教区報

教区報「あけぼの」

あけぼの2025年8月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「人のゆえに地を呪うことはもう二度としない。」(創8:21)

 

 

最近あまりテレビを見なくなってきましたが、これは必ず見ようと思う番組のひとつにNHK地域局発番組「限界集落住んでみた(仙台局制作)」があります。ディレクターが限界集落と呼ばれる地域に1ヵ月間滞在し、住民と交わり、その地域の生活を体験するという内容です。先日の番組は宮城県伊具郡丸森町筆甫地区北山集落からのものでした。町の中心部からは、かなり離れた山間の地域です。取材者は地区の公民館や集会所に間借りし、自炊しながら生活します。そこに「ちゃんと食べてるか?」と差し入れに来てくれる地元の方々にほっこりさせられますが、どこの集落でも共通する話題は過疎化のことです。「自分たちはここで生まれ育ち、ここが好きだから離れるつもりはないけれど、若い人たちには住みにくいんだろうな。」と寂しく笑う人たちの姿はどこの集落にも共通したものがありますが、次の一言にハッとしました。「それでもな、ほんとはもっと人がいたはずなんだ。それがあの放射能の事故で……帰ってこない人も多いな。」確かに原発事故の当初には丸森町の一部にも避難指示が出ていたことを思い出しました。原発事故の被災地というと福島県浜通りが思い浮かびますが、飛散させられた放射性物質が人間が引いた県境で止まってくれるはずもなく、ここも原子力災害被災地だったのです。

 

わたしは東日本大震災以降被災地訪問が可能になったところには教会のメンバーを誘ったり、個人的に出かけたりしていましたが、ここ数年あまり行くことができていません。福島に勤務していながら浜通りにも行っていません。もちろん街中に入ることもできない時期がありましたが、現在主要道路はほぼ通行可能になり、わずかながら人も戻ってきています。行くだけ行ってみようかと思い立ちました。

 

浪江町役場周辺では人通りも多く、街頭の線量計もそれほど高い数値を示していません。しかしそこに至る山間部の道路上では除染はされているのでしょうが1.00(μSv/hでしょうか?)近くかそれ以上を示しています。道路わきには避難以降住民が戻っていないことを思わせる草生した住宅が点在しています。それにどこかの集落に続きそうな脇道には「帰還困難区域につき通行止め」の標識が何か所も設置されています。ある程度戸数がある集落では除染がなされ、生活されている人もおられるようですが、ここでも小さな者は見捨てられてしまっているのでしょう。誰もが完ぺきな除染などできるわけがないと思っていたでしょうが「すべて除染する」と国は言っていなかったか、と悶々としながら大熊町に入ると、国道沿いでも原発近くでは線量計が「2.00」以上を示していました。「まだ終わってなどいないのだ」と改めて思い知らされました。地震や津波は、仕方がないとは言えませんが、防ぐことはできません。でもその時に命を守る努力、備えをすることはできます。

 

原発も防災に努めていたのでしょう。しかし万が一の時のリスクは軽く見ていたとしか思えないのです。放出された放射性物質のひとつセシウム137の半減期は30年。何もしなければ「帰還困難」はまだ続くのです。こんなことが複数箇所で起こったら、考えるだけで恐怖しかありません。@資源のない日本は原発も使わなければいけない。温暖化抑制にもなる」そんな声が大きくなっています。今だけの便利のためにその声に流されるのか、将来を見据えて否と言えるのか。不便も貧しさも受け入れることができるのか。それが私にも突き付けられています。

 

 

福島聖ステパノ教会 牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福

 

 

 

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