教区報
教区報「あけぼの」
あけぼの2021年7月号
巻頭言 東北の信徒への手紙 「将来の栄光を見てみましょう」
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、種と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。(コリントの信徒への手紙Ⅱ 3:18)
神様が喜ばれる人は「信仰の人」です。神様の言葉を疑わず信じて従う人を喜ばれます。神様は私たちに向けた特別な計画を持っておられます。神様の計画は、私たちの考えと期待を超越します。神様は、神様を信じて信頼する人を特別な人、偉大な人、夜空に燦然と新星のように輝く人になるように、計画しておられます。もし私たちが信仰を持たず、過去に何のビジョンも持たず、何も成し遂げられない生活を送った場合、今もそうでしょう。
しかし、信仰の人は違います。神様のための神聖なビジョンを持って生活します。したがって、私たちは信仰によって、神様の力を頼りにして義の冠を示し、十字架の栄光を見て行動します。このために私たちがしなければならないことは、神様の意思に完全に服従することです。神の意志に服従する者に、神様は聖霊の力を注いでくださいます。
皆さんはどのような人生を生きていますか。神様を信じず、信頼しない人生を生きたいですか。イエスの中で皆さんの人生を新たに計画してください。日常生活の中で特別な生活に飛躍してください。イエスを私たちの救い主として受け入れれば、神様は私たちのすべての罪を許してくださいます。そして、神の聖霊をプレゼントとしてくださいます。
聖霊は、皆さんの人生を特別な人生、能力を行なう人生、偉大な未来が待っている希望の人生に変えてくれます。私たちは、み言葉と祈りを通して、より一層神様を深く知るようになるとき、神様は私たちに人生を理解する能力をさらに育ててくださいます。そして、私たちの人生の扉を開いてくれます。
今日、多くの人々は、イエスの前に来ることに消極的です。私たちは、神の仕事よりも世界の世転びと快適さがより好きです。そして主の前にくることを拒否します。
しかし、モーセはイエスが現れる1500年前に、イエスのために苦しむ道を選択しました。モーセは信仰によって犠牲制度を定めています。信仰で過越と血をまく儀式を定めました。これは、イエスがメシアとして来られ、十字架で贖いの儀式を捧げ、私たちを救ってくださることを示す象徴の意味を持ちます。イエスがいらっしゃる1500年前にすでにモーセは信仰によってイエスを信じました。彼は選択しました。イエスのために苦しむことが王宮の栄華を味わうことよりよいと思いました。
私たちは、イエスの恵みと復活の恵みと聖霊を通して、イエス様が私たちの中に永遠に一緒におられる恵美を享受しています。したがって、私たちもモーセのように、イエスのために、世界の楽しさを放棄し、首都一緒に苦しむ道を選択する必要があります。これが行動する信仰です。皆さんの行動する信仰を示してください。イエスを受け入れ、聖霊を受け、その聖霊が常に私たちの中に豊かに住むことによって、特別な人生、輝かしい未来の栄光を成就して生きていかれることを願います。
仙台聖フランシス教会 牧師 司祭 ドミニコ 李 贊煕