教区報
教区報「あけぼの」 - 東北の信徒への手紙の記事
「安息日のこと」 2018年8月号
とんでもない耳を塞ぎたくなるような悲惨な事件が続いています。新幹線の中で若者が刃物を振り回し、小学生が帰宅寸前に若者に連れ去られ殺害・遺棄。幼子が実の親から数々の虐待を受け、命を奪わる等々、心が引き裂かれる痛ましいニュースが続いています。
氷山の一角ですから、常軌を逸した行動をとる人間はもっと多いのかもしれません。この国はどうなってしまったのでしょう。命を育むという尊い業が壊れかけているようです。
オオカミに育てられた子どもが発見され、教育したけれど、人間としての成長は難しかったと学びました。この話は諸説あり、詳細は分からないのですが、今の社会も、同様の不安を抱えているのかもしれません。
人が人間として育つのには、何を大切にしなければならないのかが問われているのではないでしょうか。人間が人間らしく育つには、中でも幼いときに、まことの愛で結ばれた人の交わり中で育つことが必要なのです。
加えて、私たちを取り巻く環境は、ふさわしくないものであふれています。
現実世界では、ほとんど触れることのないような暴力や殺害の場面(映像)がメディアを通して、シャワーのように注がれています。こんなことをしていて良いのでしょうか?
イスラエルの聖ジョージ神学校に行ったとき、「安息日を経験しましょう」というプログラムがありました。
最初に、金曜日の夕方、あるユダヤ人家族のお父さんとお子さんに案内されて、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)に行き、礼拝に参加しました。
それから日没前に、自宅に案内していただくと、流しに行き、取っ手が二つ付いた特別なコップで手を洗いました。手を清めてから食卓に着くと、ろうそくに火が灯され、お父さんが創世記1章の終わりから2章の初めを読み「神様が7日目に休まれたのだから、私たちも休みましょう」との言葉で安息日が始まりました。始めにお母さんがパンを祝福して裂き分け、ブドウ酒を特別なカップに注いで飲みました。続いて用意してあった料理をいただきました。
流れを体験しながら『これって聖餐式じゃないか!』と驚きました。キリスト教で日曜日の朝に聖餐式を行なうのは、安息日が始まるよという合図の意味もあったのです。
続いて、部屋でおしゃべりしながらリラックスして過ごしました。何しろ子どもたちは「勉強してはいけない」日ですし、お母さんは「料理や家事をしてはいけない」嬉しい日なのです。
一週間にあった出来事を家族がお互いに報告し会っている様子が、とても微笑ましかったです。ゲストの私は日本語について話し、危うく紙に字を書いて説明するところでした。(安息日では禁止行為)
このような家族の交わりが、モーセの時から3千年以上も続けられていることを知ると、大変な驚きです。この安息日がユダヤ人に与えた意義は、非常に大きいものでした。
イエス様が批判された安息日のために人があるような事態にはならないように、大事な家族の絆を強める日としていただけたらと思います。
司祭 フランシス 中山 茂(青森聖アンデレ教会牧師)
あけぼの2020年8月号
「『変化』の中で教会を考える」
先日、祭服や聖具を販売するアメリカの大手メーカーが、祭色にあわせて四色(白・赤・緑・紫)の、ストールと同じ柄のマスク販売をはじめたというニュースを知りました。そのニュースを聞いて思い出したのが、かつて、主教や司祭、執事もマニプルと呼ばれるストールを小さくしたような形のものを手に巻き、祭服の一部としていたことです。これは、もともとはスダリウムと呼ばれる「汗拭き」が形骸化したもので、主イエスが十字架につけられた際に手を縛った縄も象徴していると言われているそうですが、今ではマニプルをつけることはほぼなくなりました。時の流れと共に祭服も変化を遂げていると言えるでしょうか。その意味ではマスクも、もしかしたら近未来には当たり前のように祭服の一つとして採用されているのかも知れない、そんな想像をしました。そして考えたこと…。
幼少の頃、手塚治虫氏の描いた漫画『鉄腕アトム』が大好きでした。車が空を飛び、感情をもったロボットたちが活躍する情景は、空想の世界だからこその自由さや夢のあふれるワクワクする世界でした。
あれから半世紀、そんな空想の世界が現実のものとなりつつあります。自動車の自動運転実用化はもうすぐ目の前に迫っています。もしかしたら、「昔は車を運転するのに免許証が必要だったんだって」などと会話が交わされる未来がやってくるのかも知れません。ドローンを大型化したような人の乗れる“空飛ぶタクシー”の開発も進められているそうです。また巷ではAIの普及によって、近未来には人間の仕事でなくなる職業があると噂されています。まさに『鉄腕アトム』の世界です。さらに近頃では、水道の蛇口の下に手を出して「先生、水が出ません」と話す、蛇口をひねって水を出すことを知らない子ども、トイレでは自分で水を流すことを知らない子どももいると聞きます。
こうした変化が憂うべき現実なのかどうかは別にして、僅か半世紀の間に、日々の生活様式とそれを取り巻く「技術」は格段に進化・変化を遂げたのは事実です。
時代と共に生活様式が変化した一方で、キリストの教会はどうでしょうか。祭服がどのような変化を遂げたのか、遂げるのかはともかくも、主イエスが「わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われた聖餐は、2000年の間不変のものとして守られてきましたし、これからも守られていくでしょう。しかしその方法については、東面式から対面式になり、文語体から口語体になり、信徒が参与する場面も増えるなどキリストの教会も変革を遂げてきました。1968年ランベス会議やローマカトリックの教会の第2バチカン公会議を経てのそうした変革は、イエスという原点に立ち戻るからこそのことでした。
今、わたしたちは、新型コロナウイルスの蔓延という範疇を超えて、軸足をしっかりとイエスという原点におきつつ、すなわち時代の趨勢だからではなく、あらためて今の時代、この世界、社会におけるキリスト・イエスの「宣教=ミッション」とは?を解釈し続ける決意を新たにしなければならないと思います。「変えることのできるものを変える勇気と、変えてはならないものを受けいれる冷静さと、それらを識別する知恵をお与えください」(ラインホルド・ニーバー)と祈りつつ。
司祭 ヨハネ 八木正言(郡山聖ペテロ聖パウロ教会・若松諸聖徒教会 牧師)
あけぼの2022年6月号
巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「ロザリオの祈り」
あまり聖公会では、「ロザリオの祈り」という古くからの教会の伝統の中で行われてきた信心業について語られたり行われたりしませんが、定年退職後数年、私はこの「ロザリオの祈り」に凝っています。毎朝起床後すぐにまずこの「ロザリオの祈り」を祈り、私の一日が始まるのです。
「ロザリオ」とは、“バラの花冠”という意味で、“アヴェ・マリアの祈り”を一輪のバラとみなし、数珠になっているロザリオの珠を繰る時、イエスさまの生涯のおもな出来事が“アヴェ・マリアの祈り”を背景にして魂の目の前で繰り広げられます。これらの出来事は、〈喜びの神秘〉〈光の神秘〉〈苦しみの神秘〉〈栄えの神秘〉と4つの神秘にまとめられていて、それを曜日ごとに分けて行われ、私たちが主をよりよく知り、より深く愛することが出来るように、整えられて黙想が出来るのです。
教皇フランシスコは、“ロザリオの祈り”に関して次のように言っておられます。「ロザリオの祈りは、わたしたちを神に開く効果的な方法の1つです。それはエゴイズムを克服し、家族と社会と世界に平和をもたらすのを助けるからです」と。
先日次のようなことがありました。ロシアによるウクライナへの武力侵攻は世界に大きな衝撃を与えており、いのちを守り平和を希求する多くの人たちの願いを踏みにじる形で自体が展開していきましたし、今も続いています。
教皇フランシスコは、いのちの危機に直面している状況を憂慮され、平和を求めるために様々に努力を続けておられて、去る3月25日「神のお告げの祭日」(聖公会では、「聖マリヤへのみ告げの日」)に、教皇はヴァチカン聖ペトロ大聖堂で、ロシアとウクライナを聖母マリアの汚れなきみ心に奉献されました。その際に教皇は、全世界の司教たちに、又司教を通じてすべての信者に、この奉献に一致して祈るように、出来れば教皇の祈りと同じ時間に祈りを捧げるようにと招かれ、呼びかけられました。
この呼びかけに応えて日本カトリック教会も、教会も、教皇によるローマでの奉献の時間が日本では夜になることから各教区で様々な工夫をしながら祈りの時が持たれました。大阪大司教区ではその「祈りの時」に参加して、世界の教会が同じ趣旨で同時に一致して祈るというこの機会に参加したい望みを持ちました。この「祈りの時」での公式の祈りは比較的長文の祈りでしたが、各国の言葉にすぐ翻訳されて世界中の教会が心を合わせて祈る祈りでしたし、「祈りの時」のベースは「ロザリオの祈り」でした。日頃少しは慣れ親しんできていた「ロザリオの祈り」でしたので、私でも参加しやすかったです。
このように「ロザリオの祈り」は、個人的信心業を越えて、「神の民=教会共同体の祈り」として全世界の教会が一致して祈ることが出来るという主なる神からの“招き”に気づかされましたし、その恵みに感謝した次第でした。
小名浜聖テモテ教会 嘱託 司祭 パウロ 松本 正俊
あけぼの2024年9月号
巻頭言 東北の信徒への手紙 「四十八茶 百鼠」
この言葉が生まれたのは江戸時代です。長きにわたって平和を謳歌した江戸時代は、生産性が向上し、庶民の生活もかなり豊かになっていたようです。ただ、それを面白く思わなかった為政者たちは、幾度となく“奢侈(贅沢という意味)禁止令”を発令したといいます。それは「芝居を見に行くな」「米を食べるな」「絹物を着るな」など庶民の生活全般にわたりました。着物に関しては、色・柄・素材など、細かい規定が設けられました。
人々は、為政者に対して表立って反抗することはありませんでしたが、定められた範囲内でお洒落を楽しめるように工夫したそうです。
庶民の着物は、祖愛は綿もしくは麻、色は「茶色」「鼠色」(灰色という呼び名は火事を連想させるため「ねずみ色」というのが一般的でした)「お納戸色」の3色に限定されていました。「お納戸色」というのは、何度=物置の扉を開けたときの薄暗がりの色で、濃紺に近い色です。普通、色は二次元の世界なのに、日本人は空間に色をつけてしまったのです!
江戸時代の庶民たちは、この許された3色に、自分たちのセンスのすべてを注ぎ込み、それぞれの色の中に微妙な色調を工夫して着物を染め上げ、バリエーションを楽しんだそうです。そしてこの3色の中でも、特に茶色と鼠色の中に多彩な色合いが生まれ、新しい呼び名がつけられました。海老茶、白茶、江戸茶、蒲茶、鶯茶、千載茶、団十郎茶、利休茶……。語呂合わせで四十八茶と呼んでいますが、実は茶色だけで100種を超える色があるそうです。鼠色に関しても、藤鼠、茶鼠、江戸鼠、利休鼠、桜鼠、梅鼠、源氏鼠、鳩羽鼠……と100色以上あります。
日本にこれほど多彩な色があるのは、足枷のある限られた自由の中で、お洒落を楽しもうとセンスを磨いてきたからといえるのではないでしょうか。微妙な色彩の違いを見極め、そこに工夫を凝らしたのです。
また、庶民でも経済力のある人は、着物の表地はお上のお触れに従って地味を装いながら、裏地には禁止されている正絹や派手な染め色を用い、隠れたところに贅を尽くすことで、江戸っ子の意地を通しました。裏地のお洒落は江戸っ子好みの「粋」であり、ちらりと垣間見えるそれを見逃さず気づくことのできる人が「通」、逆に、それをひけらかすのは「野暮」と笑われたのだとか。
環境を「呪う」のではなく、その環境に「乗ろう」とする。足枷があっても、逆にそれをゲームのルールにして遊んでしまう。日本人は楽しむ天才なのかもしれません。「獄にあっては獄の中でできることをする。獄を出たら、出てできることをする」とは彼の松田松陰の言葉ですが、どんな時にも、そこでやれることをやるだけだ、というわけです。いつでも、今やれることの積み重ねで奇跡は起こせるのかもしれません。
さて、東北教区の各教会がおかれた現況、そして未来は、普通に考えれば決して“明るい”とは言えないのかもしれません。信徒、聖職の数は減少の一途をたどり、それに伴って財政も逼迫しています。しかし、それでも……、今も、いつも、これからも、やれること=神のみ旨を求め、それに聴き、派遣された地でこれを実践することの先に、新しい扉は開かれるのかもしれない、そう信じたいと思います。
仙台基督教会牧師 司祭 ヨハネ 八木 正言
