教区報

教区報「あけぼの」 - 東北の信徒への手紙の記事

あけぼの2020年5月号

「鍵をかけた心に響く主の平和」

 

戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ヨハネによる福音書20:26)

 

 

新型コロナウイルス感染症蔓延予防対策のために、東北教区内すべての教会の礼拝や諸集会が休止され、教会に集まって礼拝をささげることが当たり前ではなく特別な恵みだったのだと今、皆さん誰もが思われているのではないでしょうか。

 

主の弟子たちは、イエスご自身が十字架の苦難を予告していたにも関わらず、そんなことがあるわけない、そんなことがあってはならないという心理状態であったと思います。

 

新型コロナウイルス感染症が中国で発症したという報道を昨年12月に耳にした時は正直なところ情けないのですが私にとってそれは対岸の火事で、まさかこんなことになるとは想像出来ませんでした。

 

これから大きな苦難が到来するから備えておかなければならないことは耳にはしていながら心が向き合っていませんでした。そんなことがあるわけないとこれから起こりうる出来事から逃れようとしている自分自身と主の受難の予告を受け止めない弟子たちの姿が重なります。

 

イエス様はご自身の予告通りに十字架上で死なれました。その現実を突きつけられた弟子たちの生活は変わっていきました。皆、それぞれの家に鍵をかけて閉じこもってしまいました。

 

英国の聖公会はコロナ対策のために礼拝を休止するだけでなく、物理的にも教会の扉に鍵をかけていることを知りました。教会の扉はいつでも開かれていなければならないのに、それすら出来なくなっている状況です。

 

多様な価値観を持っている人間ですから現在の状況に対してもそれぞれ考え方があって当然です。一番悲しいことはこのような生活が続くと人の心がすさんでくるのです。

 

多様性は私たちを神様に心を向けさせるものなのですが、情報が嵐のように飛び交う中で何を信じて良いのか分からず不安と恐れの中で多様性を受け止めることが出来なくなってしまい、様々な弊害によって私と神様の関係を、そして私とあなたの関係を壊していきます。

 

だからこそ、今皆さんと分かち合いたいみ言葉が冒頭の箇所です。主イエス様は真ん中に立っておられます。私たちの現実の只中に身を置かれて十字架の死、つまり私たちのすべての身勝手さをすべて受け止め身代わりに犠牲となってくださったお方が、「あなた方に平和がありますように」と「あなた」に「わたし」に宣言してくださっているのです。

 

復活されたイエス様は鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちの心を否定せずに全受容し、その大きな愛の中で弟子たちのすさんだ心は徐々に開かれ、失われた日常が回復していったのです。

 

「私たちの内に働く力によって、私たちが願い、考えることすべてをはるかに超えてかなえることができる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々にわたって、とこしえにありますように、アーメン」(エフェソの信徒への手紙3:20〜21)

 

司祭 ステパノ 越山哲也(八戸聖ルカ教会牧師)

 

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あけぼの2021年11月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「諸聖徒日によせて~憶えて祈る~」

 

 

秋も徐々に深まり、11月1日には「諸聖徒日」という祝日を迎えます。

 

教会が諸聖徒日を守るようになったのは、5世紀始め頃のシリアの教会で、よく知られている全ての殉教者と、全く知られていない殉教者を記念して祝ったのが、その始まりだそうです。そして後には全ての逝去者を憶えて祈るようになりました。

 

よく知られている殉教者逝去者を記念することは、それほど難しいことではないでしょう。それは丁度、自分の親族や知人の死を記念する時のように、それらの人々の痛みや苦しみ、あるいは暖かい最後の交わりの時などを思い起こすことができるからです。けれども、全く知らない人を記念することは、とても難しいと思います。しかしそれが難しいと言って、私たちが記念しないなら、私たちにとっては、それらの人々は無に等しくなってしまうでしょう。

 

父なる神様はそのようなことをお望みではないと思います。イエス様は人が無視してしまうような「これらの最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」と言われ、私たちが知っていようといまいと、一人ひとりの人を大切にすることを望んでおられるのです。私たちが知っていようといまいと、その人の人生があり、死があるのです。その事実は空しいものではなく、私たちが考える以上にイエス様、神様にとって大切な人生なのです。そのことに私たちの想像力を、思いを巡らせることが大切なのだと思います。

 

 

2005年の夏、「聖公会国際礼拝協議会」に出席するために加藤主教様とチェコのプラハに行ったことがありました。その協議会終了後、私たちは2つの経験をしました。

 

1つは、8月6日、旧市内の聖ミクラーシュ教会で、広島の犠牲者を憶えるレクイエム・コンサートが開かれていたことです。日本から遠く離れた中欧の教会が、60年前のヒロシマの出来事、原爆犠牲者の苦しみを憶えて祈って下さる。とても感激しました。

 

もう1つは、翌日に訪れたユダヤ人町の会堂(シナゴーグ)で見た出来事です。プラハに残る6つのシナゴーグの1つに、ピンカス・シナゴーグがあります。そのシナゴーグの壁面一杯に、人の名前と生年月日が書かれていたのです。(写真)それはナチスの大量虐殺によってチェコで殺されたユダヤ人犠牲者、約7万8千人の名前だそうです。それは人々の生きていた証しであり、痛みと苦しみの記憶でもあると思いました。まさにここでも人々は「憶えて祈り続けられて」いるのです。

 

 

諸聖徒日(に近い日曜日)、私たちはそれぞれの教会で神様のもとに凱旋された方々のお名前を呼んでお祈りします。それらの方々は私たちがよく知っている人、記憶に新しい人たちであると同時に、私たちが直接には知らない多くの信仰の先達たちです。その祈りは私たちの祈りだけではなく、すでに召された方々も天上の教会でイエス様と共に私たちを憶えて祈ってくださる、共同の祈り、交わりの祈りです。この世で神様と隣人を愛して生きられた一人ひとりの人生を憶えて祈り、神様がその人々を迎え入れてくださっていることを感謝して祝う時、そこには真実の聖徒の交わりがあるのではないでしょうか。

 

 

東北教区主教 主教 ヨハネ 吉田雅人

 

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あけぼの2024年6月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「私たちの地域へ蒔く種」

 

 

最近、弘前昇天教会には多くの方が訪れています。日本全国や色々な国からの観光客もいらっしゃいますが、地元の方々もたくさん教会を訪れます。昨年は弘前市と一緒に教会訪問プログラムを計画し一日で200名くらいの方々がいらしたこともありました。しかし、教会を訪れる方々と話をすればするほど、私の心が痛くなりました。その理由は、「この教会の門はいつも閉まっていた。だから教会を観たくても観ることができない」という声を地元のたくさんの方々から聞いたからです。お

 

もちろん門を閉めていたのには様々な理由がありました。この中で一番の理由は定住牧師がいなくて信徒皆さんでは対応に限界があるからでした。

 

 

イザヤ書55章10節以下に「雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人には種を与え食べる人には種を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた氏名を必ず果たす。」という言葉があります。このみ言葉では自然の順理が明らかになっています。

 

イスラエルの民は、自分たちが種を蒔いたとしても、その恵みを施すのは神様であると告白します。神様のご意志が必ず成し遂げられるのが創造の順理であるという言葉を心に刻みたいと思います。

 

私たちが蒔くべき種は、やはり神様から受けた恵みを他の人々が知るように努力する心です。そして行動することです。私たちが蒔いている紙さなの恵みの種がすぐにも私たちに近づいていなくても挫折してはいけません。種を蒔いてもその種がすぐに実を結び、種を蒔いた人に戻るようにはできません。それを期待するのはむしろ欲望です。

 

私たちは毎日種を蒔きます。慈悲深い神様の恵みを言葉と行動で実践することが種を蒔くことです。イエス・キリストの十字架も同じです。確かに最初は失敗のように見えますが、神様の意志は異なります。死に勝ち、完全な勝利を成し遂げるための苦痛を捧げられたのです。私たちも待っている心で、今のように種を蒔く切実な心をで暮らすなら、その実は神様がくださる恵みの贈り物になります。

 

このような人の切実な願いは主イエス・キリストが教えてくださった祈りによく出ています。神様が慈悲深いように、私たちも慈悲深く恵みを求めなければなりません。そのためには、より多くの努力をしなければなりません。神様に純粋に従う私たちが求めるものが何であるかを私たち一人一人が確認する必要があります。

 

 

最近、教会の花壇で花を見る時間が多くなりました。名前も知らない花を長い時間ずっと見る時があります。ある日なぜ花の名前を知らないか考えてみると、これまで花に対して関心がなかったからでした。関心をもって花を見ると色々な良さに気付くことができます。このように私たちが神様の宣教に関心を持って各地域で各教会に合う形はどんな形なのか。また、わたしたちが蒔くべき種はどのような種か。東北教区が、神様の前で謙遜な弟子として、祈りの中で確認する共同体になることを願います。

 

 

弘前昇天教会牧師 司祭 ドミニコ 李 贊煕

 

 

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「Y司祭の水出しコーヒー」2016年6月号

あやめ「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ…」(ルカ10:41)

 
私が司祭になって間もない頃の忘れられない苦い体験です。仙台勤務についたばかりの頃、Y司祭を特別な用もなく、突然訪ねました。彼は1人縁側に腰を下ろしてじっと瞬きをせずゆったりと嬉しそうに前を見つめていました。目線の先の畑には、なすび、キュウリが見事にたくさんのたわわな実をつけて、Y司祭の信仰の友のようでした。

 
しかし私が気になったのは、なすびやキュウリではなく目の前に置かれた得体の知れない不思議な物体でした。それが何であるかすぐに理解できました。初めて見る水出しコーヒーでした。司祭さん曰く、今日は誰かが訪ねて来るような予感がしてコーヒーを用意して待っていたと言われました。それは感激です。初めていただく水出しコーヒーの味を想像しておりました。

 
ところがいつまで経っても出てこないのです。寡黙な司祭さんでしたから、あまり話も弾まず、ただ黙って時々司祭さんの横顔を覗きながら庭を見ていました。司祭さんは何事も無かったかのように黙々とその場でお地蔵さんのように動かず、何時できるかもわからないコーヒーにも関心がないようにただ座っておりました。

 
聞こえるのはさらさらと頬を伝う風と、いつ果てるともなく“ぽたっ、ぽたっ”と落ちるコーヒーの水滴の音だけです。我慢の限界。しびれを切らしてこれ以上待てないと、まだ仕事がありますので次回にいただきますと、失礼を詫びながらその場を離れようとしました。

 
それまで物静かな仙人のような司祭さんの顔が一瞬ゆがんだのを見逃しませんでした。いきなりでっかい雷が落ちました。馬鹿者と一括でした。僕は君にあげる物が無い。今あげられるのは僕に残されたわずかな時間…もう次の言葉を返せませんでした。

 
今、定年を控えてその言葉が脳裏を過ぎります。それでも懲りない自分がいます。

 
世界一心が豊かなウルグアイの元大統領ホセ・ムカヒさんの言葉が今世代を超えて暗い世界に光り輝いています。ミヒャエルエンデの代表作『モモ』の時間泥棒を思い出しながら、心に残るその名言をいくつか紹介したいと思います。
・毎月人の2倍働き、ローンを払ったら年老いた自分の残った…後悔はありませんか?
・貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。
・質素に暮らすことは、物に縛られない自由な生き方を勝ち取るため…質素な生活を送ることで働かない自由な時間が確保できる。
・幸福な人生の時間は、そう長くはない。
今、当たり前の事を告げる81歳になるムカヒさんの言葉が、妙に心にズキンと響くのです。彼の人生は、若いときには人々の解放のためゲリラ組織に入るも逮捕され13年間過酷な獄中生活を送り、後に政治家として頭角を現し、多くの人々の支持を得てウルグアイの第40代の大統領となり、任期5年でその職を辞して昔も今も静かに妻と2人で変わらず農園にて生活を続けています。その辿り着いた生活スタイルは生きるために必要な最小限のもの(余計な物は欲しがらない)で、自由な時間が確保された最大限の幸福な人生を生きる哲学に支えられています。

 
想像するのです。物はいつでも買えますが、時間はいつでも買えないことが、この歳になってようやくY司祭の一喝がムカヒさんの言葉と重なり、生きている限りまだ時間はある、まだ間に合うとしぶしぶ自分に言い聞かせながら、限りある人生の時間をどう使うかまだ迷う69歳になった自分がいます。

司祭 ピリポ 越山 健蔵

「心の真ん中に」 2018年6月号

新学期が始まり、セントポール幼稚園を卒園した子どもたちは小学校へと、そして園にいる子どもたちは一人ひとりクラスが上ってお兄さん・お姉さんです。今まで助けてもらっていた子たちは、今度はより小さい子どもたちを自分たちなりに助けようと一生懸命です。その瞳はキラキラし、まっすぐ前を向き、自信に溢れている様に感じられます。

 

 

私は日々学びとかけがえのない時を与えられております。週報作成や、信徒訪問、電話相談。また主日の説教、誕生礼拝や教師学びの会でのお話しなど、当日の朝まで悩み考えても出てこず、しっくりこないという時もあります。そんな自分に苛立ちと不甲斐なさを覚えたりしますが、何よりも沢山の人との出会いと交わりが私を支えてくれております。

 

 

教会、幼稚園の周囲を歩いていると、卒園生が預かり保育のために幼稚園に向かってきます。また一段とお兄さん・お姉さんになった子どもたちに向かって手を振ると、「こう先生、ただいま!」と46歳の自分には少々きついタックルと「ぎゅ~」があります。また、学校で色々なことがあったのか、泣きながら帰って来る子たちもいます。何も言わず、ただ泣くだけ。もう少しで幼稚園だから大丈夫と言うと「ううん、まず教会に行ってお祈りしたい、けんかしたお友だちのためにお祈りしたい」怒りそうになった自分、その友だちのことを嫌いになりそうになった自分、全部含めて神様とお話ししたいと言います。

 

 

教会会館の利用を申し込まれる方々がいます。御挨拶に伺うと、地域の高齢の方々の集まりです。すると、「うちの孫が幼稚園でお世話になってます~」、また「いや、自分の娘もお世話になったよ~」といったお話があります。教会の周囲を散歩している時に、いつも見かける散歩するご婦人、ゴミを出す日を懸命に守っておられる方々、その皆さんとお会いする機会を教会の会館で与えられていることに感謝です。

 

 

「天の国はこのような者たちのものである」とおっしゃったイエス様がおられます。私はこのみ言葉に関して清廉潔白でなければと思っておりました。子どもたちが私に向けるまっすぐな目の様に。

 

 

でも、思うのです。幼子はだれかの支えがなければ生きてはいけません。食べることに関しても、衣服を着ることに関しても。それは、「誰かに寄り頼む」そして「誰かに見守られている、それを知り、全幅の信頼を寄せているから」ということではないかと思うのです。しかしながら、生を受け、社会の中で、そして様々な問題、そして喧騒の中歩んでおりますと、「自分」が中心になってきます。それはそうでありましょう。だって、「自分」が頑張らないと、ちゃんとしないと、この「社会」では生きていけないのですから。知らないうちに大人は自分以外、沢山の経験や年月を経た自分しか信じられなくなっているのではないでしょうか。

 

 

でもイエス様は、「大きな力にみ守られているんだよ。 どこが中心ですか? 心の真ん中に何がありますか?それは神様だよ!」というとっても大切なメッセージを伝えていると思うのです。それを子どもたちの姿に例えたのではないでしょうか。

 

 

かけがえのない存在として大切にみ守られている子どもたちが、その受けた思いを伝えている、それが保護者であって、おじいちゃん、おばあちゃんであって、そして地域の人たちであると感じております、それは祈りと交わりの中、その中心に神様がおられるからと思うのです、温かい眼差しで、そして「ぎゅっ~」と。

 

 

何が真ん中であるか、その問いへの答えは日々の出会いと交わり、そして何より種を蒔かれた「光の子どもたち」からであります。

 

主に心から感謝

執事 アタナシウス 佐々木 康一郎

 

あけぼの2020年6月号

「想いを込めた手紙に秘められた力…」

 

主キリスト・イエスからの恵み、憐み、そして平和があるように (テモテへの手紙一 1:2)

 

新型コロナウィルスの感染で自粛が続き、礼拝が制限され、2月までの日常的な普通の信徒の交わりが、閉ざされてから早2ヶ月が経過しています。改めて礼拝に参加し、聖餐に与ることが生きる糧、生きる力となっていたことを思い返させられています。

 

人はやはり聖書にある創世記の始めより一人では生きられない弱い生物だと、今回の自粛で感じています。

 

 

人生の大半顔を合わせて、お互いに安否を問い、声を掛け合い、励まし合い、訪ね合う…ことが出来ない現実と向き合っているある青年のことを紹介いたします。

 

事件を起こして刑期服役中の青年と20年近く文通を続けています。毎月一度の定期便です。囲いの外の人と会えるのは、限られた数人の方々、それも年に一度あるかないかです。彼の唯一の慰めは想いを込めた手紙を出し、現代のラインのようにタイムリーには程遠い時間をかけた応答の手紙です。僕が希望を見失わず生きることが出来るのは一通の手紙ですと告白しています。その手紙は毎回、体調はどうですか、風邪は治りましたか…毎回自分のことを話す前に必ず相手の安否を心配しての長い書き出しから始まります。

 

 

聖書に目を転じるとパウロは毎週共に礼拝が献げられないため、各教会に手紙を出しました。信徒への励まし・慰めに溢れた手紙の冒頭には必ず「主イエス・キリストの恵みと平和があなた方にありますように」の書き出しで始まります。私たちキリスト者はパウロに倣い手紙の頭に主の平和がありますようにと記します。そしてお元気ですか、お変わりありませんかと続けます。

 

以前教会の交わりから離れたある信徒の方から返信の手紙をいただきました。その中で、司祭さんから、毎回送られてきた週報にたった一行ペン書きでお元気ですかと書かれていたのが目に留まり、どれほど勇気づけられ、離れていても司祭は私のことを覚えて祈ってくれていると気づき、教会にまた復帰したいことがしみじみと書かれていました。

 

今コロナ自粛で礼拝堂にて共に主日の聖餐に与ることは叶いませんが、信徒の出席が得られなくとも牧師は毎日信徒一人一人を覚えて礼拝を献げています。祈りは必ず聞かれると確信しています。ナザレ修道院では、毎朝毎夕、病床にある人、苦しみにある人の為にその人に想いを巡らしながら、お一人お一人の名前を挙げて祈りを捧げております。105歳でこの世を去られた八千代修女さんの言葉を思いだしています。司祭さんの一番の仕事は祈ることよ!祈りは必ず聴かれるのよ!がんばって!

 

こんな時にこそ、主イエス・キリストの恵み、憐み、そして平和がありますように。

 

主に在って

 

 

司祭 ピリポ 越山健蔵(仙台基督教会 嘱託)

 

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あけぼの2021年12月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「天国の鍵とみ言葉の剣」

 

 

私の奉職する福島県にある郡山聖ペテロ聖パウロ教会は、郡山市街地の中心に位置する麓山の上に建っています。聖堂は、1932年(昭和7年)に、当時のジョン・コール・マキム司祭が尽力されて建立し、ビンステッド主教により聖別されました。鉄筋コンクリート造ゴチック様式の荘厳で神聖な趣が今も保たれ、登録有形文化財に指定されています。そして2011年の東日本大震災の際には、地震の大きな揺れに加えて、地域全体が原発事故による放射性物質の被害に見舞われ、大変な苦難を負わされました。その時、日本聖公会の取り組みの拠点となるべく、セントポール会館が建てられ活動が行なわれました。現在は、信徒会館としての機能や幼稚園関係の集会だけでなく、地域に開らかれた施設として英会話教室、学習教室、生け花教室、諸団体の会議などに用いられています。すばらしい聖堂が建てられたことや聖ペテロ、聖パウロという二人の偉大な使徒の名前が命名されたことは、先人たちの宣教伝道への意気込みとして今も受け継がれています。そして聖堂内部の聖書台の前には、その象徴となるべく高さ30cmほどの聖ペテロと聖パウロの像が並べて安置されています(写真)。

 

 

聖ペテロは、主イエスの最初の弟子となり、「あなたがたは、わたしを何者だというのか。」と主イエスから問われ、真っ先に「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰告白をし、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」(マタイ16:19)と言われました。それゆえこの像の聖ペテロも立派な鍵を抱えており、聖ペテロが教会を「守る」使徒という思いが湧いてきます。しかしその聖ペテロは、主の十字架の際、主の仲間であることを三度も否定するという罪と汚点を残してしまいます。一方聖パウロの像は、左手に剣を持ち、右手には聖書を抱え、み言葉を武器に何事をも恐れずぐんぐんと前に切り開いて進む、力強いイメージが沸き上がります。パウロの持つ剣と聖書は「霊の剣、すなわち神の言葉」(エフェソ6:17)を表し、さらにその剣は「どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができる」(ヘブライ4:12)と証されています。しかし聖パウロは他の使徒とは異質で、回心し、主に従う以前は主の働きに加わる人々を迫害して捕らえ、殺しさえする人物だったことが包み隠さず伝えられていることを加えます。教会は、信仰や礼拝を「守る」一方で、外に向かって切り「開く」姿勢を持ちますが、聖ペテロのもつ鍵と聖パウロのもつ剣は、教会に備わるべきその二つを表しているといえます。

 

聖ペテロと聖パウロの働きが全く違う性質のようにも記しましたが、二人には前述のように人間の弱さから犯した罪を「神様に赦され、愛に包み込まれた人」という大きな共通点があります。それは復活の主との出会いの中で変えられ、その後自らも人を赦し、希望に満たされ立ち上ったという点で同じです。さらに偉大な使徒にも拘わらず人間としての弱さや負の人生も包み隠さず聖書に残したことや神様に愛された喜びを証したことが、この二人の偉大さであることに気づきます。私たち誰もが、主イエスとの出会いの中で神様に赦され、その恵みによって歩み、愛され立っている者です。私たちも懸命に信仰を守り、心を開き、捧げ、主イエスの愛の生きた証し人、その肢として教会の働きを共に強めてまいりましょう。

 

 

郡山聖ペテロ聖パウロ教会 牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

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あけぼの2024年7月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「私があなたがたを愛したように」

 

 

ある時、教会の礼拝にはじめて参加された方にしばらくして「教会はどうですか?皆さんとは仲良くなれましたか?」と尋ねますと「皆さんとても親切でお優しくしてくださいます。やっぱり教会は愛に溢れているところですね」というお答えを頂戴しました。「教会には愛がある」という言葉をとても嬉しく誇らしく思うのと同時に、そのようなお答えをいただきとても新鮮に感じている自分がいることにはっとさせられました。

 

 

主イエスがこの世を去られる前に弟子たちに最後の説教(ヨハネ14章ー16章)を語られましたが、そこで繰り返し語られたことは「互いに愛し合いなさい」でした。「これがわたしの命令である」とさえ語られ、繰り返しておられます。主イエスのお別れの説教でもありますから、これだけはシア後に言っておきたいという最も重要な教えであり、キリスト教が「愛の宗教」と言われるゆえんにも繋がる内容ですから私たちの教会に必要不可欠なものこそこの「愛」なのです。これはキリスト教保育についても同じです。

 

 

しかし、愛というものは、直接目で見て確かめ、取り出して見せるようなものではなく、「関係」の状態を示す言葉です。教会での交わりや友人との関係や家族との関係、夫婦の関係など、人と人との人格的関係、その関係や状態を表す言葉ということになります。私たちは、「そのような意味において主イエスが、愛の人、愛に満ちた人だということを知り、そのように信じており、そして、繰り返し「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と命じておられる中で、私たちは本当のところ主イエスのどこを見習えば良いのでしょう。

 

主イエスは優しく、どんなことがあっても怒らない、柔和で、子どもをニコニコ抱き上げられ、病気の人々、心身に重荷を負われる人々、貧しい人々、弱くされた人々の側に立ち、奇跡さえ行われる方としてのイメージが強いのですが、同時に、権力を振るう人を嫌い、正しいと思ったことは貫かれ、神殿で商売を行う屋台をひっくり返すような荒々しさもお持ちです。その主イエスが「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と教えられ、これこそが愛だとはっきりと言われるのです。

 

これは偏に十字架の愛であり、「犠牲愛」と言われる愛です。そして、主イエスは、弟子たちのため、人々のため、そして、私たちのためにも、本当に死んで慈しみに溢れた「愛」を見せてくださいました。ご自身を裏切る者をも許して愛し、突き落とす者をも愛し抜く愛です。そしえ十字架の上で苦しみ、死なれ、これが愛すると言うことだとはっきり示してくださった、痛みと苦しみを伴う愛です。その上であなた方もこのように愛し合いなさい命じておられます。しかしながら私は弱く、主イエスの様には死ねません。ただ主イエスを愛し、救い主と信じることによって、私たちの最後の時の罪状書はすでに無罪とされ救われています。この恵みに満たされ、互いに愛し合う教会として喜びに溢れた教会として宣教に励み、共に歩んでまいりましょう。

 

 

郡山聖ペテロ聖パウロ教会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

 

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「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」2016年7月号

1面 挿絵恐怖は、様々な場面で感じることがあります。例えば、最大の恐怖は死であり、自分の能力と限界の恐れもあります。また、将来に対する不安もありますし、合格と不合格の恐怖と喜びもあります。その恐怖に心配して眠ることができない場合もあります。

 
自然災害の恐れもあります。嵐や地震がその例です。おそらく地震や火山の爆発は、巨大な被害を与えるため、恐怖も大きくなります。インドネシアの地震や2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災と津波は、言葉で表現できない恐怖でした。また、2016年4月14日午後9時26分以降、九州地方を震源とする地震が続いています。これらのすべてが死に追い込むものだからです。また、暴力や武力の恐怖も本当に大変な恐怖です。

 
マルコによる福音書4章37節以下に次のような話があります。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」

 
弟子たちはひどく恐れています。船に水が入るのに艫の方で枕をして眠っておられるし、「なぜ怖がるのか?」と言われるイエスの言葉が理解できません。私たちもそのような状況で、恐怖を覚えないことができるでしょうか? それは当然のことであり、弱い人間の姿です。しかし、恐れていますが、船に乗っていて、イエス様が一緒にいらっしゃいから船に水が入って来ても、恐怖を出す必要がないという言葉です。

 
キリスト教の伝統で船というものは教会共同体を象徴し、イエス様が立ててくださった共同体です。弟子たちは、イエス様と一緒におり、暴風が打って、水が入ってきて、死に先んじて、すべて恐れるほどのことが起こっています。しかし、イエス様は沈黙し、眠っておられるように見えるかもしれません。私たちも生きていく中で、このように数多くの人々が命を失い、恐怖に陥り、互いに裏切って、神を恨んで信じなくて船を離れて行き、また今後も船を離れていく可能性があります。そして弁明としてつらくて船を守ることができなかったし、怖くてやったと言ってしまうかもしれません。だから今日も、イエス様は、「なぜ怖がるのか?」「まだ信じないのか?」と私たちに尋ねておられます。

 
それは生命であるイエス様と一緒にいられず、疑うので恐れてしまうのです。

 
そのすべては信仰です。信仰を通って沈没しようとする船を救い、私たちの生命も救い、私たちの教区も救い、私たちの教会共同体も救うことができます。しかし、私たちは、イエス様の能力を疑って生きています。完全に信じることができない、私たちの弱い信仰を反省しながらこれからは疑いもなく、イエス様と世界を愛することにもっと努力する信仰者でなければならないでしょう。

司祭 ドミニコ 李 贊熙

 

「ツルハシ一振り」 2018年7月号

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」(ヨハネ福音書14:6)。教会の逝去者記念(レクイエム)の礼拝でもよく用いられる聖書の一節です。これは、「私たち人間はイエス様の行かれる十字架の道、そのみ跡を歩くことなしにはその命に救いは無いということ。」しかし逆を言えば「イエス様を知り、そのみ跡に従うことにより、どんなにか罪深い私たちであっても、その命をイエス様は天上の家に招いてくださる」という希望に満ちた福音でもあり、宣教の勧めでもあります。イエス様という真理と命の道を歩き、そのみ跡に従って業を行うこと。それはすなわち宣教でもあり、まさにキリスト者の本懐であります。しかしながら自分がこの「イエス様の道」を歩み、その「喜ばれる業」を成すことが出来ているのかと思うと、非常に不安に感じる時があります。特にわたし自身が聖職になってからは、その思いは日々強くなっています。「今わたしが歩んでいる道は、実はとんでもなく見当違いの道を進んでいるのではないか。」「わたしが教会・教区でしている働きも実は何にもなっていないのではないか」と感じる。特に宣教という業は、なかなか目に見えて結果が見えることがないものが多いと感じています。

 

 

そんな時にわたしの目を開いてくれたのが、一つの道の開通でした。わたしは昨年から月に1回山形の米沢聖ヨハネ教会に礼拝奉仕をさせてもらっています。当初は米沢聖ヨハネ教会に行くには片道2時間30分以上かかり、さらに険しい栗子峠も超えなければならず大変な思いをしました。しかし昨年の11月に東北中央道の米沢区間が開通し、一気に45分近くその旅程は短くなり、また安全な道を通ることが出来るようになりました。当初はその安全と便利さを当たり前のように享受していた私ですが、ふとこの道を通すのには全体で30年、工事だけでも20年以上の月日を要したのだと改めて気がついた時に、目先の結果や歩みにクヨクヨしている自分が恥ずかしくなったのです。

 

 

思えば当たり前のことですが、工事を始めた人たちはすぐに道が通るとは思っていない訳です。さらには最初期の人であれば、自分たちの働きの結果を見ることも出来なかったはずです。でも現実にはその人びとの最初の働きが「ツルハシの一振り」が無ければ、道は完成しなかったのです。

 

 

このことに思い至った時に、わたし自身の道も同じなのだと気づかされました。わたしが今進んでいる道もまた、すぐに開通するものでも無ければ、結果が得られるものでもない。しかしその道がイエス様に繋がる道だと信じることによって、その歩みは決して無駄ではないこと。わたしが不安に感じる歩みも必ず「ツルハシの一振り」になっているのだと思えたのです。ましてわたしたちが歩む道は、イエス様が既にその先頭を歩かれているのだから、何も不安に思うことはないのだと。

 

 

わたしたちの教区・教会は皆小さく、その歩みと神様への道を開く宣教の働きは遅く小さいかもしれません。しかしどんなにか小さく見えるそれぞれ働きも、そして祈りも、必ず「ツルハシ一振り」になり、わたしたちを救いに導くのだということ。そしてそれは後に続く全ての人々にとっても、神様への道を助けるものにもなるのだということを覚えたいと思います。

 

 

執事 パウロ 渡部 拓(福島聖ステパノ教会牧師補)

あけぼの2020年7月号

「人間は退化したのか?」

 

 

新型コロナウイルスが広がる世界にあって、私の頭の中で繰り返し響いてくる聖書の言葉があります。それはヨハネ福音書3章1節以下にある、所謂「イエスとニコデモ」と題されている箇所で、中でも「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」というニコデモの言葉と、イエス様の「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」という言葉に様々なことを考えさせられるのです。

 

このことのきっかけは、ある情報番組のコメンテーターの発言を思い出したからでした。それは現在の世界にはびこる「自己中心主義」「国家主義」過剰な「経済優先主義」を取り上げ、「人類は20世紀に入り、大戦や悲劇を体験しながらも、何とか生み出した自由や博愛、平等といった精神性、世界で一つになっていこうとする意識を獲得してきた、しかしせっかく獲得したその進歩が近年では失われつつある、人類は退化している。」といった主旨のものであったのです。

 

私は思いました。人類という一つの種は、その進化の限界に達してしまったのだろうかと。ほんの少し前までは、人類の進歩は誰も疑っていなかった。その科学技術も精神性も、これからどんどん進歩し良くなっていくと、世界が信じていたように思います。しかしながら今現在は急激にその展望は色褪せて、どこか閉塞感が漂い、これ以上先に進むことが出来ないのではないかという恐れが鎌首をもたげる世界になりつつあるように感じる。さらにコロナウイルス禍での為政者たちの姿、自己中心主義に陥ってしまっている個々の人々の姿を目の当たりするにつけ、それは確かなもののように感じてしまうのです。

 

そしてその様な今の人類の姿は、成長することも、進むことも出来なくなった「年をとった者」であるように思えてならないのです。その様はニコデモがイエス様に言ったように「どうして新しく生まれることが出来ようか」という姿であり、普通に考えるならば、年老いたものはこれ以上成長することはなく死にゆくものであるし、進化が止まった種はゆるやかに退化して滅びていくしかないという、どこか絶望的な姿です。

 

 

しかしながら聖書はそんな絶望に希望を与えてくださいます。それが冒頭でも上げたイエス様の「新しく生まれなければ、御国を見ることが出来ない」という一見不可能に思える言葉が、同時に「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」という言葉により、信仰によって可能になると転換されていることからも分かります。

 

この希望は、この世界の常識であれば、もはや緩やかな衰退を待つだけに思える私たちにあっても、神様は今この状況をすらも「新しく」することがおできになる。それもイエス様を遣わされることで、信じる人を全て新しい創造でお救いくださるという希望です。

 

 

今の世界はどこに向かうのか全く分かりません。しかし私たちが信仰を持ち続ければ、必ず神様の新しい創造の下で「天の国」に近づいていくことが出来るのだと信じて、皆で共に進んで行ければと願っています。

 

司祭 パウロ 渡部 拓(福島聖ステパノ教会・小名浜聖テモテ教会 牧師)

 

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あけぼの2022年5月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「あから働く、あるいは生きる」

 

 

以下は、ある単語を辞書で調べた際の説明です。ある単語とは何かおわかりでしょうか。

 

「立場上当然負わなければならない任務や義務」「自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと」「法律上の不利益または制裁を負わされること。特に違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担」。

 

そう、ある単語とは「責任」です。しかし、これでは今一つ腑に落ちないと考えるのは私だけでしょうか。そこでその理由を考えてみました。そして思い至った結論は…。

 

これらの説明はすべて「義務」という言葉の説明にも置き換えられそうだからです。しかし「責任」を「義務」とまったく同義語としてしまって果たしていいのだろうか。そう思います。なぜなら聖書に学ぶ「責任」は「義務」とは対極にある「自由」という概念から生じた言葉で、「人として支え合い活かし合いながら、共に豊かな生を生きることを求め続けるための俯瞰的な視点」をもつことだと思うからです。

 

 

ダビデ王の時代に、ダビデの息子ソロモンによって神殿建設が進められることになりました。そのためにダビデは莫大な量の金、銀、青銅、鉄、木材などを寄進し、また民にも寄進を呼びかけました。結果、おびただしい量の資材が献げられましたが、その際のダビデの言葉「取るに足りない私と、私の民が、このように自ら進んで献げたとしても、すべてはあなたからいただいたもの。私たちは御手から受け取って、差し出したにすぎません」(歴代誌上29章14)は、自らの行為を果たすべき義務としてではなく、神の恵みに対する自由意思の応答として捉えています。これこそが、「人として支え合い活かし合いながら、共に豊かな生を生きることを求め続ける俯瞰的な視点」をもった聖書の教える「責任」だと思うのです。

 

新約聖書の「タラントンのたとえ」(マタイによる福音書25:14~)では、「責任」についてのさらに明確な対比が示されています。旅に出る主人が僕たちそれぞれに5タラントン、2タラントン、1タラントン預けるこの譬え話において、自由意思の応答として自らの「責任」を考えたのは、商売をしてさらに5タラントン、2タラントンを儲けた僕たち、義務としてしか自らの「責任」を考えられなかったのは、1タラントン預かって穴の中にそれを隠した僕です。すなわち、義務としてのみ捉える「責任」は常に、「言われたからやった」「嫌々やった」「そうしなければならないからやった」などの言葉で装飾され、かつ自分の保身がその中心にあるのに対して、自由意思による応答として「責任」は、「こうしたら喜んでくれるだろうから」「こうするとみんなが便利だから、嬉しくなるだろうから」などそこに義務感はなく、他者の存在を視界に入れていなければ出てこない発想です。中心にあるのは他者の存在でありその幸せとであるとも言えるでしょうか。

 

私たちは、役割や機能や義務に偏らず、同じ星に棲む者同士、希望や夢を共有するために自分に何ができるのかを探し求め続けること、そこに招かれています。そうして働くこと、生きることこそが、キリストに倣う人間としての「責任」だと思うのですが如何でしょうか。

 

 

仙台基督教会 牧師 司祭 ヨハネ 八木 正言

 

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