衆の礼拝の際に、恐山に行くと菩提寺の境内に大きな四角い柱が建てられていました。東日本大震災の犠牲者を覚えて建てられた鎮魂の碑の脇には「破夢…」と文字がありました。霊場に訪れた縁者は、この碑を見て、無念までも覚えて祈ってくれていることに気付くでしょう。教会のやるべきこともこれだなと思った瞬間でした。

 

 あけぼの 2014年9月号より

司祭 フランシス 中山 茂