教区報

教区報「あけぼの」 - 東北の信徒への手紙の記事

「やさしいことは難しい!?」2019年2月号

 若い頃から万年筆が好きでした。そもそも私が中学校に入るような時代には、進学のプレゼントと言えば万年筆、それを学生服の胸ポケットにさして、大人の仲間入りをしたような誇らしい気分になったものです。それに較べると、少なくとも私の知る限りの周囲の現代の若い人たちはおよそそういうものを使う雰囲気がないようで寂しい気がします。ずいぶん以前のことですが、日本橋の丸善で万年筆を見ていた時、すぐ横に立った長身の男性が作家の井上ひさしであることに気がつきました。太めのウォーターマンを選んでいたように記憶しています。同氏もまだ後のような大作家というよりは中堅であった頃、時代的には「ひょっこりひょうたん島」の時代かと思います。

 

同氏の座右の銘は「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに」書くことであったと、これも有名な話です。私自身この言葉には共感するのですが、同時に自分はまったく逆をやってきたような忸怩たる思いもします。

 

 

しかし考えてみると、ここで言われていることはやはり難しいことです。「むずかしいことをやさしく」伝えるためには、その難しい内容を完全に自分が理解していなくてはなりません。ですから学校でも「入門」というのは一番のベテラン教員が担当することだと言われます。「やさしいことをふかく」も「ふかいことをゆかいに」もそれぞれ究極のことです。要するに井上ひさし氏は究極のことを言っているのだと思います。

 

また聞き手、読み手の方の問題もあります。「むずかしいことをやさしく」伝えられて、それをやさしい話としてだけ受けとめて終ってしまうと、どうなのでしょう。結局大事なことは伝わらないことになります。受け取り手の方でも「やさしく語られたことを深く」理解していく必要があることになります。

 

 

ご一緒に祝ってきたクリスマス、そして今続いているエピファニーの季節のテーマは、「神の独り子が、私たちと同じ肉体をとって(従って人間の弱さも同じように担われて)私たちの間に宿られた」ということだと思います。『マタイによる福音書』も『ルカによる福音書』も、それをわかりやすく美しい、牧歌的な出来事として伝えていました。ロマンティックな印象さえします。

 

しかしそれはやさしい話でしょうか? やさしさの中に秘められたとんでもなく深い話なのだと言えます。「わたしたちの中に宿られる神」。最近ほとんど使われない用語をあえて用いるとすれば、キリスト教信仰の「奥義」です。

 

「やさしく語られていても、本当は難しいんだ!」と脅かすような意味で言いたいのではありません。しかし主イエスの一番身近におられた母マリアでさえ、自分の息子のことがなかなか理解出来ず、何度も「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」とルカは伝えています。「思い巡らしながら歩み続ける」、そんな信仰生活のまた新たな一年の始まり、皆様の上に豊かな祝福がありますようにお祈りいたします。

 

 

話は戻りますが「ひょっこりひょうたん島」も子ども向けの人形劇のようでありながら、なかなか単純ではない内容を持っていたようです。

 

磯山聖ヨハネ教会牧師

主教 ヨハネ 加藤博道

あけぼの2020年12月号

巻頭言「クリスマスの旅」

 

 

主の平和が皆さんと共にありますように。

 

今年私たちは、一堂に会してはご復活日をお祝い出来ませんでした。松丘聖ミカエル教会の主教巡回は、松丘保養園面会自粛要請のため中止となりました。盛岡では仁王幼稚園・牧師館落成式を大々的に開けませんでした。飲食は控えていますから、弘前での堅信式の後でも、青森の牧師任命式の後にも祝会は開けず、どこか物足りなく感じました。主イエスが弟子たちや出会った人たちと親しく食事の席に着くのが大好きだったように、私たちも会食をしながら楽しく歓談したいとつくづく思いました。

 

新型コロナウイルス感染状況に劇的な変化がなければ、来たる降誕日も「東北教区主日礼拝ならびに宣教活動のための指針_No.7」に従い、マスク着用、手指消毒、検温、ソーシャルデスタンスを徹底し慎重な礼拝を献げ、祝会は控えなければなりません。そうだからと言って、いつものようでないクリスマスである訳ではありません。かえってそれだからこそ、クリスマスはさらに意義深くまたやって来ます。

 

今起きている出来事、自分に襲いかかっている事件が不可解で、不明な時、これから先一体どうなるのか分からない、未来が読めない時に、人は悩み、不安に支配されます。そして、そのような苦悩する人に、神様は優しく、力強くささやかれます。

 

 

イエスの両親ヨセフとマリアは、赤子出産前後2回、旅をしなければなりませんでした。それは自分たちが計画して、うきうきしながらのものではありませんでした。

 

1回目は、人頭税をかけられるための戸籍登録をしなければならないという強いられた、苦痛、屈辱のナザレからベツレヘムへの旅でした。まして身重のマリアの不安の大きさはいかばかりだったでしょうか。それでも、夫ヨセフの故郷に帰省する訳ですから、少しの誇りとわずかな興奮と期待を持った旅でもありました。

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そしてそこには、マリアを支えた言葉がありました。「マリア、恐れることはない。」「生まれてくる子は神様の祝福をいただいた、神様に喜ばれる、それこそめんこい神様の子です」。新しいいのちは人知を越えた神秘的な希望なのです。

 

2回目の旅は、出産後、3人の博士たちがヘロデ王に再会せずに帰国し、王は逆鱗し幼児虐殺を命じるに及んで、誕生間もない赤ちゃんを抱えてマリアは、ヨセフに手を取られエジプトに逃避行しなければなりませんでした。この旅は出産前と真逆で、見知らぬ土地へ、外国へ、異境の地に逃れて、孤立して生き延びなければならないものでした。その心細いこと、大きな不安定さに潰されそうになります。その最中を支える言葉がありました。「ヨセフ、逃げなさい。私があなたを呼ぶまで」です。殺戮、迫害がなくなるその時は必ず来ます。ヘロデ王にもやがて終わりがきます。

 

私たちにも語り掛けてくる言葉があります。羊飼いたちが聞かされたものです。「恐れるな。大きな喜びを告げる。聞け。今日、あなたがたのために救い主・メシアがお生まれになった。」この言葉を今も私たちは聞きます。

 

私たちの人生の旅の途上で「今日、あなたにメシアが生まれ」ます。

 

 

「主よ、わが心に、宿らせたませ」(聖歌358番)

 

 

司祭 フランシス 長谷川清純(青森聖アンデレ教会 牧師)

 

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あけぼの2022年10月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「『祈りによる交わり』-お顔を思い浮かべて-」

 

 

2020年1月以降、新型コロナ・ウイする感染症に苦しむ方々が増え始めて以来、学びと交わりの生活も大きな影響を受けてきました。それから約2年たった現在も感染症拡大と減少を繰り返しており、東北六県も8月には約32万人を超える方々が罹患されました。9月に入って少し減少傾向にありますが、まだまだ終息する気配は見えません。

 

現在、礼拝の休止に関しては、感染者数だけではなく各教会の地域の状況や、礼拝に出席されている皆さんの状況も考慮するようにお願いしていますので、2年前ほど頻繁に休止するということはなくなりました。しかし、礼拝後の茶話会や愛餐会等で食事を共にすることは、感染拡大が終息するまで休止していただくようお願いしています。

 

 

このような状況の中で、私たちの信仰生活の大切な要素である「交わり(コイノニア)」が損なわれつつあると、多くの皆さんが感じておられるのではないかと心配しています。もちろん「聖餐における交わりにあずかる」ことや、「み言葉を聞くことを通してキリストとの交わりにあずかる」ことは、神様より賜るお恵みのうちに保たれています。しかし、礼拝後の「顔と顔とを合わせて」の、信徒同士の目に見える交わりということにはなると、とても気を遣っておられることと思います。また感染症流行のためになかなか礼拝に出席することもままならない方や、病気療養中のために入院中の方々、高齢者施設で生活しておられる方々との交わりとなると、本当に困難な状況におかれています。

 

7月の教役者会で、「代祷の大切さ」ということが話題になりました。確かに「顔と顔とを合わせての交わり」は難しいところがありますが、「祈りの交わり」には制限がありません。どうぞ「祈りの交わり」のうちに、様々な距離にある方々を覚えていただければと思います。できればその方々のお顔を思い浮かべてお祈りしていただきたいのです。

 

と言いますのは、30年以上前に牧会していた教会で、日本キリスト教海外医療協力会からバングラデシュに派遣され、帰国されていた聖公会信徒のK・H医師の講演を聞いたことがありました。その講演の最後にK・H医師は、何枚ものバングラデシュの人々のスライドを見せてくださり、「この中のどなたかの顔を目に焼き付けてお祈りしてください」と言われました。出会ったことのない人でも、お顔を思い浮かべることで祈りがより具体的になるということを、その時教えていただきました。

 

 

ずっと困難な状況が続いていますが、聖書にも「御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。(ヘブ2・18)」という御言葉がありますように、イエス様が常に、私たちと共に歩んで下さっていることを心に刻み、「祈りの交わり」のうちに日々を過ごしていきたいと思います。

 
どうぞ皆様方には、十分にご健康に留意され、主にある慰めと励ましが豊かにありますようにお祈りいたします。同時に、一日も早い感染の収束と、入院・療養中の方々の回復、医療従事者・介護福祉施設職位の方々のお働きの上に、主の御導きと御護りをお祈りいたします。

 

 

教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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あけぼの2025年3月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「人は誰かのために泣くことが出来る」

 

 

14年前の3月11日、あの地震が発生した時に、当時神学校への入学を控えていた私は、指導司祭と共に車を運転しておりました。そして時計の針が14時46分を指したとき、突然の大きな揺れと共に、目の前の渡ろうとしていた橋が蛇のようにうねるという衝撃的な映像が目に飛び込んできたのです。慌てて来た道を引き返した私たちは、何とか難を逃れることが出来ましたが、その道すがら見える割れたガラス、倒れた壁、一瞬にして崩壊した日常を目の前に、えもいわれぬ恐怖を感じたことを、今でも覚えています。

 

その後私自身も色々と大変な思いもそれなりにしましたが、それよりも印象的に残っているのが、自分が行く先々で目にした人々の優しさと強さでありました。水の配給に行けばお年寄りのお手伝いをする青年、他人同士で物資を分け合う姿が見られる所もあれば、ボランティアで訪ねた先では、ご自身も大切な人を亡くされているにもかかわらず、他の悲しむ人に寄り添い、その人のために働く人もいたのです。

 

 

聖書には「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12章15節)という聖句があります。これは私たち人間が他者と一緒に愛を持って生活するために必要な指針であり、簡単に言えば人と「共感」する力の大切さを説いているのだろうと思います。しかし人と人とが、それも全くの他人同士が「共感」するということは、それはとても大変なことでもあるのだろうと思います。ましてそれが、自分自身も悲しみや苦しみといった苦難の中にいる時であればなおさらです。しかしながら14年前のあの時、大変な状況にあったはずの東日本の地では、この共感する力が溢れていたと思うのです。誰もが悲しみを共有し、しかし一方で本当に些細な喜びを分かち合い、それを希望にしていた。それが生きることへの、復興への原動力になっていたと思います。

 

しかし今はどうなのでしょうか。もちろん14年が経過した今でも、被災地へ寄り添い共感し、活動を続けている人々が大勢います。私たちの教会だってそうであると思います。でも一方で、日々の報道では14年前の「悲しみ」にはあまり触れられなくなってきている。復興の「喜ばしい」ニュースはこぞって伝えますが、「未だ苦しみや悲しみの内にいる人々の声」は聞こえにくくなっているように思えてなりません。

 

であるからこそ、私たちは今こそ「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」ことが出来る共同体であること、そんなイエスの弟子の在り方を思い起こす必要があるのです。これは何も東日本大震災に限った話ではなく、やはり私たちの教会は世界の「声なき声」を聴き、共感することが出来なければならないのです。

 

そしてそんな「誰かの声を聴いて共感すること」ということは、大それた何かをするということではなく。それこそどんなに小さなことでも共に喜び、そして悲しみを抱えている人と一緒に泣くということに帰結するでしょう。

 

 

震災から14年経ったこと被災の地にある教会共同体として、イエスのみ跡を踏む者として、私たちが何を成していけるのか。誰の声を聴き、誰と共に喜び泣いていくのかを、今この時だからこそ祈り、考えていければと思います。

 

そしていつか、全ての悲しみが喜びへと変わることも、祈ってまいりたいと思います。

 

 

秋田聖救主教会牧師 司祭 パウロ 渡部 拓

 

 

 

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「神のデクノボー」2015年6月号

2011年3月11日東日本大震災が発生。電気が丸2日点かない中で何が起こっているのか、携帯ラジオに噛り付いていたことを思い出します。2日後、居ても立ってもいられずに、動き出したバスで山形から仙台に向かいました。その時仙台では「東日本大震災日本聖公会東北教区対策本部」が立ち上げられようとしていました。多くの交通手段が麻痺しており、燃料の確保も難しい状態でした。そんな中で動くことのできる数少ない教役者として、その働きにわたしも加わることになりました。5月から支援の働きは管区の「いっしょに歩こう! プロジェクト」と協働となり、全国のみならず世界からの祈りと支援を受けて2年間の働きを終え、その後を引き継いだ東北教区主体の「だいじに・東北」も予定された2年間の働きを終えます。しかし東北教区の支援の働きはこれからも継続されていきます。私自身もこの4年間どれだけお役に立てたかは別としてですが、支援の働きと無縁であった時はありませんでした。

 

現在被災地に赴いた多くの支援団体、グループがその働きを終えています。思いは残るでしょうが、人的にも資金的にも恒久的に継続することは難しいことです。わたしたちもこれまでのような働きを継続していくことは難しいでしょう。でも終わりではありません。これからのことを考えると、被災された方々と関わり続けるということは、もうわたしたち東北教区の宣教の働きのひとつとなっているのだと思います。つまり教会の日々の働きのひとつということです。そう捉えれば「いつまで続ければ良いのか」とか「どれだけやったら十分といえるのか」というどちらかといえば外側からの視点で見た悩みはなくなるでしょう。ほかの地方の人たちにはそれぞれの課題があります。とことん向き合えるのは東北に住むわたしたちです。そして目前の課題に取り組むということは、していることは違っても、それぞれの課題に取り組んでいる人たちとも繋がっているということではないでしょうか。そしてその繋がりによって時には励まし合い、支え合うことも出来るのです。

 

2011年「いっしょに歩こう!プロジェクト」オフィス開所

2011年「いっしょに歩こう!プロジェクト」オフィス開所にて

被災地の復興は進みつつある。しかしそこに新たな悩みや課題が起こっていることにも、わたしたちは敏感になっていきたいと思います。それを知っても「何もすることが出来ない」と戸惑い、悩むことも向き合う姿のひとつです。それは忘れていない姿でもあるからです。私たちもわが身の困難や悲しみを覚えて心配してくれている人がいる、何かできることはないかと心を砕いてくれている人の「存在」にどれだけ励まされ、勇気付けられていることでしょうか。祈りの中で覚え続けることも共にある姿です。継続された祈りから、いつか目に見える、あるいは心に感じることの出来る結果が与えられます。

 

宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」の一節「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」皆からデクノボーと呼ばれる人の姿を思います。賢治さんはいいます。「ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と。一説によるとこの「デクノボー」は斉藤宗次郎という花巻出身のクリスチャンがモデルだといわれています。「ヤソ」と侮蔑されても、ただおろおろ歩くしかなくても人々に寄り添おうとした。そんな聖霊の力に支えられた「デクノボー」に私もなりたいものです。

 

                                       司祭 ステパノ 涌井康福

「十字架の道と断食のこと」2017年6月号

今年も聖金曜日の正午から、「十字架の道行」の祈りを行ないました。イエス様が十字架を背負って歩かれた道での出来事は、長い歴史の中で伝説が生まれ、脚色されたものが多々あるのですが、黙想のために用意されたテキストがよく出来ています。一つ一つの言葉が、深い洞察に導かれていて、魂を洗われる思いがします。

 

エルサレムに行きますと城壁に囲まれた旧市街(Old city)があります。その旧市街の中にヴィア・ドロローサVia Dolorosa(ラテン語:悲しみの道)とかヴィア・クルキス(Via crucis 十字架の道)と呼ばれる道があります。北東側のイスラム教徒が住んでいるライオン門付近から、ゴルゴダの丘に建てられた聖墳墓教会まで、道筋の14か所には留(ステーションstation)があります。いわく〈ピラトに裁かれた場所〉〈鞭打たれ十字架を背負った場所〉〈クレネのシモンに助けられた場所〉等々と、エピソードを伝えています。

 

エルサレムは石で出来ていますから、家を建てるときには、崩れた石の上に建てます。時代が過ぎるとまたその石の上に家が建てられますから、実際にイエス様が歩かれた道ははるか地下にあり、発掘されています。現代の道は実際に歩かれた道とはまったく違うのですが、巡礼で訪れる人々が十字架を背負って祈りながら歩いています。

 

エルサレムの神学校に行った際、コースの終わる頃「考古学的には根拠は無いけれど、私たちも十字架を背負って歩いてみよう!」と先生に言われ、歩いたのですが、何とも言えない複雑な気持ちを味わいました。皆が見ている中で十字架を背負って歩くのは、勇気がいるものです。気恥ずかしくて、決して単に肉体の痛みだけではなかったんだと気付かされました。

エルサレムまで行くのは難しいので、このような十字架の道が教会や修道院の境内に造られています。郷里の山梨県の清里聖アンデレ教会から清里聖ルカ診療所まで十字架の道があって、各留毎に小さな聖像が飾られていました。

 

東北教区の中にも、どこかにこのような十字架の道があったらいいのにと思います。

 

さて、聖金曜日は断食日ですから空腹に耐えながら、イエス様の苦しみとはまるで違うけれど、わずかばかり体でも十字架の苦しみに思いを寄せることができ感謝です。

 

英語で朝食をbreakfastと言い、その語源は「断食(fast)を破る(break)」というのです。断食明けの朝に胃の負担を考えて、お粥をいただくとき、何千年も続く諸先達の慣れ親しんだこの習慣に、私もつながっていることをしみじみ思います。

 

何の道具もいらない場所も選ばない、こんな簡単な方法の効果が絶大であることを、先人は身を持って体験したのでしょう。断食の時を過ごす度に、私たちが何のために生きているのかを考えさせられ、大事なものを見失わないように教えてくれます。

 

日本ではまだあまり知られていませんが、断食の健康への効果もいろいろな場面で語られています。絶食療法を科学的に検証した「絶食療法の科学」というフランスで製作された番組が、日本でもテレビで紹介されました。医師の指導の下でこの療法を用いることにより、実際に効果がある症例もあるようです。

 

司祭 フランシス 中山 茂

「教会 ー 一歩踏み出す拠点」 あけぼの2019年4月号

若松諸聖徒教会は、震災後、園舎建替に伴って旧聖堂を取り壊して以降、聖堂をもたず幼稚園ホールにて礼拝を守っています。ホール舞台上には祭壇も常設されており、小さいながらベストリーに利用できる部屋もあります。礼拝を行う度に会衆席用の椅子を並べたり片付けたりする労はあるものの、取り立てて「不便」を感じてはいません。それでも今、私たちの教会は教会建設を祈り求めています。

 

 

毎主日の礼拝では10人程の出席者数の小さな群れに、教会建設などという大事業に着手する「体力」はあるのか?仮に新聖堂が与えられたとして、潤沢な資金があるわけではない現状、後代に借金を残すだけになるのではないか?正直に告白すると、そうした負の心情だけが管理牧師時代からの偽らざる思いでした。

 

そんなとき思い出したのは村上達夫主教の「私たちはこの礼拝堂がなぜ今ここに建っているのかという本来の目的をもう一度深く考えてみることが大切」との言葉が記されていた『若松諸聖徒教会小史』です。1986年、今は取り壊された聖堂建設60年を迎えた年に刊行された本書をあらためて読み返すと、興味深い記事が目に留まりました。

 

 

教会創立10年を経た頃、若松諸聖徒教会は南会津への「特別伝道行脚」を始めています。先書にはそのいきさつについてこう記されています。「南会津巡回という特別伝道行脚について一言すべきであろう。そもそも南会津郡および大沼郡の二郡は本県中最も不便な山奥で、人口も疎らで、しかも広範に亘っている。このような地方を巡回しなければならなくなったのは、次のような理由による。明治の中葉、只見川沿岸一帯に甚だしい凶作飢饉があり、その惨状は深刻を極めた。岡山孤児院の石井十次氏はこの東北の悲報に接し、孤児救済のために郡山へ来た」(同書5頁)。しかしこの子どもたち30名は、石井十次氏の施設が定員に達したこともあり、結果としては岡山にではなく大阪の博愛社で引き受けられることになります。数十年後、成人したこの子どもたちは故郷に戻りますが、博愛社での生活で受洗、信仰者となっての帰郷でした。当時、若松諸聖徒教会の長老であったメードレー長老はこのいきさつを知り、30名の信仰者がいる場所への牧会を思い立たれたのだと言います。そして「一巡七十里、その経費と20日の日数もさることながら、天下有数の嶮所難所を越え、旅館の設備もないところを、時には令夫人をも伴って巡回され、牧者としての任務を遂行された」(同書6頁)そうです。南会津巡回を継承したマキム長老に至っては「駒止峠から沢に落ちて命拾いしたこと、旅館(マキム長老時代にできた模様)にマキム長老に合う衣類や夜具がなく大騒ぎしたこと等々」も記されており、同師が南会津の「多くの人々に慕われた師」(同書7頁)であったことも記されています。

 

 

私たちの教会の信仰の先達が南会津へと一歩踏み出したように、祈りによって励まし合いつつ、キリストの派遣に応えて地域社会に一歩踏み出す「拠点」としての教会が与えられるなら…それが「今」の私たちの願いです。私たちの会津若松での歩みを覚えて、みなさまにもご加祷いただければ幸いです。

 

 

若松諸聖徒教会牧師

司祭 ヨハネ 八木 正言

あけぼの2021年1月号

巻頭言「サイレントナイト」

 

 

「今年のクリスマスはやめにしませんか」そんな提案を教会役員会にぶつけたのは、私が聖ペテロ伝道所に勤務していた時、近くのプロテスタント教会に勤務していた若い牧師さんでした。当然の如くに「何をいっているのだ」と役員さんたちは反発します。この牧師さん、少し言葉が足りなかったようで、いいたかったのは降誕日の礼拝をしないということではなく「例年のように派手な飾りつけや、ご馳走を囲んだパーティーをやめましょう」ということだったようです。

 

イエス様は、身重のマリアさんとヨセフさんが住民登録をするためにナザレからベツレヘムに向かう途中で、宿も取れない中で、貧しい家畜小屋でお生まれになりました。まさに「人みな眠りて、知らぬまにぞ」(聖歌第85番2節)と歌われている通りの状況でした。

 

最近知って驚いたのですが、イスラエルにも雪の積もる山があり、スキー場もあるのだとか。イエス様のご降誕が本当に12月なのかは定かではありませんが、平地でも夜は冷えた ことでしょう。暗くて寒くて静まり返った闇の中、落ち着いて赤子を寝かせることもかなわず、両親とてもゆっくりと横たわることができなかったことでしょう。想像するだけで寂しさがこみ上げてきます。

 

多くの人たちが「クリスマス」と聞いて思い浮かべる光景とは、まったく違ったみ子のご降誕の姿がそこにはありました。わたしたちは降誕日前夕の礼拝(イヴ)の中で、その時の場面を垣間見ているのかもしれません。必要最低限の光しか用いられないのは、雰囲気作りなどではなく、きっと2千年前の「その場」にわたしたちも繋がれるためではないでしょうか。神の示された「時」に確かに私たちもみ子と共に存在しているのです。クリスマスには毎年繰り返す「祭り」としての意味もあるでしょう。何度となく繰り返してきたクリスマスですが、同時に毎年私たちはみ子イエスの誕生の瞬間に招かれているということも、信仰の真実ではないかと思うのです。

 

そう考えると、礼拝が終わり「さー、次行ってみよう!」とパーティーに切り替えるのは、なんだか惜しい気がしてしまいます。もちろんそこには宣教的な意味もあるわけですから、単純には否定できないことですが、たまにはみ子のご降誕の場に居合わせた余韻を静かに感じる時があっても良いのではと思います。冒頭で紹介した牧師さんにも、そんな思いがあったのかもしれません。

 

そういう意味で今年のクリスマスは千載一遇の時です。

 

祝会をどうするかと意見を交わすまでもなく、結果は見えてしまっています。残念といえばその通りなのですが、礼拝が終わって「残念だね」とか「さみしいね」といって感染症を呪って帰るのではなく、まさに今年の降誕節は「静かな夜・サイレントナイト」に思いを寄せてみなさいという、神様からの恵みの時なのだと捉えられないでしょうか。どんな時でも、み子のご降誕は救いの時、恵みの時であることに変わりはないのです。

 

そして今年は聖家族がヘロデからの迫害を逃れたエジプト逃避行、み子のための幼き殉教者、東方からの訪問者などにも思いを馳せ、降誕の出来事を黙想する中で、豊かな恵みが与えられそうです。

 

 

司祭 ステパノ 涌井 康福(秋田聖救主教会 牧師)

 

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あけぼの2022年12月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「神は人を自分のかたちに創造された。(創世記より)」

 

 

10月に人生初の入院をしました。左掌に瘤状のものができ、関節や腱を滑らかに動かすための滑油が溜まる「ガングリオン」という腫瘤だろうと思いしばらく放置していましたら、人差し指と中指にしびれや痛みがおこりだしました。右手は使えるのですが仕事や生活に支障をきたすようになり受診したところ、「血管腫」という腫瘍であることがわかりました。良性腫瘍でしたが、痛みなどは神経が圧迫されているからということで、手術を受けることになりました。手術は約2時間ほどでしたが総延長(?)約10センチほどメスが入ったので、家に帰ってから大量の出血があってはまずいからと1泊入院となりました。いつ退院できるのかわからないということではないので、入院とはいってもそれほど緊張することはなかったのですが、これまで入院されている方をお見舞いした時とは反対の視点で、病室の天井を見つめることになりました。しかも腕には点滴の管が刺さっていますので不自由な状態です。入院されていた方たちはこういう視点で訪れた私たちを見ておられたのだなと、少しだけですがその気持ちがわかった気がしました。

 

わたしは元来暢気すぎる傾向があり、不調を覚えてもすぐに受診することはありませんでした。しかし気が付けばもう高齢者の域に達しており、今回も術後に運転ができずに多くの方にご迷惑をおかけしてしまいました。改めて自分のためばかりではなく、体は大事にしなければいけないと思わされた経験でした。

 

話は過去に飛びますが、牧師になる前に働いていたところは教会関係の保育園で、保育士の約8割が信徒という職場でした。様々な教派の方が在職していましたが、その中には福音派の方もいて、職員旅行などでアルコールが出てきても口にすることはありませんでした。聖公会では牧師もお酒を飲んだり、タバコを吸う人がいることに驚いていましたが、ことあるごとに「神様から与えられた体を傷つけたり、汚したりしてはいけないと教えられている」と話していました。聖公会の面々は「ずいぶん厳しいね」とか「イエス様だってのんでたんだよね?」とかささやいていましたが、食物規程のようなものは別として「神様から与えられた体・命」ということは教派ごとの考えに関係なく、心に留めておかなければいけないことだと思います。もしかしたら健康に少し無頓着な私からは、いつの間にか「神から与えられた」という大事なことが抜け落ちていたのかもしれません。私ばかりではない。周りの人たちもすべて神から命を与えられた存在として見つめることができたなら、世の中はもう少し平和になるのかもしれませんね。命も体も私のものであるようで私のものではない。そのことを忘れたり、知ろうとしないのはとても恐ろしいことなのではないでしょうか。

 

 

「なぜ人を殺してはいけないのか」という少年からの疑問に対して、答えに窮した大人がいたという話を聞いたことがあります。「法律で決まっているから」だけでは愛がありません。「神様がお与えくださった命だから」という答えも、すぐには受け入れられないでしょう。それでもあきらめることなく、主の平和のために伝え続けることが信仰であり、宣教なのだと思います。

 

 

秋田聖救主教会牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福

 

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あけぼの2025年4月号

巻頭言 イースターメッセージ「復活の朝」

 

 

イースターおめでとうございます。ご復活の主の祝福が皆様にありますように!

 

 

金曜日に十字架に掛けられて息を引き取られたイエス様は、アリマタヤ出身のヨセフとニコデモがユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んで、その日のうちに慌ただしく墓に葬られました。何故ならユダヤ人の安息日、つまり土曜の前日であり、11人の弟子たちはユダヤ人を恐れ隠れてしまったからです。マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、一緒にいた他の女たちは、ご遺体に丁寧に接し、手厚く葬りの用意をしたかったけれども叶いませんでした。

 

2日を過ごし、週の初めの明け方早くになりました。安息日が明けるのを待ちかねて早々に、朝まだ早くに墓に出向いて、せめて香料をお塗りしよう、せめて亡骸を目にして触り、お別れをしたいという気持ちでいっぱいでした。ところが、ご遺体を目にすることができない戸惑いと、打ちのめされた感じで途方に暮れました。

 

その時、神さまからのお声が聞こえてきました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」

 

これは、最も重要なメッセージであり、またイエス様の生前のお言葉です。彼女らはイエス様の言葉を思い出しました。人はそのお方が語られた数々の言葉を思い出します。その中でも一番強く深く残っている言葉があり、それが宝物です。

 

 

14年前の東日本大震災巨大津波によって大勢の方が流されて行方不明になりました。突然、何の前触れもなく身内の身体が取り去られたのです。目の前から消されたのです。愛する人を失った方々は、深い、大きな嘆きを経験しました。時間が空しく過ぎることも経験しました。今日まで、愛する人の魂の平安を祈ることしかできなくそれは、それは長い、長い時間を過ごしておられます。大震災後1ヵ月、2ヵ月、3ヵ月、半年、1年、そして14年が経ちました。

 

やがて被災者の中には、あの人を決して忘れないこと、世を去られた人のいのちを忘れないこと、そのいのちの分まで大事に生きること、それが遺された者がなすべきことだと考え、自分を納得させる方もおられます。山元町にある、震災で園児と職員を失ったふじ幼稚園園長先生はそう考えて、嘆きを生きる力に変え、回復して前を向いて園を再開し、保育を進めています。

 

 

復活とは「そこにとどまらない、そこに縛られない、キリスト・イエスの言葉を思い起こす」ことです。かつてイエス様が約束されたように、復活の主はあなたがたの現実生活の中に必ずや共にいてくださいます。ご復活の主は、いつも共にそして永遠にいてくださいます。「なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ。」

 

主イエス様のみ言葉を胸に抱き、ここから歩み出して行きましょう。主にある皆さんとともに新しい朝、復活の朝に目覚めてまいりましょう。栄光に輝くイエスさまの光に照らされて、光を見つめながら導かれてまいりましょう。
 

 

教区主教 フランシス 長谷川 清純

 

 

 

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