教区報

教区報「あけぼの」

あけぼの2024年3月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「教誨師の働きを通して思うこと」

 

 

私が盛岡聖公会の牧師に就任してから、岩手県にある二つの矯正施設、盛岡少年刑務所並びに盛岡少年院において教誨師活動を続けております。これは、1948年に当時の牧師であった村上秀久司祭教誨師としての働きを始められたことが始まりでそれ以降、歴代の牧師(笹森伸兒司祭、佐藤真実司祭、村上達夫司祭(当時)、佐藤忠男司祭(当時)、中山茂司祭、林国秀司祭)が受け継いできています。

 

前任の林司祭より引き継がせていただいた時は正直不安でした。何せ「刑務所」を訪れたことはこれまでになく、「どのような場所であるのか」「また受刑者とどう向き合い何を話せば良いのだろうか」が全く想像つかなかったからです。

 

加えて当時は新型コロナウイルス感染症真っ只中であったため、私のように新人を対象とした「新人研修」もオンラインでの開催となり、元来行われていた他の教誨師の皆さんとの情報意見交換などが全く出来ませんでしたので、ますますその気持ちは大きくなっていました。

 

そのため少しでも不安を解消したかったのd、前任の林司祭や同じ盛岡市で教誨師をされている日本基督教団の牧師さんに相談にのっていただきました。お二人からは「不安だとは思いますが聖書のみ言葉を信頼して、そして越山司祭の生きた言葉をお話しすれば良いと思いますよ」と助言を頂き、少し気持ちが楽になりました。借り物の言葉ではなく自分の言葉で相手と向き合っていくという「あなた」と「わたし」の関係こそ、主イエスが大切にされたことです。

 

 

そのようなことがあった後に、初めての教誨師としての日を迎えました。用意されていた部屋には一人の受刑者の方が待っておられました。短く自己紹介をしてから一緒に聖書を読み、お話しをしました。

 

大変緊張しましたが、私自身のこれまでの苦しかった経験を語り、そんな時に聖書のみ言葉が自分を支えてくれたことを一生懸命に語りました。話し終わってから感想を聴いてみると「牧師さんもいろいろな経験をされているのですね。少しほっとしました」という声を伺い、私自身も内心安心したしたことを覚えています。

 

 

このように相手に思いが届くという経験は嬉しいものですよね。それ以降、第一火曜日の夕方に盛岡少年刑務所に出向き、盛岡少年院には年に1~2回出向いてお話をさせていただいております。毎回毎回試行錯誤の繰り返しですが、受刑者の皆さんには熱心に聖書のみ言葉に耳を傾けてくださいます。

 

受刑者の方はそれぞれ罪を犯して刑務所に収容されて刑期を過ごしています。そして、その犯してしまった罪を悔やみ、再出発したいと願っておられます。刑務所の職員の方も皆それを心から願い、日々向き合っておられます。教誨師として私が大切にしていることは「み言葉の力を信頼する」ということです。み言葉を通して主イエス様が彼らの心に触れ、彼らに生きる希望を与えてくださることを信じて教誨師活動を続けて参りたいと思います。

 

教誨師活動は私個人ではなく盛岡聖公会の働き、キリストの教会の大切な働きであると思います。どうかお祈りの内にお覚えください。

 

 

盛岡聖公会 牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也

 

 

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